11/10/19 16:12:10.32 JdjKk9cq0
社会と言うのはな、耳…情報を中心に動いてるわけ。
しかし、その、耳と言う器官は、どこからどこまで確かに情報が伝わったと言う明確なものは一切ないわけ。
伝わっていても知らない素振りも出来るし、実際、伝わっていないのに伝わった素振りも出来るわけ。
その情報の本拠はどこにも確認出来ないわけ。
しかし、頭上で目配せしあう健聴者かな。
その目配せな自分に、この世での存在価値を大きく強く実感として、生きるエネルギーが真髄に漲る健聴者かな。
それを尻目に、見世物小屋の軒が並ぶ世界と一般社会の狭間に、野面石の如く聳える塀の上で、
両腕を横に広げ、体を左右に傾かせながらゆっくりと大股で歩く難聴者かな。