10/12/08 12:30:54 DAckymt/
足利尊氏関連史跡一覧
【岡崎市】
・滝山寺:足利一族氏菩提寺、寺領寄進
・高隆寺:七堂伽藍造営
・天恩寺:足利尊氏遺言の寺、3代将軍足利義満建立、4代将軍足利義持の祈願所
・真福寺:持地院建立
・満性寺:太子信仰、尊氏弓矢の守護神、高一族の菩提寺
・竜泉寺:日静(尊氏の母の弟)開基、元は上野一族(足利一族)の竜泉寺城
・統持寺:高一族屋敷跡に高師泰(高師直の兄)の娘が建立、足利尊氏と足利義満の支援あり。
・長瀬八幡宮:社殿(火災による消失)復興、板倉氏(足利一族)を神主に、初代奥州吉良氏である吉良義継(法名:長瀬四郎)ゆかり。
・糟目犬頭神社:庇護(百貫文寄進)、北朝側の鈴木氏ゆかり、新田義貞の首塚あり。
・八剣神社:屋敷跡か?、足利尊氏の墓あり。
【吉良町】
・金蓮寺:真言宗光福寺の子院を現在の場所に移転、金蓮寺として再興。
・勝楽寺:創建、お手植えの松あり
・饗庭神社:新田開発し、一宮、二宮、三宮を鎮守、その内の二宮。饗庭命鶴丸氏直(花一揆武士団大将)が関係。
【西尾市】
・実相寺:安国寺に指定、尾張国の安国寺の代わりらしい。尾張国に安国寺があった資料なし。
・安国寺:三河安国寺、全国66ヶ国2島の安国寺の一つ。
【新城市】
・冨賀寺:真応上人(尊氏の従兄弟)が住職、祈願寺として寺領を寄進し、本堂・中堂・護摩堂・阿弥陀堂他、坊舎18坊を造営。
【豊橋市】
・赤岩寺:阿弥陀如来坐像奉納
654:名無す
10/12/08 12:32:38 DAckymt/
足利尊氏関連史跡一覧
【岡崎市】
・滝山寺:足利一族氏菩提寺、寺領寄進
・高隆寺:七堂伽藍造営
・天恩寺:足利尊氏遺言の寺、3代将軍足利義満建立、4代将軍足利義持の祈願所
・真福寺:持地院建立
・満性寺:太子信仰、尊氏弓矢の守護神、高一族の菩提寺
・竜泉寺:日静(尊氏の母の弟)開基、元は上野一族(足利一族)の竜泉寺城
・統持寺:高一族屋敷跡に高師泰(高師直の兄)の娘が建立、足利尊氏と足利義満の支援あり。
・長瀬八幡宮:社殿(火災による消失)復興、板倉氏(足利一族)を神主に、初代奥州吉良氏である吉良義継(法名:長瀬四郎)ゆかり。
・糟目犬頭神社:庇護(百貫文寄進)、北朝側の鈴木氏ゆかり、新田義貞の首塚あり。
・八剣神社:屋敷跡か?、足利尊氏の墓あり。
【吉良町】
・金蓮寺:真言宗光福寺の子院を現在の場所に移転、金蓮寺として再興。
・勝楽寺:創建、お手植えの松あり
・饗庭神社:新田開発し、一宮、二宮、三宮を鎮守、その内の二宮。饗庭命鶴丸氏直(花一揆武士団大将)が関係。
【西尾市】
・実相寺:安国寺に指定、尾張国の安国寺の代わりらしい。尾張国に安国寺があった資料なし。
【幸田町】
・安国寺:三河安国寺、全国66ヶ国2島の安国寺の一つ。
【新城市】
・冨賀寺:真応上人(尊氏の従兄弟)が住職、祈願寺として寺領を寄進し、本堂・中堂・護摩堂・阿弥陀堂他、坊舎18坊を造営。
【豊橋市】
・赤岩寺:阿弥陀如来坐像奉納
655:名無す
10/12/10 22:36:55 QECXihAc
>●皇居:東京都千代田区(過去に京都、奈良、大阪、兵庫、山口、滋賀、福岡)
>~過去~霞ヶ関離宮(現在の国会前庭南地区):東京都千代田区
>~過去~浜離宮(現在の浜離宮恩賜庭園):東京都中央区
>~過去~芝離宮(現在の旧芝離宮恩賜庭園):東京都港区
>~過去~赤坂離宮(現在の迎賓館):東京都港区
>
>■桂離宮:京都府京都市
>■修学院離宮:京都府京都市
>~過去~二条離宮(京都府京都市): 二条城
>
