いま聴いている曲を書き込んでみるスレ その79at CLASSICAL
いま聴いている曲を書き込んでみるスレ その79 - 暇つぶし2ch413:名無しの笛の踊り
10/11/11 14:32:31 Pr12QPWV
アントン・エーベルル - Anton Eberl (1765-1807)
ピアノ・ソナタ全集(ジョン・コーリ)
URLリンク(ml.naxos.jp)

アントン・エーベルルは
宮内省の官僚である父ヨーゼフ(Josef Eberl)のもとに
ウィーンに生まれる。早くも少年時代に目ざましい活躍に
よってピアニストとして頭角を顕す。
9歳年長のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトにも
才能を認められて弟子入りし、モーツァルトの友人となった。
1791年にモーツァルトが亡くなると、哀悼カンタータ
《モーツァルトの墓前にて(Bey Mozarts Grab)》を作曲する。
モーツァルトの死後も遺族と関係を保ち、1795年から
1796年までの冬に、モーツァルトの未亡人コンスタンツェと
その姉アロイジアに同行して、ハンブルクやライプツィヒに
演奏旅行に赴いた。1796年3月28日に
アンナ・マリア・シェフラーと結婚してサンクトペテルブルクに赴任し、
ロシア帝国の宮廷楽長や皇室付き作曲家、
ヴィルトゥオーゾのピアニスト、ならびに
皇族の音楽教師として活動した。
1803年よりエーベルルの名が再びウィーンの街を賑わせる。
歌劇《暗い島の姫君(Die Konigin der schwarzen Inseln)》は、
確かに聴衆には受けなかったものの、
ヨーゼフ・ハイドンはその音楽を好んだ。
エーベルルはふんだんに作曲し、作品は上演されると大成功を
迎えるようになる。
《ピアノ協奏曲ハ長調》作品32は非公開で初演された。
《交響曲 変ホ長調》作品33は、1805年4月に、
ベートーヴェンの《「英雄」交響曲》と一緒に初演されており、
「英雄」よりも明らかに好評であった。
1806年に名声の絶頂を迎えたが、ウィーンに戻ってから2・3ヶ月後に、
敗血症により非業の死を遂げた。


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch