10/11/28 14:23:19 iPOJO8Zf0
なんとなくわかってきたことがある。
理系→専門知識 と 文系→人づきあいの知識
これはちがうな。
理系にしても、文系にしても、共通的に「専門知識」はある。
「人づきあいの知識」っていうのは、日常経験で得られるものもあるし、教育によって得られるものもある。
エリート面していいのは、「人づきあいの知識」を持った人なのでしょ。
社会で劣等生になりやすいのは、理系でも文系でも、「人づきあいの知識」のない人でしょ。
でもね、理系か文系かは別として、画家のゴッホは、その時代の劣等生だったかもしれないけど、後世の優等生なんだと思うぞ。
死んでから咲く花だってあるくらいだから、生きている人間が、絶望する必要はないと、きっぱりと言おう。
しかしながら、誰かに憎悪の気持ちが生まれたり、その誰かが「自分」であったりするのは、端的に、「好き・嫌い」の話だけなんだ。
だから、そういう問題を解消しようとしたとき、こんなことを考えればいいんだと思うぞ。
「どうして、ヤツが嫌いなんだろう?、「どうして、オレを好きになれないんだろう?」
たいがい、そこで見えてくるのは、こういうことが多いんだと思うぞ。
「オレは、『自分』がきらいだ。それは、○○だからだ。その○○をおもいっきり丸出しにして生きているヤツが、もっと嫌いだ。」
何故かっていうと、「人は、経験したこと、そこから想像で認識できることしか、見えないから」だ。
ちなみに、オレの尊敬する小料理屋の板前さんは、包丁から手を離したときだって、尊敬できるぞ。
専門知識や技能がなくたって、いや、そういう部分で尊敬したいオレがいるんだと思うぞ。