【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】123次資料at ASIA
【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】123次資料 - 暇つぶし2ch271:日出づる処の名無し
11/01/04 02:04:34 fbamY5yZ
>>268
>判決文にも昭和57年以降の学者の著書は考慮しないと明言してんのにwwwwww
>バカすぎるwwwwwwwwww

裁判で考慮されないと明言された甲○○号証w
洞富雄著「決定版南京大虐殺」(徳間書店、昭和五七年、甲第二四四号証)、
本多勝一著「南京への道」(「朝日ジャーナル」所収、昭和五九年、甲第二三二号証)、
藤原彰著「南京大虐殺」(岩波書店、昭和六〇年、甲第二五〇号証)、
吉田裕著「天皇の軍隊と南京事件」(青木書店、昭和六一年、甲第二四六号証)、
洞富雄著「南京大虐殺の証明」(朝日新聞社、昭和六一年、甲第二四七号証)、
秦郁彦著「南京事件ー『虐殺』の構造」(中央公論社、昭和六一年、甲第二四八号証)、
洞富雄著ほか「南京事件を考える」(大月書店、昭和六二年、甲第二四九号証)

で?秦郁彦著「南京事件」(甲第二四八号証)には昭和55年時点では不明だった「第一大隊戦闘詳報」についての記述が存在するわけだがw
考慮しないのに《甲第二四八号証》となってるなw
説明してみろw

272:<
11/01/04 02:06:08 pgByVhXa

●結局、児島氏が下した下記見解が ≪ 一番真っ当な見解 ≫ だと言える・・・(´・ω・`)

  ■『東京地裁平成01年10月03日判決』
  URLリンク(www.hiraoka.rose.ne.jp)
  (2)これに対し、戦史研究家児島襄は、昭和五五年度検定当時の南京事件に関する研究状況からみて、南京占領
  下の軍政として中国の軍人と民間人を殺害するという方針が確立し、これに基づいて軍の命令による殺害が組織的
  に行われたと断定することはできなかったと判断している。
  ・・・・・・・
  戦闘詳報の中には、「午後二時零分、聯隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク。左記 イ、旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ。
  其ノ方法ハ十数名ヲ捕虜シ逐次銃殺シテハ如何。」というものが残されているが、この戦闘詳報の部隊名は不明で
  あり、記述の中にある旅団名もわからない。したがって、命令自体が、旅団の独断命令であるのか、それとも、上級
  の師団、軍、方面軍からの下令であったのかも、判然としない。・・・・・

●これに対し、秦郁彦はどの様にして ”第一大隊のもの” と断定したのかが全く不明・・・(´・ω・`)

  ★121 名前:K-K@南京事件資料集[kknankin@netscape.net] 投稿日:2010/12/31(金) 22:58:58 ID:yZ29r0Ie
  否定論…第一大隊命令の発令者は書かれていないので不明
  K-K…第一大隊命令の命令発令者は書かれていないが、当時、第一大隊長は渋谷大尉だったことより、渋谷
  大尉と推定される。

     ↑    ↑    ↑    ↑
  ■結局コイツも ”秦が第一大隊のものと特定した根拠” は ”全く知らない” と言う事♪・・・(・∀・)
  バーーカ♪バーーカ♪バーーカ♪バーーカ♪バーーカ♪バーーカ♪バーーカ♪バーーカ♪バーーカ♪

273:<
11/01/04 02:09:23 pgByVhXa

>>262
>>264
>>265
>>267
>>270
>>272

以上、オイラがとりあえず確認した ”戦闘詳報” のまとめ・・・(´・ω・`)
まだ確認中のものもあるから、その内まとめ直す・・・(´・ω・`)

274:日出づる処の名無し
11/01/04 02:21:05 8X6QduAh
大体命令がどうやって伝達されたのかとw
【南京事件】便衣兵は右派の捏造2
スレリンク(asia板)l50
434
戦闘詳報に「イ、旅団命令により」「八、連隊長より」とある以上この命令系統は間違いない。

