11/10/31 20:13:30.86
<前略>
TPPというスキームは前にも書いたとおり、ある種のイデオロギーを伏流させている。
それは「すべての人間は一円でも安いものを買おうとする(安いものが買えるなら、自国の
産業が滅びても構わないと思っている)」という人間観である。
かっこの中は表だっては言われないけれど、そういうことである。
現に日本では1960年代から地方の商店街は壊滅の坂道を転げ落ちたが、これは「郊外の
スーパーで一円でも安いものが買えるなら、自分の隣の商店がつぶれても構わない」と商店
街の人たち自身が思ったせいで起きたことである。
ということは「シャッター商店街」になるのを防ぐ方法はあった、ということである。
「わずかな価格の差であれば、多少割高でも隣の店で買う。その代わり、隣の店の人には
うちの店で買ってもらう」という相互扶助的な消費行動を人々が守れば商店街は守られた。
「それでは花見酒経済ではないか」と言う人がいるだろうが、経済というのは、本質的に
「花見酒」なのである。
落語の『花見酒』が笑劇になるのは、それが二人の間の行き来だからである。あと一人、
行きずりの人がそこに加わると、市場が成立する。その「あと一人」を待てなかったところ
が問題なのだ。
商店街だって店が二軒では「花見酒」である(というか生活必需品が調達できない)。
何軒か並んで相互的な「花見酒」をしていれば、そこに「行きずりの人」が足を止める。
循環が活発に行われている場所に人は惹きつけられる。
だから、何よりも重要なのは、「何かが活発に循環する」という事況そのものを現出される
ことなのである。
「循環すること」それ自体が経済活動の第一の目的であり、そこで行き来するもののコンテ
ンツには副次的な意味しかない。
「一円でも安いものを買う」という「未熟な」消費行動は、多くの場合「商品の循環」を
促す方向に作用する。
けれども、つねに、ではない。
後期資本主義社会においては、それがすでに商品の循環を阻害する方向に作用し始めている。
それがこの世界的な不況の実相である。
未熟で斉一的な消費行動の結果、さまざまな産業分野、さまざまな市場が「焼き畑」的に
消滅している。
資本主義は「単一の商品にすべての消費者が群がる」ことを理想とする。
そのときコストは最小になり、利益は最大になるからである。
けれども、それは「欲望の熱死」にほとんど隣接している。
商品の水位差がなくなり、消費者たちが相互に見分けがたい鏡像になったところで、世界は
「停止」してしまう。
資本主義はその絶頂において突然死を迎えるように構造化されている。
私たちは現に「資本主義の突然死」に接近しつつある。
その手前で、この流れを止めなければならない。
それはとりあえず「消費者の成熟」というかたちをとることになるだろう。
「パーソナルな、あるいはローカルな基準によって、予測不能の消費行動をとる人になる
こと」、資本主義の「健全な」管理運営のために、私たちが今できることは、それくらいである。
TPPは「国内産業が滅びても、安いものを買う」アメリカ型の消費者像を世界標準に前提
にしている。
まさにアメリカの消費者はそうやってビッグ3をつぶしたのである。だが、それについての
深刻な反省の弁を私はアメリカ市民たちからも、ホワイトハウス要路の人々からも聞いた
覚えがない。
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(つづく)