11/02/03 01:29:23 XrEiXl2o
>>881
「相応のもの」のひとつの例は前回大野がキャンセルした都響の公演での対応。
都響は頸椎を痛めた大野の代役に広上を選んだ。
これが「少なくとも同格だと納得できるだけの指揮者を代役にすえる」という良心。
もうひとつはアルゲリッチが娘の出産立ち会いのために別府から東京に来なかったフィラ管公演時のKAJIMOTOの対応。
代役にポゴレリチを選び、しかも希望者にはきちんと払い戻しに応じた。
これが「相応の代役を用意するが、それでも本人しか聴きたくないという人には誠実に応える」という良心。
おわかりかな?