10/09/05 11:05:37 yWBsybNt
「一律の教育」は戦後エリート教育の一環。
一律な環境に多くの子どもを入れて、その環境に適合した子どもを選別して
再び一律な環境に入れて、を繰り返して最後に残った上澄みがエリート、という方法。
このやり方の問題は、適合できなかった子どもの扱いにある。
高度成長期ならレベルを適当に均してキンタロウアメ人材にして馬車馬労働させれば
社会の全てが上向いたが、今はそんな労働が全て周辺国に流れている。
エリート選別から漏れて適当に大学に進学して遊び呆けている人材は誰も欲しくない。
こういう人は若くして社会の負債のような位置づけになってしまうが、今まさに急増中。
「一律の教育」を変えるということは、個々の適性を引き出して伸ばす教育に変えるということ。
その第一歩は、社会にどのような職業があるのかを子どもに伝えるところから始まる。
小学校に様々な職種の人を連れて行って職業紹介してもらうような活動から始まる。
職業への興味が目標を作り、目標が自主的な勉強の動機を作る。勉強が好きになれば
学校や親がとやかく言わなくても頑張れるし、目標に近づくのも早い。
重要なことは「押し付け」「選別」ではダメで、子どもが自分の意思で勉強するように仕向けることだろう。
こういうことをやるための「ゆとり時間」があったのだが、全然有益に活用されずに
現場の省力化として歓迎する連中さえ生まれたことは残念だ。