>▲葉山御用邸:神奈川県三浦郡葉山町
>~過去~箱根離宮(神奈川県箱根町 ):現在の神奈川県立恩賜箱根公園
>~過去~鎌倉御用邸(神奈川県鎌倉市):現在の鎌倉市立御成小学校、鎌倉市役所
>~過去~小田原御用邸(神奈川県小田原市):現在の小田原城内
>~過去~宮ノ下御用邸(神奈川県箱根町):現在の富士屋ホテル別館菊華荘
>
>~過去~名古屋離宮(名古屋城):愛知県名古屋市 コンクリコンクリ(^o^)/
鉄筋鉄骨コンクリート構造といいます。
656:名無す
10/12/10 22:37:46 QECXihAc
>>632
>武蔵守
>引田祖父(703年〈大宝3年〉~)
>当麻桜井(708年〈和銅元年〉~)
>大神狛麻呂(715年〈霊亀元年〉~)
>多治比縣守(719年〈養老3年〉~)
>布施国足(731年〈天平3年〉~)
>多治比広足(738年〈天平10年〉~)
>紀清人(746年〈天平18年〉~)
>平群広成(752年〈天平勝宝4年〉~)
>石川麻呂(754年〈天平勝宝6年〉~)
>高倉福信(756年〈天平勝宝8年〉~)
>石川人成(764年〈天平宝字8年〉~)
>巨勢公成(766年〈天平神護2年〉~)
>藤原雄田麻呂(768年〈神護景雲2年〉~)
>高麗福信(770年〈宝亀元年〉~)造宮卿 従三位
>藤原浜成(774年〈宝亀5年〉~)刑部卿 正四位下
>笠王(778年〈宝亀9年〉~)従五位下
>石川真守(781年〈天応5年〉~)正五位下
>高倉福信(再任:783年〈延暦2年〉~)弾正尹 従三位
>石川垣守(785年〈延暦4年〉~)宮内卿 従四位上
>阿保人上(786年〈延暦5年〉~)従五位上
>石川豊人(788年〈延暦7年〉~)中宮大夫 従四位上 大蔵卿
>多治比宇美(791年〈延暦10年〉~)右中弁 正五位下
>藤原内麻呂(806年〈延暦25年〉1月28日~806年〈延暦25年〉4月18日)従三位中納言
>藤原真夏(807年〈大同2年〉6月20日~807年〈大同2年〉4月26日)従四位下
>春原五百枝(806年〈大同2年〉8月20日~807年〈大同2年〉8月26日)従四位上
>安倍鷹野(808年〈大同3年〉7月9日~809年〈大同4年〉2月28日)正五位下
>礒野王(809年〈大同4年〉3月11日~ )従五位下
>吉備泉(810年〈大同5年〉7月16日~814年〈弘仁5年〉閏7月8日)正四位下→正四位上参議
>大伴国造(825年〈天長2年〉1月11日~826年〈天長3年〉1月21日)従四位上参議
>藤原綱継(826年〈天長3年〉1月21日~826年〈天長3年〉3月3日)従四位上
>大伴国造(826年〈天長3年〉3月3日~826年〈天長3年〉8月28日)従四位上参議
>石川河主( ~830年〈天長7年〉12月27日)正四位上
>道野王(836年〈承和3年〉~ )従四位下
>正道王(840年〈承和7年〉1月30日~841年〈承和8年〉6月11日)従四位下
>源信(841年〈承和8年〉7月8日~ )正三位参議
>田口佐波主(842年〈承和9年〉8月11日~ )従四位下
>林常継(843年〈承和10年〉1月12日~ )従五位下
>佐伯利世(845年〈承和12年〉1月11日~845年〈承和12年〉8月25日)正五位下
>(権守)丹墀門成(846年〈承和13年〉2月11日~ )従五位下
>※丹と門の間の字=土へんに、犀。
>
>橘本継(849年〈嘉祥2年〉1月13日~ )従五位下
>丹墀石雄(850年〈嘉祥3年〉1月13日~ )従五位上
>※丹と石の間の字=土へんに、犀。
とてつもない!
