10/10/11 09:38:47 Huy/2UX8
「武富士対山口組」P25ーP28から抜粋
武井が上京するのは昭和26年頃である。国鉄神田駅近くのパチンコ店に
就職する。彼はここで景品係だった女性と所帯を持ったが、このころの
武井の生活は、すさんだものだったようである。仕事もせず、花札賭博や
競輪にうつつをぬかす日々だった。
昭和36年10月、武井は食管法違反(ヤミ米売買)で東京.志村署に
検挙され、罰金2万円の科料に処せられる。
ヤミ米のトラックを運転中、板橋区内でトラックの中から「どう、乗らない」
と声をかけた。現在の武井の妻になった博子である。武井は博子と出会った
ことにより前妻と2人の子供を捨てることになる。
昭和40年、武井は食管法違反で赤羽署に検挙され、罰金5千円が科せられた。
検挙された翌月、個人営業の小口金融をはじめ、翌41年9月、富士商事を
設立した。武富士の原点である。彼の取立ては徹底していた。友達であろうと
容赦なく金目のものをさらうようにして持っていった。昭和43年2月に
傷害容疑で池袋署に検挙され、1万円の罰金に科せられているが、これも
取立てにからむ暴力事件だといわれている。