11/09/10 10:18:41.48 tQ/bibUA
>>695
ウリが学生時代の6年間wを過ごした「第二の故郷」である京都もそうなんですが、第一の故郷である
ここすだち県の地元紙はそれに輪をかけてコングルゥ、いやこんがり。
例えば今日の一面コラム「鳴潮」。
URLリンク(www.topics.or.jp)
> 20世紀で最も偉大なチェロ奏者パブロ・カザルスは、熱心な教育者であり、平和主義者でもあった。子どもたちに向けて、こんな希望に満ちた言葉を残している
><君はなんであるか知っているか/君は驚異なのだ/二人といない存在なのだ/世界中どこをさがしたって君にそっくりな子はいない/…君はシェイクスピア、
ミケランジェロ、ベートーヴェンのような人物になれるのだ/どんな人にもなれるのだ>(檜山乃武・編著「音楽家の名言2」)
> そんな可能性豊かな子どもが、日本では自ら命を絶ち、貧困国では兵士や自爆テロに駆り出される悲劇が続いている。2001年9月11日の米中枢同時テロから
明日で10年。この間、米国がアフガニスタンやイラクで進めた「テロとの戦い」は、テロの種を世界にまき散らすだけに終わった
> やられたらやり返す。そんな報復の連鎖を断ち切り、対話による解決を目指さなければ平和は訪れない。いま希望があるとすれば、チュニジアやエジプトなどの
中東でテロや武力によらない市民革命が起きていることだろう
> カザルスの言葉はこう続く。<そうだ、君は奇跡なのだ/だから大人になったとき/君と同じように奇跡である他人を/傷つけることができるだろうか>
> 相手を尊重すれば戦争はなくなる、とカザルスは言う。非現実的なようでありながら、「テロとの戦い」より有効だ。
・・・このコラムの筆者が考える「対話」って、何なんでしょうね。
現世の利害がぶつかる場においては、外交とは武力を伴わぬ戦争であることは常識なんではと思いますが。
なまっちろい「対話」の概念に溺れ、自己と他者を取り巻く利害関係、そしてその中で生きている他者そのもの、それをまじめに見据えない。
それってものすごく「他者」をないがしろにしていると思うんですが。