657:名無す
10/12/10 22:38:42 QECXihAc
武蔵国
領
麻布領 - 豊嶋郡 16、荏原郡 5
貝塚領 - 豊嶋郡 1
野方領 - 豊嶋郡 40、多磨郡 54、新座郡 34
峽田領(はけた-) - 豊嶋郡 36
岩淵領 - 豊嶋郡 19
戸田領 - 豊嶋郡 4、足立郡 11
淵江領 - 豊嶋郡 2、足立郡 38
西葛西領 - 葛飾郡 69
北半の「本田筋」と南半の「新田筋」に分けられる。
東葛西領 - 葛飾郡 52
北半の「上の割」と南半の「下の割」に分けられる。
二郷半領 - 葛飾郡 81
西半の「本田方」と東半の「新田方」に分けられる。
松伏領 - 葛飾郡 18
幸手領 - 葛飾郡 54
島中河辺領(しまちゅうかわべ-) - 葛飾郡 18
六郷領 - 荏原郡 34
馬込領 - 荏原郡 13
世田ヶ谷領 - 荏原郡 30、多磨郡 29
品川領 - 荏原郡 13
稲毛領 - 橘樹郡 57
神奈川領 - 橘樹郡 40、都筑郡 35
小机領 - 橘樹郡 7、都筑郡 25
川崎領 - 橘樹郡 26
金沢領 - 久良岐郡 18
本牧領 - 久良岐郡 36
府中領 - 多磨郡 44
柚木領 - 多磨郡 24
日野領 - 多磨郡 20
由井領 - 多磨郡 56
小宮領 - 多磨郡 59
三田領 - 多磨郡 55
拝島領 - 多磨郡 16
山口領 - 多磨郡 23、入間郡 41
谷古田領 - 足立郡 31
赤山領 - 足立郡 24
舎人領 - 足立郡 10
平柳領 - 足立郡 15
浦和領 - 足立郡 13
木崎領 - 足立郡 17
安行領 - 足立郡 4
三沼領(見沼領) - 足立郡 16
南部領 - 足立郡 38
上尾領 - 足立郡 6
大谷領 - 足立郡 26
鴻巣領 - 足立郡 30
忍領 - 足立郡 19、埼玉郡 64、大里郡 13、男衾郡 1、幡羅郡 32、榛沢郡 2
658:名無す
10/12/10 22:41:36 QECXihAc
武蔵国
領
石戸領 - 足立郡 21
平方領 - 足立郡 5
差扇領 - 足立郡 18
吉野領 - 足立郡 7
大宮領 - 足立郡 15
植田ヶ谷領 - 足立郡 25
与野領 - 足立郡 23
笹目領 - 足立郡 9
金子領 - 入間郡 12
河越領 - 入間郡 112、高麗郡 10
入西領(にっさい-) - 入間郡 18
高麗領 - 高麗郡 20
加治領 - 高麗郡 47、秩父郡 2
松山領 - 高麗郡 1、比企郡 50、男衾領 5
川島領 - 比企郡 54
多磨川領 - 比企郡 27、男衾郡 4、秩父郡 7
下吉見領 - 横見郡 46
岩槻領 - 埼玉郡 92
八条領 - 埼玉郡 35
新方領 - 埼玉郡 29
百間領(もんま-) - 埼玉郡26
菖蒲領 - 埼玉郡 15
騎西領 - 埼玉郡 56
向川辺領 - 埼玉郡 13
古河川辺領 - 埼玉郡 10
羽生領 - 埼玉郡 84
深谷領 - 大里郡 1、幡羅郡 13、榛沢郡 29
御正領 - 大里郡 7
上吉見領 - 大里郡 23
鉢形領 - 男衾郡 25、幡羅郡 20、那珂郡 6、児玉郡 24
岡部領 - 榛沢郡 10
本庄領 - 榛沢郡 3、児玉郡 21
藤岡領 - 榛沢郡 6
阿保領(安保領) - 榛沢郡 3、児玉郡 4、賀美郡 27
八幡山領 - 那珂郡 2、児玉郡 19
秩父領 - 児玉郡 1、秩父郡 1
659:名無す
