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シャープの町田勝彦会長が「人生で最も影響を受けた」という『坂の上の雲』(司馬遼太郎著)に
出合ったのは、ちょうど入社(昭和44年)し、小説が産経新聞の夕刊に連載されていたころだ。
近代国家勃興(ぼっこう)期を青年として前向きに生きる正岡子規や秋山好古・真之兄弟ら
主人公たち。社会人になり「何か新しいことをやろう」という気持ちだった町田氏は、
『先人のやらぬ分野がまだあるはずだ』(正岡子規)といった主人公らの強い“志”に共感した。
主人公たちの生き方は、競争の激しい電機業界に身を置く町田氏の行動哲学に影響を与える。
軍人だった秋山真之は海軍兵学校での勉学のほか、過去の戦史を調査・研究し海外でも経験を
積んだ。そして得た知識を基に、あらゆる戦況に対応できる「原理原則」を自ら考えた。
環境がめまぐるしく変化する電機業界。真之の「原理原則」の考え方に触発され、
他社にない特徴のある技術や商品しか生き残れないという町田氏の「オンリーワン戦略」が
生まれた。
社長に就任したのは平成10年。アジア通貨危機の影響も残り、日本の電機業界は不況に
あえでいた。韓国や台湾、中国勢が激しく追い上げるなか、事業の“選択と集中”が必要なことは
明らかだった。
「半導体を取るか、液晶を取るか」。当時の町田氏は決断を迫られる。
巨額の設備投資を考えれば、どちらか一方を選択せざるをえない。
町田氏は競合他社がひしめく半導体は「オンリーワン」として勝負できないと判断。液晶を選ぶ。
ところが、当時、半導体は“産業の米”と呼ばれるほどの基幹製品だった。
町田氏の判断は、社内外から批判を浴びた。
「あらゆる調査、分析をした結果」(町田氏)、成長を担う事業として自信を持って決断した。
だが、批難され「本当に正しいのか」と心が揺らいだ。
このとき耐えられたのは確固たる信念のもと行動する登場人物たちの姿を何度も読み返したからだ。
古い体制を打破し海軍の育成に尽力した山本権兵衛。自らを信じて行動する東郷平八郎らの姿が、
町田氏の心の支えになったという。
今でも『坂の上の雲』を読み返す。
「列強」の外圧にさらされ国家存亡の危機にあった当時と、東日本大震災で未曾有の国難に
直面する日本の姿が重なる。
町田氏は「今こそ国を守るという、強い意志が日本には必要だ」と、訴える。
■「坂の上の雲」 司馬遼太郎著。
昭和43年4月~47年8月、産経新聞の夕刊に連載された長編歴史小説。
俳人・正岡子規や軍人である秋山好古、真之兄弟らを中心に、近代国家の建設をめざした
明治維新から日露戦争までの躍動する日本の姿を描いている。
ソースは
URLリンク(www.sankeibiz.jp)
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