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■科学的教養、必要な時代
限られた資源をどう配分するか--すべての人の要求を満たせない以上、あれも
これもは不可能。だから厳しくても優先順位を決め、より多くの同意を得ながら
事を進めていくというのが本来の「政治」の役割だ。しかし、同時に民主主義国家
においては、権利と義務はセット。今回の電力問題のように技術や科学がからむ
資源配分の問題では、有権者の側にもその問題を理解する努力が求められる。
まず理解しないといけないのは、電力網というシステムが、不断の努力でバランスを
取っている「動的平衡系」だということだ。電力の需要と供給は常にある幅の中で
バランスをとっていなければならない。多すぎても少なすぎても破綻する。本格的な
理解をするには電気工学の高度な知識が必要となるが、近いアナロジーとしては
「手すりのないシーソー」がいいだろう。
シーソーの一方が需要側。何千万もの利用者がスイッチをオン・オフするたび、
バラバラの重さの荷物(負荷)--そのほとんどはたいした重さではないが、
とにかく数が多い--が載せられたり下ろされたりしている。もう一方の供給側では、
電力会社が需要側を監視しながら変動を予測し、ちょうど釣り合うように分銅を
載せたり下ろしたりしている。問題は、分銅の載せ下ろしがそんなに素早くは
行えないということだ。
手持ちの分銅の合計(総電力供給量)を超える荷物が載れば、どんなに頑張っても
シーソーは傾き、荷物は転がり落ちる。しかし総量の範囲であっても供給側が対応
できないほど急に重さが変わればシーソーは傾いてしまう。
どちらに傾いてもそこに載っていたものが滑り落ち、そうなれば、今度は逆に傾き
反対側も落ちてしまう。実は送電網というのは配電所・変電所・発電所でできている
巨大なネットワーク。それぞれの施設が一つのシーソーで、それがまとまって大きな
シーソーに載り--というのが繰り返されて、送電網という巨大なシーソーになって
いる。
どこかの配電所でバランスを取るのに失敗すると一つのシーソーが崩壊する。すると
今度はそれが載っていたシーソーのバランスが崩れる--というようにして連鎖反応
的に大崩壊に至る。
こう理解すると「計画停電」の「計画」も、「供給側にとって計画的」--つまり
「予期せぬ停電でない」という意味に比重があることがわかる。「やらないなら計画
でない」という批判もあったが、その意味では的外れだ。
では、そういう理解で夏場に向かって何をすればいいのだろう。本質的に重要なのは、
ピーク需要が総電力供給量を超えないようにすることだが、それだけでなくピークと
いうもの自体をできるだけなだらかにして--山を削って平地にするような方策が
望ましい。余裕の無いシステムではバランスを取るのがより難しくなっているからだ。
そういう意味で、始業時間をビルや工場単位で分散するのはそれなりに効果的だろう。
始業時にあわせ電車やエレベーターが動き、空調を含む多くの設備が始動時に大きな
電力を必要とするからだ。休日分散も効果的だ。大きな工場に夜間操業してもらえれば、
大きな余裕が生まれる。それらの民間の分散インセンティブを生むために、電力料金
を需要に応じて上げるという誘導的政策も有効だろう。(※続く)
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