10/12/10 22:42:58 QECXihAc
武蔵守
引田祖父(703年〈大宝3年〉~)
当麻桜井(708年〈和銅元年〉~)
大神狛麻呂(715年〈霊亀元年〉~)
多治比縣守(719年〈養老3年〉~)
布施国足(731年〈天平3年〉~)
多治比広足(738年〈天平10年〉~)
紀清人(746年〈天平18年〉~)
平群広成(752年〈天平勝宝4年〉~)
石川麻呂(754年〈天平勝宝6年〉~)
高倉福信(756年〈天平勝宝8年〉~)
石川人成(764年〈天平宝字8年〉~)
巨勢公成(766年〈天平神護2年〉~)
藤原雄田麻呂(768年〈神護景雲2年〉~)
高麗福信(770年〈宝亀元年〉~)造宮卿 従三位
藤原浜成(774年〈宝亀5年〉~)刑部卿 正四位下
笠王(778年〈宝亀9年〉~)従五位下
石川真守(781年〈天応5年〉~)正五位下
高倉福信(再任:783年〈延暦2年〉~)弾正尹 従三位
石川垣守(785年〈延暦4年〉~)宮内卿 従四位上
阿保人上(786年〈延暦5年〉~)従五位上
石川豊人(788年〈延暦7年〉~)中宮大夫 従四位上 大蔵卿
多治比宇美(791年〈延暦10年〉~)右中弁 正五位下
藤原内麻呂(806年〈延暦25年〉1月28日~806年〈延暦25年〉4月18日)従三位中納言
藤原真夏(807年〈大同2年〉6月20日~807年〈大同2年〉4月26日)従四位下
春原五百枝(806年〈大同2年〉8月20日~807年〈大同2年〉8月26日)従四位上
安倍鷹野(808年〈大同3年〉7月9日~809年〈大同4年〉2月28日)正五位下
礒野王(809年〈大同4年〉3月11日~ )従五位下
吉備泉(810年〈大同5年〉7月16日~814年〈弘仁5年〉閏7月8日)正四位下→正四位上参議
大伴国造(825年〈天長2年〉1月11日~826年〈天長3年〉1月21日)従四位上参議
藤原綱継(826年〈天長3年〉1月21日~826年〈天長3年〉3月3日)従四位上
大伴国造(826年〈天長3年〉3月3日~826年〈天長3年〉8月28日)従四位上参議
石川河主( ~830年〈天長7年〉12月27日)正四位上
道野王(836年〈承和3年〉~ )従四位下
正道王(840年〈承和7年〉1月30日~841年〈承和8年〉6月11日)従四位下
源信(841年〈承和8年〉7月8日~ )正三位参議
田口佐波主(842年〈承和9年〉8月11日~ )従四位下
林常継(843年〈承和10年〉1月12日~ )従五位下
佐伯利世(845年〈承和12年〉1月11日~845年〈承和12年〉8月25日)正五位下
(権守)丹墀門成(846年〈承和13年〉2月11日~ )従五位下
※丹と門の間の字=土へんに、犀。
橘本継(849年〈嘉祥2年〉1月13日~ )従五位下
丹墀石雄(850年〈嘉祥3年〉1月13日~ )従五位上
※丹と石の間の字=土へんに、犀。
660:名無す
10/12/10 22:43:53 QECXihAc
武蔵守
橘本継(849年〈嘉祥2年〉1月13日~ )従五位下
丹墀石雄(850年〈嘉祥3年〉1月13日~ )従五位上
※丹と石の間の字=土へんに、犀。
文屋笠科(851年〈嘉祥4年〉1月16日~ )従五位上
良岑長松(858年〈天安2年〉1月16日~ )従五位上
(権守)房世王(858年〈天安2年〉2月5日~858年〈天安2年〉3月8日)従四位下
(権守) 平春香(861年〈貞観3年〉2月16日~ )従五位上
