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つうか、仙台以北と鹿児島以南を除いて、
8世紀初頭には近畿朝廷が完全に全国統一しているなんてことも知らんのか?
日本の律令国家は文字通りの公地公民で、
畿内の朝廷が戸籍を作成して人民を直接支配し、公有地を分配して租庸調を収めさせた。
この段階で、関東の古い部族社会は完全に解体され、平城京・平安京の朝廷の完全支配に服している。
室町幕府は、中央集権か地方分権かという観点からは、江戸幕府よりよほど中央集権的だった。
意外に知られていないが、守護大名というのは、全員京都に在住していた。
地方に居所を構えていたのは戦国時代の戦国大名だけで、
それも、豊臣政権が出来ると、京都・伏見・大坂のいずれかに集住するようになる。
伊達政宗など、豊臣秀吉が生きている間、ほとんど全く東北に帰っていない。
豊臣政権と比較すると、江戸幕府の「参勤交代」なるものは、
江戸への集中が徹底できなかった、徳川幕府の中央集権力の弱さを示すものと言える。
要するに、大名をずっと江戸にとどめておくことが出来ず、
半分は領国に帰さざるを得なかったということだ。この点では足利氏より徳川氏のほうがよほど「弱い」