10/11/27 15:02:46 eyMiIYXj
ヤナーチェクはメロドラマのBGM
896:名無しの笛の踊り
10/11/29 09:31:31 a2fQuafM
>>895
シンフォニエッタしか聴いたことないだろ?
897:名無しの笛の踊り
10/11/29 18:22:32 Mu6XoJkM
モーツァルトの場合、音符の前にもう音楽が出来上がっているのだ。
「たとえそれがどんなに長いものであろうとも、私の頭の中で実際に殆ど完成される。私は、丁度美しい一幅の絵或いは麗しい人でも見る様に、心のうちで、一目でそれを見渡せます」
だからモーツァルトは人と冗談話を交わしながらも、お酒をのんで騒ぎながらも、平然と「神の声」を五線紙に書けた。
「神の声」はどこからやって来るのか?
「それがどこから来るのか、どうして現れるのか私には判らないし、私とてもこれに一指も触れることは出来ません」
何を?
「自分に天才が宿っていることを」を。
自然はあるがままにあるし、神もあるがままにある。
問題があるとすれば「速い」ということだ。
彼の音楽に少し注意深く耳を傾けてみれば、自ずとそう聴こえてくるはずである。
始まりと終わりの「同時性」。
原子核の構造であれ、宇宙の謎であれ、「単純性」と「調和」こそに、解く鍵があるように思えてならない。
この世界で最も単純かつ神秘に満ちているものを記号で表すと、モーツァルトならこう言うだろう。
「π」だと。
私はそう「直観」している。
898:名無しの笛の踊り
10/11/29 20:40:48 QVA+jMrT
コピペ乙。そういえば、ラファ隔離スレついに死んだな。
慶賀の至りw本人が死ねばさらにめでたいのだがw
899:名無しの笛の踊り
10/12/01 17:53:09 OegmKAAu
ベートーヴェンがあそこまで個性を出せたのは、古典様式がほぼ確立していた時期に、
10代~20代を過ごしたのが大きいと思うね。
子供のときにどういう音楽に接してきたかが大きな要素だと思う。
モーツァルトが子供のときには、ハイドンの後期やモーツァルト自身の後期の曲というのは
まだまだ先の未開拓の世界だったわけだから。
900:名無しの笛の踊り
10/12/01 19:47:17 EGsAogpF
>古典様式
「美と呼ぼうが思想と呼ぼうが、要するに優れた芸術作品が表現する一種言い難いものは、その作品固有の様式と離すことは出来ない。
(略)この原理が形式に於いて、どのような危険に曝されているかに注意する人も意外に少ない。
注意しても無駄だという事になって了ったのかもしれない」(小林秀雄)
この場合の様式とは、音楽史上の古典派とかなんとかいう事ではなく、モーツァルトの作曲の流儀なのである。
ピアノソナタは幼児に限るとはそういう意味である。道はすでにある。
道があるからそこを進む。
識者が「近代」に「不安」を読み取った時、その遥か以前に、モーツァルトは気付いていた。
『自由のシノニムは孤独さ』と。
901:名無しの笛の踊り
10/12/02 00:38:34 dEf6jP2c
モーツアルトの音楽は、ひとつの虚無だ
そこには、何もない
聴衆はそこに自己を発見して感動する
BGMとしてのモーツァルトは、だから音の羅列に過ぎなくなる
悲しい時には悲しく、嬉しい時にはハツラツと、それは自在に響く
こんな音楽を、手放すことはできんよ
モーツァルトがつまらなくなったら、自分自身が虚無になったということだろう
生きているうちは、その日が来ないことを願う
902:名無しの笛の踊り
10/12/02 06:02:46 Ku0RFaGY
音楽は鏡だからなぁ
903:名無しの笛の踊り
10/12/02 09:39:07 KRCt9irW
家で良く聴くモーツァルトだが生演奏を聴いてもあまり感動した覚えはない
だけどベートヴェンの生演奏は何聴いても発見と興奮を得られる
これは私の中身が無いということなのか
904:名無しの笛の踊り
10/12/02 10:50:27 Wg7XjjIi
モーツァルトはオーディオ向き。
ベートーヴェンは生演奏向き。