11/07/26 23:38:28.81 2I77UuXV
>>510
俺の意図するところを読み取ってくれて嬉しいよ。
要するにさ、超極端なたとえ話をすれば、「現在、将棋始めたばかりの初心者(15級くらい?)が物凄く悩んだ局面で指した手」があったとするよね。
しかも、その後の対局結果はボロ負けでしたとさ。
で、その局面画像を保存して、コメント欄にその時最善手だと思った指し手を同時に入力しておく。
その後、猛勉強して5年後に初段になりました、と。
初段になった彼がPCの画像を開いてみるわけよ。
つまりタイムカプセルみたいなもんかな。
そこで、悩みに悩んだあの時と同じ局面を見て指す彼の指し手は、5年前にボロ負けした時とは違ってるはずなんだ。
人間はコンピューターと違って、棋力が格段に上がれば、最善手を指すまでの時間だけじゃなくて、「最善手と思った指し手そのものが違ってくる」
↑俺が言いたいのはこれなんだ。
仮にだよ。
同じソフトであるにも関わらず、1万の中古ノートの限界棋力(最善手)が女流初段くらいで、50万円もする高額な12コア積んだPCの棋力(最善手)が羽生さんだったら、俺は迷わず50万出す。
極限の強さ(指し手)をこの目で確かめたいからね。
でも、ソフトが同じなら最終的な指し手は1万も50万も同じ・・・
これがインスピレーションを伴わない現代コンピューターの限界なのかなぁ、と。
もちろん、将来的に自らのプログラムだけに頼らない思考自己発展型リアルターミネーターみたいな人間的思考が確立されれば、「絶対的な棋力の向上」が図れるのは言うまでもないけどね。