11/09/06 19:44:26.87 xgZQVgav
>>927
親でもないぞと
ルーピーの爺さん
鳩山一郎(Wikipediaより)
1930年(昭和5年)、第58帝国議会のロンドン海軍軍縮条約の批准をめぐる論議では軍縮問題を内閣が云々することは
天皇の統帥権の干犯に当たるとして濱口内閣を攻撃、濱口首相狙撃事件の遠因となった。
また、狙撃事件後傷の癒えぬ濱口雄幸に執拗な登院要求を行った。濱口は登院の5ヶ月後に死去している。
統帥権干犯論は議会の軍に対するコントロールを弱めるものであった為、
これを根拠として軍部が政府決定や方針を無視して暴走し始め、以後、政府はそれを止める手段を失うことになって行く。
鳩山は対立する立憲民政党政府を苦しめることを企図したようだが、議員としては政争に明け暮れて大局を見失っていたことになる。(略)
この事は戦後になりGHQから「軍部の台頭に協力した軍国主義者」として追及され、公職追放の一因となった。