11/11/17 16:38:01.94 h2aAITPX
652です。
>657の方、
私は一言も木村氏が朝鮮系とか同和とか言っていません。
感情論で語らず、よく文面を読んでからものを言ってください。
自分より前のスレからおかしな話になっているので、それを否定する意味で
説明したにすぎませんので。
再度説明すると猿島地区の木村氏は日本人です。上記の2つとは関係ありません。
659の方、関東では木村氏の出自は大きく2流あるようです。
木村氏で検索して見ると出自が出ていますよ。
(自分は専門家ではないので、詳細の分析はできません。
あくまでも額面のみの内容で見ています。その点を了承してください)
1つは下野国(栃木県)の藤原系、もう1つは下総国の
千葉氏系です。千葉氏は、桓武平氏千葉氏で、遠祖は平良文(将門公の叔父)
となります。その支流に木村氏がいるということですかね。
両一族は、ともに多くの子孫を現在に残しています。
猿島地区・岩井地区で古くから居住している方の木村氏の家紋は、以前お盆にいった時、
藤の花系の家紋が多いなと思い、藤の花系の家紋=藤原氏の代表的な家紋、と解しました。
栃木県栃木市都賀町大字木(昔は木村と読んでいました)に居を構えた、藤原秀郷
(栃木県、平安時代の豪族で、岩井の北山の合戦で平将門公を倒した豪族)の子孫
が木村の姓を名乗ったという経緯から、藤原系と何らかのゆかりがあるのでは。
と思いました。
おそらくこの木村氏は何らかの合戦で負けたか、或いは、結果として反政権側となってし
まったかで、落武者となり、下野国からいなくなり、或いは武士を捨てて農家となったの
ではと・・・
下総国の千葉氏の代表的な家紋は、月系、九曜の紋等で、藤とは関係ないのが一般的です。
いずれにしても現在の戸籍でも江戸時代(厳密に国籍をとらえていた時代)まで遡ることができる
ので、猿島出身で木村氏はまず日本人と思います。外国人は農家はできなかったと思いますよ。
なぜなら、当時の農家の人たちは、外国人に農地を譲渡したりしないと思いますよ。
当時は今以上に農地は命と同じだったでしょうから。
外国人も農家よりはすぐにお金になる手っ取り早い職業を選んだと思うのが自然では・・・