10/09/05 02:04:45
下記の本がおもしろかった。
10年前にでた本で、著者は社会学の研究者。今みたらアマゾンの在庫は4冊だけ。アフィリ
エイト的にはもうちょっと在庫に余裕のある新しい本を紹介したほうがいいんだよね。って
最近気がついたんだけど、確認する前に読んでしまったので仕方ない。
不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書)
作者:佐藤俊樹
出版社/メーカー:中央公論新社
発売日:2000/06
メディア:新書
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“ほほお!”な点はたくさんあるのだけど、特に紹介したいのが“日本における人の選抜方法
とエリート”に関しての洞察でした。
よく“日本のエリートは自分の利害しか考えない”と言う人がいるでしょ。ちきりん的には
、そんなことないんじゃない?と思ってるけど、そういう意見は確かによく聞く。で、だと
したらそれはなぜ?ということへの答えが書いてあった。
西欧のような明らかな階級社会であれば、たとえ形式的には競争という形をとっていても、
選抜方法自体の不平等さが目に見えている。だから競争に勝ち残った人々は、勝ち残ったと
いう事実だけでは自分の地位を正当化できない。自分がその地位にふさわしい人間であるこ
とを目に見える形で積極的に示さなければならない。そのため、「高貴な義務」(ノブレス
・オブリージュ)という観念がうまれる。
つまり、西欧の“勝ち組”は、自分が勝っているのは自分の実力ではない、と理解している。
もちろんそれは周りの人にもバレている。だから(後ろめたいから?)貧乏人に優しくした
り、進んで社会のために身を投じたりして、「ほら、ボクも頑張ってるでしょ」と証明しよう
とする、ってことですね。
ところが日本の選抜システムは形式的には高度に平等で、全員を同じ年齢で一律に選抜に
のせる。その上、選抜の方法も主観的な偏りが入りにくいペーパーテストが主で、選抜機会
は強く一元化されている。
日本では選抜競争が平等な競争であると信じられてきた。だからその「高貴な義務」という
概念すらもたないエリート集団がつくりだされた。
一方の日本では、試験を勝ち抜いた人達があたかも「この結果は自分の実力で手に入れたもの
だ」と思い込み易い方式になっている。そのためノブレス・オブリージュもエリートとして
の責務感もない、単なる既得権益層としてのエリート(オレが実力で得たのだから分け与える
必要はない的な)を生んでいる、ということらしい。
ソース
URLリンク(news.livedoor.com)