11/02/22 22:59:30.87 fVesIAGE0
>>270
拍子抜けした。人の発達について考えた事もないなら話してもしょうがない。
>>271
体も考えるという言い方はとても分かりやすくて使いやすい。
下体の充実のために、全力で鍛えていた際に
下に、下にという感覚を完全に支えられる下半身と、
下からの力を支える胴幹、背骨の感覚。
そしてそれらを統括する意志の力。そういった鍛錬の瞬間を考えると
体も考えるという言い方がしっくりくる。
それにみぞおちを織り込むような自信を失った時の肩を落とす姿勢は、
神経系への圧迫とともに、内分泌系の乱れも生じさせる。
結果落ち込んだ辛い感覚が生まれる。
内分泌系の乱れも人は感情として捉え、そしてそれを土台に思考をする。
やはり人は神経系全体で考えると言って過言では無いのだろう。
そうした見方の総合した体育観は有意義だと言える。
>>303
実際には成るのだが。
丹田の位置を理解した時、それを悟ったよ。
何らかの思考に寄るところのない、純粋な自己の意志。
自己の意志でなければこの丹田の位置を保持出来ない、
言い換えるとその丹田を押さえる事は純粋な自己の意志の自覚に通じるのだと
理解している。