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<コリアンのDNA1>誇らしい歴史から見る韓民族の気質
ヘラルド経済|入力2011.01.06 08:14 |
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去る2004年の夏、中国、渤海湾沿岸と内モンゴル(内蒙古)、ロシア、沿海州では韓国、中国、ロシア史学界が驚くことが広がった。 主に
韓半島から広範囲に出土していた櫛目文土器が、中国の内陸の奥深いところと韓半島の北側から離れた所から発見された。 韓民族が
東北大陸を支配したという事実が立証された瞬間だった。
シベリアからモンゴルを経て韓半島に伝えられたという、中国側の学説が廃棄される状況になった。 製作時期がもっとも古いもので、
紀元前6000年頃と推定される'最も古い'櫛目文土器が、中国学界が主張した既存のルートのある中間経路で発見されたため、中国側は
東側で作られて西の方に渡り、再度極東に伝えられたという形に言葉を変えることもできなかった。
'東北工程'の準備段階の9・5計画(1996~2000年)を経て、古朝鮮-付与-高句麗の歴史を自らの手で作る作業、すなわち、10・5計画
(2001~2005年)が進行中であり、中国の立場ではなかなか堪え難い状況ではなかった。 韓半島と中国東北地域が、同じ文化圏を
見せる証拠である。
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先立って中国が'始祖の村'または'中華第1親等'と誇る嫦娥(チャンア)からも、櫛目文土器が出土した。 韓民族の活動舞台の遼西と
遼東と交合う地点だ。 '始祖'の根拠地に浮かび上がって敬った所から、韓民族の原形が出てきてしまったのだ。
中国にとって最も衝撃的な事件は、韓国が6.25の戦後復旧で気が気でない1955年に中国の遼河一帯で発見された紅山文化であった。
この地域は古代史では韓民族の活動舞台だ。 中国は万里の長城の南は先進文化で、北側を後進文化と見て歴史を記述してきたが、
紅山の発掘の結果、紀元前3500~3000年ものと推定される青銅剣が発見されたのだ。 中原が新石器時代だった時期だ。 特にここでは
色々な国史学界が'韓民族の物'と意見の一致を見た櫛目文土器、支石墓(コインドル)、積石塚、非波形銅剣、多鈕細紋鏡などが大量に
発掘された。 韓民族の活動舞台は中国政府と史学界が防ぐのには、あまりにも大きくて広く、資料として立証されてしまったのだ。
国際史学界でも韓民族の文明が世界最古かも知れないという推論が出てきた契機でもあった。
(1/2)続きます。
2日前の記事ですが、電波浴にどうぞ。w