藤原忠雄(862年〈貞観4年〉1月13日~ )従五位下
(権守) 平有世(864年〈貞観6年〉1月16日~ )従五位上
橘春成(867年〈貞観9年〉1月12日~同年2月11日)従五位上
藤原安棟(872年〈貞観9年〉2月11日~ )従五位下
紀安雄(877年〈元慶元年〉~ )従五位上
(権守)源行有(883年〈元慶7年〉~「884年〈元慶8年〉2月5日」)従五位上
藤原貞幹(885年〈元慶9年〉1月16日~ )従五位上
源長淵(885年〈元慶元年〉2月20日~ )従四位上
棟貞王(887年〈仁和3年〉5月13日~ )従四位上
藤原邦基(906年〈延喜6年〉8月28日~910年〈延喜10年〉2月15日)
藤原高風(917年〈延喜17年〉1月29日~ )正五位下
高向利春(918年〈延喜18年〉2月29日~ )従五位下
日奉宗頼(932年〈承平2年〉~ )
(権守)興世王(「938年〈元慶元年〉2月~940年〈元慶3年〉2月」)
百済貞連(939年〈元慶2年〉)>5月15日~ )従五位下
藤原秀郷(940年〈元慶3年〉3月9日~ )従四位下
平公雅(942年〈元慶5年〉~ )
藤原敏有
源経基正四位上
源満仲(949年〈天暦3年〉3月=平安遺文補262に在任記事 )従五位上
源満政従四位下
源満季従四位上
藤原寧親(996年〈長徳2年〉1月25日~999年〈長保元年〉10月19日)従五位下
源頼平
藤原惟経(1040年〈長暦4年〉1月25日~ )
藤原長賢(1091年〈寛治5年〉1月28日~ )
藤原成実(1095年〈嘉保2年〉~1102年〈康和4年〉7月11日)従五位下
藤原行実(1103年〈康和5年〉2月30日~同年8月13日)正四位下
源顕俊(1103年〈康和5年〉11月1日~「1107年〈嘉承2年〉7月24日」)従五位下→正五位下
高階経敏(1112年〈天永3年〉1月27日~1119年〈元永2年〉11月)
(権守) 紀為宗(1116年〈永久4年〉1月~「1119年〈元永2年〉5月30日」)従五位下
藤原公信(1125年〈大治2年〉12月7日~「1127年〈大治4年〉7月3日」)
(権守) 橘盛賢(1127年〈大治4年〉2月17日~ )従五位下
(権守) 惟宗貞光(1137年〈保延3年〉1月30日~ )
藤原季行(1142年〈康治元年〉12月30日~1150年〈久安6年〉7月28日)従五位上
藤原信頼(1150年〈久安6年〉7月28日~1157年〈保元2年〉8月23日)従五位上→従四位上
(権守) 藤原有盛(1153年〈仁平3年〉1月22日~1155年〈久寿2年〉10月26日)
藤原信説(1157年〈保元2年〉>~ )従五位上
平知盛(1160年〈永暦元年〉2月28日~1166年〈仁安元年〉)従五位下→正五位下
平知盛(1167年〈仁安2年〉2月11日~同年12月30日)従五位下
平知章(1183年〈寿永2年〉~同年8月6日)従五位上
661:名無す
10/12/10 22:45:11 QECXihAc
武蔵守
一条忠頼
足利義兼
平賀義信(1184年〈元暦元年〉6月20日~1195年〈建久6年〉)従五位下
平賀惟義正四位下
平賀朝雅従五位上
大江親広
足利義氏
北条時房(1210年〈承元4年〉>1月14日~1217年〈建保5年〉12月12日)従五位下
北条泰時(1219年〈承久元年〉11月13日~1238年〈暦仁元年〉4月6日)従五位上→従四位上
