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1945.8.6日、中曽根康弘は高松で広島のきのこ雲を遠望した。
この時次のように思ったと云う。
「私が戦争中海軍に動員されて高松にいた時、広島の原爆雲を見た。
この時私は、次の時代は原子力の時代になると直感した」
(中曽根康弘「政治と人生―中曽根康弘回顧録」講談社p75)
1953年、復員後政治家になった中曽根に、マッカーサー司令部のCIC
(対敵国諜報部隊)に所属していたコールトンが接近し、ハーバード大学で
開催されたキッシンジャーの主催するセミナーに招聘した。
この時、中曽根はネオ・シオニズムの黒子であるキッシンジャーに認められ、
将来の出世と権力が保証されるエージェント契約を結んだ形跡がある。
1954.3.2日、中曽根康弘によって日本の国会に始めて原子力予算が上程された。