八、午後二時零分連隊長より左の命令を受く
イ、旅団命令により
ハ、連隊は旅団命令に依り主力を以て城内を掃蕩中なり

ここで問題は「ハ、連隊は旅団命令に依り主力を以て城内を掃蕩中なり」

命令系統は、末松師団長→秋山旅団長→山田連隊長→渋谷第一大隊長代理
問い合わせは、渋谷第一大隊長代理→山田連隊長→秋山旅団長→末松師団長

66連隊が第一大隊の南京城壁確保を確認したのは11時35分。(歩六六作命甲第八十六号)
捕虜の殺害命令が2時間25分後の14時。

2時間25分で
第一大隊へ城外へ移動命令→第一大隊移動→方針問い合わせ→渋谷第一大隊長代理→山田連隊長→秋山旅団長
命令発令→秋山旅団長→末松師団長→秋山旅団長→山田連隊長→渋谷第一大隊長代理
これらを完了させなければならない。
さらに第一大隊は城外、66連隊は城内。

ちなみに戦闘中の114師団から128旅団への伝達時間は2時間30分。

「一一四師作命甲第六二号 第百十四師団命令 十二月十三日午前九時半 於朱家楼子北方高地
一、城内の敵は頑強に抵抗しつゝあり」
「歩第一二八旅第六十六号 右翼隊命令 十二月十三日正午 於南京東南部七〇〇米道路上無名部落
一、城内の敵は今尚頑強に抵抗しあり」

第一大隊の命令系統はどうなっていたのだろうか?

275:<
11/01/04 02:22:06 pgByVhXa

>>262
>>264
>>265
>>267
>>270
>>272
●言うまでもないが ≪ 結論 ≫ はこれ↓・・・(´・ω・`)

  旅団からの正式通達である 『歩六六作命 【 甲第○○○号 】  歩兵第六十六連隊命令』 が
  存在しない以上、旅団からの命令であった証明が出来ず、即ち、”軍が組織的に捕虜を殺害した”
  証明も出来ない。児島見解が ≪ 一番まとも ≫ なものだと言える・・・(´・ω・`)

●肯定派学者が秦見解に相乗りし ”独自見解を出さない” 理由がよく判る・・・(´・ω・`)
  はっきり言って、”まともな文書” ではない。こんな ”逝かれた文書” を ”根拠” にしてしまえば
  大学教授の ”首” を掛ける事になりかねん・・・(笑





276:<
11/01/04 02:31:36 pgByVhXa

●肯定派は遠からず絶滅する運命だった。だが、それに助け舟を出したのが ”秦郁夫” ・・・(´・ω・`)

  ”秦郁夫” は全く信憑性のない ”戦闘詳報(モドキ)” に命を吹き込んでしまった・・・(´・ω・`)
  その結果、ホラも笠原も肯定派学者は皆 ”中間派である秦解釈” に相乗りしてしまった・・・(´・ω・`)

  『南京大虐殺の証明』(洞富雄著、朝日新聞社、1986年)p.302-304
  ・・・秦郁彦氏の『南京事件』(中公新書、一五六~一六〇ページ)によって、これは第百十四師団歩兵第六十六連隊
  第一大隊の『戦闘詳報』であることがわかった。十二月十二日、第一大隊は、中華門を閉ざされて城内へ撤退できな
  くなった雨花台からの敗走兵と白兵戦三時間の後、一三五四人を捕虜とした。翌十三日、城内の掃討戦でも、第六十
  六連隊は三百余人の捕虜を獲た。これらの中国兵は、この日、苛酷な運命に見舞われた。第一大隊の『戦闘詳報』の
  問題の記事を、児島氏の著書から援引させていただく。 …戦闘詳報略… 以上の諸事例は、一九八四年中に、私た
  ちが入手することのできた、捕虜・便衣兵の集団虐殺に関する決定的証拠である。


●所謂 ”南京大虐殺論争” において、現在最も混乱を与え、且つ最凶の池沼解釈を曝してるのは ”秦郁夫” 。
  コイツが ”池沼勘違い” を曝してなければ肯定派はとっくに絶滅してただろうな・・・(´・ω・`)

        現在における南京大虐殺論争における最凶の池沼は ”秦郁夫” ・・・(´・ω・`)
        ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
     ※笠原のトンチンカン自己解釈なんかは放っておいたらそのうち死に絶える・・・(´・ω・`)

277:日出づる処の名無し
11/01/04 02:41:14 zWHZRYtn
>>276
ネトウヨって低学歴の情報弱者だな。
お前みたいなのが世界における日本の評判を落としている。
一般国民も財界も大いに迷惑している。
ドイツみたいに右翼絶滅法を作って、特殊部隊に絶滅させたいよ。
せめて、野蛮人は朝鮮に移住しろよ。

278:<
11/01/04 02:44:10 pgByVhXa
>>277
癇癪起こすのなら ”癇癪専用スレ” を立ててそっちへ行ってくれん?・・・(´・ω・`)
逆上した肯定派が2ちゃんで一番迷惑なんよ・・・(´・ω・`)

279:日出づる処の名無し
11/01/04 02:54:52 zWHZRYtn
これ読め。
 ↓
URLリンク(ww1.m78.com)
極東軍事裁判で南京虐殺事件の最大の証拠とされたのが、南京城内外(ほとんど外)に放置されていた遺体の埋葬作業にあたった
紅卍会(宗教団体)と崇善堂(慈善団体と葬儀社と両説ある。
この時は日本軍より要請をうけ半ば営利事業としておこなった)の作業報告である。
これによると1937年12月から1938年3月までに両者で15万5996体を埋葬した。
マボロシ派はこの数字は水増しだとか、崇善堂は実体がないと批判するが、
日本軍の依頼にもとづき(当然日本の税金を使用したと思われる)実施したものであり、
事実としてあったことから議論を進めるべきだろう。
官房機密費ではないから税金の使途について抜き打ちでの検査程度は日本の役人は確実に実施するだろう。
通常戦場掃除は捕虜が実行する。軍が民間人に委嘱したことは、捕虜が存在しなかったことを暗示している。
(要するに捕虜は処分したということ)

このサイトで、左翼のプロパガンダ沿いの見解を批判するとともに、
低学歴ウヨの低脳ぶりを大いに批判している。
大和民族の質を高めるためにも、ネトウヨみたいな低脳は国外に出て行け。
以前、ヤクザが弾圧される日本に嫌気がさして出て行くとか言っていたはず。

280:<
11/01/04 03:02:15 pgByVhXa
>>279
一般市民の虐殺は存在せず、中国兵損害も『譚道平の「南京衛戌戦史話」』より
損失 ≪ 36,000人 ≫ と算出されているのに、その遺体処理数15万以上が真実と言う
なら残りの ”12万人” は一体どこの誰が殺されたの?・・・(´・ω・`)

はい♪論破・・・(´・ω・`)

どこの ”周回遅れど素人” だよ?このスレで通用するソースじゃねーよ・・・(´・ω・`)
もっと勉強シナ・・・(´・ω・`)



281:<
11/01/04 03:04:57 pgByVhXa

≪ 秦郁彦の罪 ≫

●秦は戦闘詳報に対する解釈も含め、崩壊確実だった肯定派に ”極めて有益な助け舟” を出してしまった・・・(´・ω・`)
  肯定派は秦を攻撃してる様で、その実は秦解釈に阿っている。その典型例が↓だろうな・・・(´・ω・`)

  |『南京大虐殺の証明』(洞富雄著、朝日新聞社、1986年)p.302-304
  |・・・秦郁彦氏の『南京事件』(中公新書、一五六~一六〇ページ)によって、これは第百十四師団歩兵第六十六連隊
  |第一大隊の『戦闘詳報』であることがわかった。十二月十二日、第一大隊は、中華門を閉ざされて城内へ撤退できな
  |くなった雨花台からの敗走兵と白兵戦三時間の後、一三五四人を捕虜とした。翌十三日、城内の掃討戦でも、第六十
  |六連隊は三百余人の捕虜を獲た。これらの中国兵は、この日、苛酷な運命に見舞われた。第一大隊の『戦闘詳報』の
  |問題の記事を、児島氏の著書から援引させていただく。 …戦闘詳報略… 以上の諸事例は、一九八四年中に、私た
  |ちが入手することのできた、捕虜・便衣兵の集団虐殺に関する決定的証拠である。


●K-Kのチンカス大好き極左翼婆さん ”ゆう” もHPの中で秦解釈を多用している・・・(´・ω・`)
  間違いなく、現在における歴史解釈において最凶の池沼見解を曝している真犯人だと言える・・・(´・ω・`)


●もう一度書くが、笠原のトンチンカン自己解釈は放っておいても死に絶える・・・(´・ω・`)
  一方、今後のオイラ達否定派にとって、間違いなく ”秦郁彦” こそが真の敵となるだろう・・・(´・ω・`)
  ※後、国際法学者でも無いくせに池沼法解釈を曝す ”原剛” ね・・・(´・ω・`)

282:日出づる処の名無し
11/01/04 03:07:56 zWHZRYtn
>>278
都合が悪くなったら、それかw
何も反論できないだろ。
お前みたいなのがいるから、中国に拡大解釈され、
世界から、日本人が悪事を反省しない残虐民族と思われる。
どこが癇癪だって?w
癇癪は低脳ネトウヨの専売特許だろ。
大切にしろよ。
うそをどんなに主張しても、真実は変えられない。
悪がますます悪化するだけ。
それだけでなく、デッチ上げまでされることになる。
中国軍が日本人居留民に行った数々の残虐行為も無視されるし、
原爆は、南京事件の当然の報いとされる。
上海~南京戦線で80万の中国軍を崩壊させた40万の日本軍がある意味、
優秀だったと言える。
捕虜大虐殺は日本軍の歴史、日本の歴史に泥を塗ってしまった。
その反省もしないから、難民地区を設けて民間人の犠牲を最小限に抑えようとした事実も無視され、
北部ド田舎出身中国敗残兵の南京市民虐殺のすべても日本軍のせいにされてしまった。
ナチスドイツの犯罪は、今やドイツ人のせいにはされていない。
ドイツ人もナチスの犠牲者として扱われ、戦後、ロシアやチェコなどのパルチザンが行った一般ドイツ人への
大規模な残虐行為もドイツ以外の諸国で明らかにされている。
ドイツは世界一好ましい国と扱われるよになり、日本は残虐行為をする国として扱われ、
捕鯨さえも日本人がやるから残虐行為ということになっている。
北欧諸国が捕鯨をやろうが、イルカをたたき殺そうが非難されない。

283:<
11/01/04 03:09:47 pgByVhXa
>>282
”作文” なら他所で書け・・・(´・ω・`)
”資料を検証する事が出来ないヤツ” がいくら喚いても感情論でしかないのさ・・・(´・ω・`)
残念だったね・・・(´・ω・`)

284:日出づる処の名無し
11/01/04 05:04:04 ZGldkcDd
>>282
ドイツも周辺国から常任理事国大反対されていたり、日本がBBC調査で
世界にもっとも好影響を与えた国として常に1,2位なのは君には見えないんだね

現実の世界に戻っておいで

285:日出づる処の名無し
11/01/04 07:32:04 7LeoWuEh
昭和55年以降に、戦闘詳報が第一大隊のものと判明した経緯について

338 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 23:37:24 ID:jnJsEyst
 >秦郁彦の『南京事件』以降「第一大隊の戦闘詳報」とされているが経緯は不明。
 >お前がその経緯を説明してみろw

 裁判で争われていた時点では66i-Ⅰ戦闘詳報は、児島氏の言う通り部隊名不明・旅団名不明でしか知ら
 れていなかった。その後、同戦闘詳報(コピー)が戦史資料室に提供された事で部隊名・旅団名が判明した。
 原本(コピー)の表紙には歩兵第六十六連隊第一大隊南京附近戦闘詳報と明記されている。また、原本を
 持っていた藤沢藤一郎氏自身が第一大隊第3中隊第1小隊に所属していた。

  「第一大隊の戦闘詳報」とされている経緯が不明とかさ、【頭 悪 い の ?】って感じなんだけどwww

 経緯が不明も何も児島氏が「旅団命令により捕虜は全部殺すへし」を紹介した時点では、その部隊名・旅団名
 が判らなかっただけで、史料提供に伴い全て明らかになったという話。否定派はほんと何も知らないんだなw

補足すると部隊名不明でしか知られていなかったというのは学会の状況であって、この戦闘詳報が66連隊のもの
と知ってる人も当然居た。では、藤沢氏がなぜ戦闘詳報を持っていたかというとこういう事。
兵士たちの「南京事件」 城壘 『丸』 1990年7月号 通算528号 P210
  解散のとき、藤沢氏は軍曹まで進み、大隊本部に勤務していた。解散にあたって大隊の記録は宇都宮五十九
 連隊留守部隊に収めたが、このとき、藤沢軍曹は記念として第一大隊戦闘詳報を貰った。何か記念になるものを、
 と思ったが、戦闘詳報は同じものか二部か何部かあり、そのうちの一部を貰った。
  留守部隊に収めた記録は終戦時に焼却されたから、当時の記録は藤沢氏が持っていたものだけになった。

286:日出づる処の名無し
11/01/04 07:32:58 7LeoWuEh
バカの否定派に騙されない為の説明

URLリンク(www.hiraoka.rose.ne.jp)

3 南京事件に関する記述について
(二)-(1) ←ここで55年当時の肯定派学説の概要説明
(二)-(2) ←ここで55年当時の否定派学説の概要説明
(二)-(3) ←前半で55年までの関連著書の紹介
        後半で57年以降の関連著書を紹介しているが
        これらは「本件検定当時の学界を構成するものとしては考慮し得ない」と明言している
        この後半部分に秦郁彦著「南京事件」(1986年)《甲第二四八号証》は記載している

【秦氏の著書内容が考慮されていない点について】
第一大隊戦闘詳報であるとした、秦氏の著書の内容が証拠採用されていながら、何故考慮されていないか
わざわざ判決文で、(二)-(1)(2)には57年以降の証拠提出された著書は考慮してないよ、と説明している
(三)以降の判断部分でも57年以降は一切廃して判決文が続く
何故この判決文では部隊名不明という扱いになっているか
バカの否定派以外なら一目瞭然である

【戦闘詳報に対する判断は裁判所の判断か?】
(二)-(1)には「日本軍の組織的犯行だった」
(二)-(2)には「組織的犯行ではない」という主旨で書かれている為、
(二)-(1)(2)を「裁判所としての見解」としてしまうと、矛盾する見解を裁判所が下してしまう事になる
バカの否定派は「裁判所は組織的犯行であり組織的犯行とは言えないと判断した」とでも主張するつもりだろうか
当然そんな解釈をする方が不自然で、ここは単に55年当時の双方の見解を説明しているだけだ

そもそもこれは「教科書検定の妥当性」を争う裁判である
検定の背景となる55年当時の学会の状況がどうであったかを
できるだけ正確に把握することが重要なわけで、
ここでその学説の根拠に対する判断を加えてしまっては、55年当時の状況に手を加える事になる
仮に55年以降の学説が真逆のものになっていたとしても、55年当時の学説をそのまま説明しなければ意味が無い
なぜならその当時の学説を背景とした教科書検定の妥当性を争っているからだ

287:日出づる処の名無し
11/01/04 07:37:11 7LeoWuEh
これを見せると、アラ不思議w
twitterの日の丸アイコン連中(ものっすごい人種差別的なレスばかりしている集まりです)以外の
普通のかたがたは、否定派が「そんなサイトは嘘だ!騙されるな!」と叫んでも
否定派の相手をしなくなりますwwwww


南京事件FAQ
URLリンク(wiki.livedoor.jp)
南京事件-日中戦争 小さな資料集
URLリンク(www.geocities.jp)
南京事件資料集
URLリンク(kknanking.web.infoseek.co.jp)


今年も否定派はここで遠吠えをし続けるだけでしょうwww

哀れwwwwwww


288:日出づる処の名無し
11/01/04 07:49:23 ZGldkcDd
>>285
55年当時に、読めば判る程度の情報も持っていなかった学会って屑過ぎるなぁw
流石としか言いようがない

289:日出づる処の名無し
11/01/04 08:03:09 6bvnc2Eg
>>285
その判明する経緯もふくめ あやしすぎるんだよなぁw

結局 原本は焼却されたんだし 本物だと誰も証明できないんだよね

290:日出づる処の名無し
11/01/04 08:39:26 ZGldkcDd
>>287
そのページに書いてある「数十万の虐殺」なんて中国の工作だと皆知っているよ
未だにそれを信じているお前はデムパだと思われるだろうなw

291:日出づる処の名無し
11/01/04 08:56:52 fbamY5yZ
>>285
>裁判で争われていた時点では66i-Ⅰ戦闘詳報は、児島氏の言う通り部隊名不明・旅団名不明でしか知ら
> れていなかった。

「郷土部隊奮戦記」には【連隊長】、【旅団長】、【師団長】の名前が載っている。
【連隊長】、【旅団長】、【師団長】の名前が判明すれば部隊名は判断できる。
つまり「郷土部隊奮戦記」が世に出た時点で部隊名は判明している。

秦郁彦著「南京事件」158ページ
「郷土部隊奮戦記」(『サンケイ』栃木版 昭和三十八年)によると、問い合わせは【山田連隊長】から【秋山旅団長】へ、さらには【末松師団長】へとリレーされたのち、十三日午後になって処分命令が届く。
大隊の戦闘詳報はその経過を次のように記す。
「八、午後二時零分連隊長より左の命令を受く
      左記
 イ、旅団命令により捕虜は全部殺すべし
   其の方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何」

それにもかかわらず児島襄は、この戦闘詳報の部隊名は不明としているw


292:日出づる処の名無し
11/01/04 09:41:18 1XvTrLOa
>>271
>で?秦郁彦著「南京事件」(甲第二四八号証)には昭和55年時点では不明だった「第一大隊戦闘詳報」についての記述が存在するわけだがw
>考慮しないのに《甲第二四八号証》となってるなw
>説明してみろw

ループ乙w つスレリンク(asia板:348番)
 アホかw 証拠として採用されたものに番号が付くんじゃね-よw 原告も被告も証拠資料として提出したものには
 全部自分で番号を付けんだよw だから証拠資料として提出したものには必ず番号が付くと言ってるだろーがw
 無知はこれだから困るわw 裁判の仕組みも判ってないアホめwwwww

スレリンク(asia板:368番)
 原告も被告も証拠になると思えば何を提出しても構わない。証拠説明書に何を証明したいか書かなければならないから、
 証明したい事が書けない物が提出できないだけ。

>>291
>それにもかかわらず児島襄は、この戦闘詳報の部隊名は不明としているw

ループ乙w つ>>26
 つまり児島は偽証をしていたという事ですねw そりゃこの訴因については二審と最高裁で家永氏の勝訴になるわけだwwww

293:日出づる処の名無し
11/01/04 09:52:19 fbamY5yZ
>>292
東京地裁平成01年10月03日判決
〔教科書検定制度の合憲性・国賠法1条・行政裁量-教科書検定第三次訴訟第一審〕
URLリンク(www.hiraoka.rose.ne.jp)
戦闘詳報の中には、「午後二時零分、聯隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク。左記 イ、旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ。
其ノ方法ハ十数名ヲ捕虜シ逐次銃殺シテハ如何。」というものが残されているが、この戦闘詳報の部隊名は不明であり、
記述の中にある旅団名もわからない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

児島襄は戦闘詳報の中を確認した上で「部隊名不明」と判断しているだろうがw

294:日出づる処の名無し
11/01/04 10:02:45 fbamY5yZ
>>292
お前の主張通り裁判に証拠として提出されなかったのなら、当然裁判所が証拠として認める事などありえないw
それは否定派の主張と同じだw

つ>145
>568「裁判では証拠として認められていない」
>612「裁判所は証拠採用しなかった」
>624「裁判所は「正式な作成者によって作成されたもの」 だと認めなかった」
>
>共通しているのは「裁判所は証拠として認めなかった」という事だけ。

否定派と同じ事を言っているのに何を粘着しているんだかw

>つまり児島は偽証をしていたという事ですねw そりゃこの訴因については二審と最高裁で家永氏の勝訴になるわけだwwww
二審と最高裁でこの戦闘詳報がどこに出てくる?
寝言は寝て言えw

295:日出づる処の名無し
11/01/04 11:26:51 1XvTrLOa
>>293
>児島襄は戦闘詳報の中を確認した上で「部隊名不明」と判断しているだろうがw

だから児島は偽証していると書いてるだろwww

>>294
>否定派と同じ事を言っているのに何を粘着しているんだかw

同じ事など言っていないだろw 肯定派は戦闘詳報が裁判所に提出されていたとは言っていないがw
戦闘詳報が裁判所に提出されていたと言い張っていたのは否定派だけだw 提出されて無い事が明らかになって
慌ててそんな事言ってないと弁明しているだけじゃねーかバーカwww

>二審と最高裁でこの戦闘詳報がどこに出てくる?

二審と最高裁でこの戦闘詳報が出てくると誰が言っているのですか?w また言ってもいない事に反論ですかw
相変わらず馬鹿ですねw こっちが言ってるのは最高裁で無視される程度の証拠でしかなかったという事だがw
>>134
 最高裁で戦闘詳報の話が出てこないのは被告(国側)が児島見解に見切りを付けたという事でしょうねwwwww
>>137
 最高裁で戦闘詳報の話が出てこないのは被告が児島の見解では勝てないと思ったからでしょwww

296:日出づる処の名無し
11/01/04 11:27:48 1XvTrLOa
>>235
>>251: この文章を読んで "裁判所が制度では場所の事を指してる" と言うのなら、日本語力にかなり問題があるなw

この文章ってこれだよなw
『戦時国際法論』立作太郎 国際法学者 日本評論社 1931年版
 凡そ戦時重罪人は、軍事裁判所又は其他の交戦国の任意に定むる裁判所に於て審間すべぎものである。
 然れども全然審問を行はずして処罰を為すことは、現時の国際慣習法規上禁ぜらるる所と認めねばならぬ。

どう見ても裁判所は制度の事を指してますねw 違うと言うなら『軍事裁判所』って名前の裁判所が在った住所を教えてくれよw
一部の否定派は判っている様だがお前が馬鹿すぎて理解できないだけだけだw
URLリンク(toki.2ch.net)
120次309 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 02:53:01 ID:Ac+MExnH
 ≫295
  裁判所を場所か建物と勘違いしてんじゃねーの? 判事(人)のことだよ

同じ否定派にも裁判所を場所か建物と勘違いしている事を指摘されて悔しいか?www

>>252
>●以上、”便衣兵でも捕虜になれる” とする ”自己解釈” はチン論中のチン論と言えるでしょう♪d(・∀・)ok

捕虜にするしないは指揮官の自由裁量だから「俘虜の取扱を受くるの權利を失ふに至」っても捕虜になれますがw
ハーグ陸戦条規に4条件違反者を捕虜にしてはならないと書かれていないので捕虜にする事は可能ですねw
やってはならないと条文に書かれてなければやっていいんだよお馬鹿さんwwwww

297:日出づる処の名無し
11/01/04 11:29:21 1XvTrLOa
>>254
>便衣兵化してしまっては ≪ 交戦者資 格 ≫ を持っていた事を証明出来ないのです♪・・・(・∀・)

