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『邪教などは、みんなうまいことを言って、金を巻き上げ、教祖のために、
教団の勢力のために、それも本当に人々を救えるなら許せるけれども、
全部が地獄に落ち、民衆が教祖にだまされ、そして教祖は立派な家ば
かり作り、民衆は最後には乞食みたいになってしまう。
これが、邪宗教の姿です。創価学会としては、永久に皆さん方から、た
だの一銭も寄付を願ったり、供養を願うようなことはいたしません。』
(昭和37年6月16日付聖教新聞より-池田会長(当時)の講演)
このなかにだって、財布のなかに十円玉1つぐらいしかない人と、千円札を
何枚も持っている人といるはずです。それは、生存競争ということが、世の常
でありますから。また、それ以上の問題は、宿命ということがあるからです。
原子爆弾が落ちても、広島の人がみんな死んでしまったわけではない。死ん
だ者と、けがした者と、助かった者とある。病人が多くなったからといって、みな、
病人ではない。そうなれば、だれもが、金のあるほうへはいりたい。あぶないことが
起こったら、死なないほうへはいりたい。病気であったら、病気でないほうへはい
りたい。それはあたりまえです。
それが、できることなら、だれしもそうなりたいが、では、どうしたらいいのか。それ
はなんでもないことです。
日蓮正宗の大御本尊様を信ずれば、それですむのです。
(『戸田城聖全集』第2巻315頁