11/07/17 09:40:55.64 BWRojQ9x
昭和30年代の、「社会派推理小説」は、人がやむを得ず犯した事件を追うことで、
人や社会や時代のあれこれを浮かび上がらせることが主目的だった。
「点と線」とか「飢餓海峡」とかね。
また、謎解きとか、特に「動機の解明」ってやつに、読者と捜査陣が同時にたどり着いたとき、
思わず「ああ!」と声を上げる「本格推理小説」でもあったわけ。
でも、高村のは「社会派」的なアイルランド過激派をめぐる状況や、
リアルな警察組織の実体を細かく描写しようとするのに、黒幕の正体や犯罪の動機なんか、
「ええ!こんなの!」って感じで「不条理」感に溢れてたねえ。
まあ、殺人なんて誰にでも納得できる理由なんて、ほんとはありえないんじゃないかとも思う。
(「太陽が眩しかったから」とか。ちょっと古すぎるか)
その辺りを理性的に解明できる、だれにも納得できるっていう、ミステリーの古典的な約束事は、
高村にはどうでもよかったんじゃないかな。
俺にとっては高村は、「マークス」ではじまって、そのままハマっていったから、
変な文体や言葉遣い、独り勝手な比喩や衒学趣味も味だったなあ。
(ポリフィーリーなんていう呼び名を、捜査官につけるか、普通)
ミステリー作家としての高村は、「蓼食う虫も好きずき」ってとこか。
話題の「晴子情話」も、また読んでみよう。
よかったね493、読者が増えたぜ。