11/01/04 08:56:52 fbamY5yZ
>>285
>裁判で争われていた時点では66i-Ⅰ戦闘詳報は、児島氏の言う通り部隊名不明・旅団名不明でしか知ら
> れていなかった。
「郷土部隊奮戦記」には【連隊長】、【旅団長】、【師団長】の名前が載っている。
【連隊長】、【旅団長】、【師団長】の名前が判明すれば部隊名は判断できる。
つまり「郷土部隊奮戦記」が世に出た時点で部隊名は判明している。
秦郁彦著「南京事件」158ページ
「郷土部隊奮戦記」(『サンケイ』栃木版 昭和三十八年)によると、問い合わせは【山田連隊長】から【秋山旅団長】へ、さらには【末松師団長】へとリレーされたのち、十三日午後になって処分命令が届く。
大隊の戦闘詳報はその経過を次のように記す。
「八、午後二時零分連隊長より左の命令を受く
左記
イ、旅団命令により捕虜は全部殺すべし
其の方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何」
それにもかかわらず児島襄は、この戦闘詳報の部隊名は不明としているw