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通勤に1時間を要する人の場合、職場に歩いて通える人と同程度の満足度を得るためには、
その人よりも40%多くお金を稼がなければならない―お金と幸福の関係について考察。
贅沢な生活から必ず利点が得られるわけではなく、得られるものが減少していくこともあるという
ことについて、デイビッド・ブルックスは『New York Times』紙に優れたコラムを書いている。
お金をかけることでプライバシーや優雅さは得られるものの、生き生きとした社会性を
失うということがしばしばある。
筆者がかつて訪れた大学には、『Hillel House』というユダヤ人会館があり、それは大きくて
豪奢な建物だった。しかし学生たちは、近くの『Chabad House』のほうが好きだという。
そちらはルバビッチ派[正統派ユダヤ教の一派]が運営する場所で、ソファは裂け、部屋は狭かったが、
そちらのほうがくつろげると学生たちは話していた。
この「くつろぎの境界線」は、ほかのレストランやバー等にも存在しうる。安食堂や
ファミリーレストランでは、人々はリラックスして大声で笑い、会話に割り込み、
集団的な幸福感がある。ウェイターにも話しかけ、別のテーブルの人に話しかけることすらある。
一方、より上品なレストランでは、食事は上質で雰囲気も洗練されているが、どんな
行動が許されているかについてはより厳しいルールがある。(略)
近隣コミュニティーも同様だ。アラン・アーレンホールトの『The Lost City』によれば、人口密度が
高かったかつてのシカゴでは、子供たちは家から家へと移動し、人々がたむろしておしゃべりをする
ことも多かった。そして、お金ができた人は、もっと大きな家に住める郊外に移動したが、そこは隣人
のことを誰もがよく知らない社会だった。
われわれの社会は幸福を追求しようとしているが、そこにはパラドックスがある。2002年のノーベル
経済学賞を受賞した米国の心理学・行動経済学者ダニエル・カーネマンは、数十年にわたって幸福を
研究してきた成果を、次のように総括している。「幸福とは、自分の愛する人、自分を愛している人と
ともに時間を過ごすことだと言っても、あながち言い過ぎではない」。
しかし問題は、われわれがこの原則に従ってお金を使うわけではないということだ。われわれは、
ロレックスの時計やルイ・ヴィトンのバッグ、プラダのTシャツといったものにお金を費やしたがる。
(>>2以降に続く)
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