10/03/21 08:50:50 9YvqpMx2
そういう理屈なら 出雲>九州≧奈良・伊勢>京都≧鎌倉ということになる
邪馬台国は出雲系か
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大和朝廷成立以前の大和には、出雲の神々を奉じる邪馬台国があったと想定してみると、
日本の古代史は、まったく別の様相を帯びてきます。
九州にルーツをもつ初期大和政権は、
畿内大和を支配していた出雲系の邪馬台国から、
王権を譲り受けたか、あるいは奪ったのではないか、と私は考えています。
『日本書紀』には、箸墓に葬られた百襲姫(倭迹迹日百襲姫)
が三輪山の神と結婚したことが述べられていました。
百襲姫に卑弥呼を重ねてみると、
やはり邪馬台国が出雲系だったことが考えられます。
一方、日本神話には出雲の国譲りが述べられています。
葦原中つ国(日本)の支配権が出雲の神々から天孫族の神々に譲られるというものです。
神武東征説話と、出雲の国譲り神話、このふたつの話はともに、
大和朝廷の勢力が別のある勢力から大和あるいは列島の支配権を譲り受けたことを物語っています。
今となってはそこに、邪馬台国が重なってくるのです。
すでに大和朝廷成立以前の日本列島では、
出雲を宗教的な故地とする出雲文化圏のようなものが存在していたのではないか、と私は考えています。
その出雲文化というのは、おそらく縄文時代にまでさかのぼるルーツを持ち、
列島の多くをすでに覆っていたのではないか。
しかし、大陸との交流が活発化する弥生時代後期になると、出雲文化圏の中心地は大和に移っており、
大和の王権、すなわち邪馬台国が成立したのではないか、
という推理です。初期大和朝廷は、その邪馬台国から王権を譲り受けている、
言葉を代えていえば、奪っているのではないか・・・・。
大和朝廷とはいうまでもなく、天孫系の天照大神を奉じる王朝です。その歴史を正当化する「記紀」では、
出雲の神々はむしろ冷遇されています。
邪馬台国から大和朝廷への政権の移行には、おそらく王統は連続せず、
実際には王権の簒奪のようなことが行われたのではないか・・・・、
こんな構図が見えてくるのです。