11/01/04 02:06:08 pgByVhXa
●結局、児島氏が下した下記見解が ≪ 一番真っ当な見解 ≫ だと言える・・・(´・ω・`)
■『東京地裁平成01年10月03日判決』
URLリンク(www.hiraoka.rose.ne.jp)
(2)これに対し、戦史研究家児島襄は、昭和五五年度検定当時の南京事件に関する研究状況からみて、南京占領
下の軍政として中国の軍人と民間人を殺害するという方針が確立し、これに基づいて軍の命令による殺害が組織的
に行われたと断定することはできなかったと判断している。
・・・・・・・
戦闘詳報の中には、「午後二時零分、聯隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク。左記 イ、旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ。
其ノ方法ハ十数名ヲ捕虜シ逐次銃殺シテハ如何。」というものが残されているが、この戦闘詳報の部隊名は不明で
あり、記述の中にある旅団名もわからない。したがって、命令自体が、旅団の独断命令であるのか、それとも、上級
の師団、軍、方面軍からの下令であったのかも、判然としない。・・・・・
●これに対し、秦郁彦はどの様にして ”第一大隊のもの” と断定したのかが全く不明・・・(´・ω・`)
★121 名前:K-K@南京事件資料集[kknankin@netscape.net] 投稿日:2010/12/31(金) 22:58:58 ID:yZ29r0Ie
否定論…第一大隊命令の発令者は書かれていないので不明
K-K…第一大隊命令の命令発令者は書かれていないが、当時、第一大隊長は渋谷大尉だったことより、渋谷
大尉と推定される。
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■結局コイツも ”秦が第一大隊のものと特定した根拠” は ”全く知らない” と言う事♪・・・(・∀・)
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