11/08/07 13:45:17.32
博士課程が大学教員を養成するのに役だつことはある。
企業研究職の一部にもなれるだろう。しかしながら、博士の大半は、専門とは何の関係もない職に就く。
その知識は、彼らの頭の中に死蔵され、世の中の役に立つことはない。
言い換えると、博士になったことで、その他就職組の生涯所得は減少してしまう。
このメリットとデメリットを比較衡量すると、
デメリットの方が大きいので(大学教員の所得はさして高いものではないので、その他就職組の所得減少を補うことはできない)、
博士課程そのものを無くしてしまった方がましだろうというのが私の主張だ。
この問題の背後には、年齢制限に厳しい雇用慣行がある。
たかだか、5年程度就職が遅れただけで、「2階」に上がれなくなってしまう理不尽さは理解しているが、
変える方策がないので、受け入れるしかない。
学部教育の大半は無駄だが、学部を修了したからといって、
就職が高卒より不利になるわけではない(機会費用を計算すればマイナスかもしれないが)。
しかしながら、大学院博士課程を出ると、確実に、学部卒や修士卒よりも、就職が不利になるのである。
もっとも、どんな進路にも不確実性はあり、本人がリスクを織り込んで進路決定をしている以上、
敗者の不利益など、どうでもいいという理屈も成り立つが、
政府が制度設計に関与している大学院制度に関しては、話が違ってくる。
政府の教育政策は、公共の利益を志向しなくてはならない。
たかだか、ちょっとだけましな大学教員を養成するために、
膨大な27歳超の未熟練労働者を作り出すことは、公共の利益にかなうのだろうかと、私は問いたいのである。
ソース:Yahoo!ニュース アゴラ
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