11/05/22 20:30:12.78 ecI/NW0A
>>597
徳川家康自身は、江戸というか関東がどうも嫌いだったみたいなんだよなあ。
ほとんど寄りついていない。
豊臣政権のうちは、「豊臣政権『家臣(一応)』」として京都や伏見にいた。
秀吉が死ぬと、早速大坂城を乗っ取って、「五大老筆頭」として政務を執り始めた。
関ヶ原の戦いの後は、伏見城を再建してしばらく落ち着いた後、
懐かしの静岡で、事実上の首領として政治外交を取り仕切る。ほとんど江戸にはいない。
実は、家康の時代は、「関西一極集中」が極限まで達した時代だったことが、
歴史人口学で明らかにされている。
当時、全人口の3割が近畿地方在住。つまり今の首都圏一極集中とほぼ同じレベルだった。
家康の「江戸開府」は、一種の「一極集中の緩和のための、『僻地振興政策』」に近い面があったらしい。
キャンベラやブラジリアと同じ発想で、江戸はつくられた。
だが、誰だって本音では僻地には行きたくない。ずるい家康は、家臣には江戸で仕事をさせておいて、
自分は関西や静岡にばかり滞在していたwww 酷い爺さんだと思うwww