10/11/04 20:04:59
大便そのものの味が好きでたまらないという人もいるのだろう。
その嗜好をもつに至る原因は種々様々あると思うが、
しかしやはり第一義には食糞とは人間のうちの愛情表現で究極であるからだと思う、いや極北と言うべきか。
異性なら誰とでも性交出来るというわけでないのと同じく、「あ、この子のウンコ食べたいですね」と思わせる相手だからこそ食せるのだ。
もちろん食糞行為が社会から異端視されるものであることは承知しているが、考えてみて欲しい。
恋人同士のキスとはいわゆる唾液交換だ、好きな相手だからこそ、その分泌液を求める。その行為は異常か?
さすれば何故、食糞だけが人間生活において常軌を逸した変態的行為との誹りを受けよう。
大便には愛する人の、唾液が胃液が膵液が胆汁が腸液が、代謝し落剥した臓器の一欠けらが含まれている。
大便とは彼女の、口蓋を食道を胃を腸を、肛門を通過した旅人だ。
彼女が全内臓を躍動させ変化させた食物の姿、まさに彼女自身が宿った大事な大事な尸童だ。
彼女の脱糞、全身を緊張させ、うんっ、と顔を歪ませながらいきみ、蕾のような菊座を、やがてみるみると花開かせ、
豆の炒ったような芳しさを辺りに漂わせながら乱れ出るは黄金の嬰児。あぁ、神よ私は我が妻を我が子を愛さずにはいられない。
性欲と父性愛は渾然一体となり、摂理に導かれるように手で支え、熱狂のうちに舐め、吸い吸い受け止める。我が子よ!あぁ愛おしい我が子。私が父だ。
彼女の肉塊、彼女の分身は茶渋の薫り。それは鼻腔を熱風の如く駆け抜け、歓喜と狂乱と引き連れて、肺腑に広まる。
苦くも甘い恋の苦悩もそこそこ、融け流された黄金はあっという間に舌を滑り落ちる。
彼女の美糞は直接自分の胃へと、一本の臓腑と一本の臓腑が接吻を交わすように排便されるのだ、この灼熱のシンクロニティ。
愛し合う感動、これを味わうには食糞をおいて他にないのである。