北条朝直(1238年〈暦仁元年〉4月6日~1243年〈寛元元年〉7月8日)従五位上→正五位下
北条経時(1243年〈寛元元年〉>7月8日~1246年〈寛元4年〉4月19日)正五位下
北条朝直(1246年〈寛元4年〉4月15日~1256年〈康元元年〉7月20日)正五位下
(権守)北条時広(1247年〈宝治元年〉3月6日~1258年〈正嘉2年〉1月13日)従五位下
北条長時(1256年〈康元元年〉7月20日~1264年〈文永元年〉7月3日)従五位下→従五位上
北条宣時(1267年〈文永4年〉6月23日~1273年〈文永10年〉7月1日)従五位下
北条義政(1273年〈文永10年〉7月1日~1277年〈建治3年〉4月4日)従五位下
北条宗政(1277年〈建治3年〉6月17日~1281年〈弘安4年〉8月9日)従五位下
北条時村(1282年〈弘安5年〉8月23日~1304年〈嘉元2年〉6月6日)従五位下→従四位下
北条久時(1304年〈嘉元2年〉6月6日~1307年〈徳治2年〉2月9日)従五位上→正五位下
北条煕時(1307年〈徳治2年〉2月9日~1311年〈応長元年〉10月24日)正五位下
北条貞顕(1311年〈応長元年〉10月24日~1319年〈元応元年〉2月)正五位下→従四位下
北条守時(1319年〈元応元年〉2月18日 ~1326年〈嘉暦元年〉8月)正五位下
北条貞将(1326年〈嘉暦元年〉9月4日~1333年〈正慶2・元弘3年〉5月22日)従五位下か?
足利尊氏(1333年〈正慶2・元弘3年〉8月5日~1334年〈建武元年〉9月4日)正三位
(権守)高師直従五位下
細川頼之(1368年〈応安元・正平23年〉4月5日~1379年〈康暦元・天授5年〉閏4月14日)従五位下
新田義宗
新田貞方
細川勝元(1449年〈文安6年〉4月14日~ )従五位下
細川高国(1521年〈大永元年〉11月12日~1525年〈大永5年〉4月21日)従五位下
蒲池鑑久
葛西宗清
戸田勝成
新納忠元
青木重直
森長可従五位下
池田輝政従四位下
織田信吉従五位下
種子島忠時
織田信行
662:名無す
10/12/10 22:46:19 QECXihAc
武蔵介
三嶋廬原(759年〈天平宝字3年〉7月3日~)
高麗大山(761年〈天平宝字5年〉10月1日~)
藤原雄田麻呂(767年〈神護景雲元年〉2月28日~)正五位下
弓削御浄廣方(768年〈神護景雲2年〉4月12日~)従五位下
安倍浄目(772年〈宝亀3年〉4月20日~)
高麗石麻呂(778年〈宝亀9年〉2月4日~)従五位下
建部人上(782年〈延暦元年〉6月20日~)従五位下
都努筑紫麻呂(790年〈延暦9年〉3月10日~)従五位下
平春香(860年〈貞観2年〉1月16日~861年〈貞観3年〉2月16日)従五位上
源経基(「938年〈天慶元年〉2月から将門記所載~940年〈天慶3年〉1月9日」、日本紀略所載)六位~従五位下
藤原真枝
守護
鎌倉幕府
1184年~1195年 - 平賀義信
1207年~1239年 - 北条時房
1240年~? - 北条泰時
1245年~? - 北条経時
?~1256年 - 北条時頼
1256年~? - 北条長時
1266年~1272年 - 北条時宗
1279年~? - 北条時守
1292年~1310年 - 北条貞時
?~1333年 - 北条高時
663:名無す
10/12/10 22:46:44 reD2C6rd
三河の田舎者がw