つ『南京事件 「虐殺」の構造 増補版』秦郁彦 P193
 便衣兵は捕虜と異なり、陸戦法規の保護を適用されず、状況によっては即時処刑されてもやむをえない存在だが、
だからと言って一般市民と区別する手続きを経ないで処刑してしまっては言いわけができない。しかも舞台は一国
の首都であり、外交団が駐留する国際都市でもある。捕虜の処刑もそうだが、日本軍がまねごとにせよ、一切の
法手続きを省略したのは理解に苦しむ。

>●よって国内法の観点からも便衣兵を ≪ 俘虜 ≫ にする事は出来ず、”捕虜” とした便衣兵に適用され
>る保護規定が一切存在していない以上、≪ 俘虜資格無き敗残兵 ≫ として処刑しても何も問題はありま
>せん♪・・・(・∀・)ok

つ『現代歴史学と南京事件』吉田裕 P85
 この点と関連して重要なのは、昨年の七月三一日に自由主義史観研究会の主催で開催された「20世紀最大の
ウソ『南京大虐殺』にとどめを刺す連続講座とシンポの集い」である。この集会で、東中野・藤岡両氏などとともに
報告にたった元外交官の色摩力夫氏は、ハーグ陸戦法規は正規軍には無条件で、民兵・義勇兵には先の四条件
付きで適用されると明言した。それだけでなく色摩氏はシンポの発言で、司令官が逃亡した軍隊の将兵は当然の
こと、軍服を脱ぎ便衣に着がえた正規軍兵士の場合でも、実際に敵対行為を行わない限り、捕虜となる資格を持
つと主張したのである。

学者の見解に基づかない主張を自己解釈と言いますw 馬鹿ですねwwwwwwwww

298:日出づる処の名無し
11/01/04 11:29:32 LJ/Via/X
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299:日出づる処の名無し
11/01/04 14:03:04 AEkt7VjS
>>295
>だから児島は偽証していると書いてるだろwww
>二審と最高裁でこの戦闘詳報が出てくると誰が言っているのですか?w また言ってもいない事に反論ですかw
>相変わらず馬鹿ですねw こっちが言ってるのは最高裁で無視される程度の証拠でしかなかったという事だがw
>つ>>134
> 最高裁で戦闘詳報の話が出てこないのは被告(国側)が児島見解に見切りを付けたという事でしょうねwwwww
>つ>>137
> 最高裁で戦闘詳報の話が出てこないのは被告が児島の見解では勝てないと思ったからでしょwww
発令された記録が存在しないのに偽証もヘッタクレもねーだろーがw
日本軍の組織的犯行を立証する必要があるのは原告だボケッw
原告が主張していない事に対してまで被告が反論する必要がどこにあるw
「旅団命令により捕虜は全部殺すへし 」という、原告自身が「明確に日本軍の組織的犯行を立証できる証拠」に触れていないなら被告がわざわざふれる必要はどこにもないw

300:日出づる処の名無し
11/01/04 14:18:24 AEkt7VjS
>>295
>同じ事など言っていないだろw 肯定派は戦闘詳報が裁判所に提出されていたとは言っていないがw
>戦闘詳報が裁判所に提出されていたと言い張っていたのは否定派だけだw 提出されて無い事が明らかになって
>慌ててそんな事言ってないと弁明しているだけじゃねーかバーカwww
否定派の主張は110次からずっと「裁判では証拠として認められていない」だアホーwww
提出されてるかどうかに関係なく論点は「裁判所が証拠価値を認めたかどうか」だw
つ>145
>568「裁判では証拠として認められていない」
>612「裁判所は証拠採用しなかった」
>624「裁判所は「正式な作成者によって作成されたもの」 だと認めなかった」
>
>共通しているのは「裁判所は証拠として認めなかった」という事だけ。
なんつーか便衣兵の無裁判処刑の「便衣兵の処刑は合法。しかし裁判という手続きをしなかったのは違法」という主張と同じw
肯定派は『「処刑される」という結果には問題が無いのに、「裁判」という手続きをしなかった事が問題』というような例のように、本質とかけ離れた主張しかできないのかねw

301:日出づる処の名無し
11/01/04 15:51:01 1XvTrLOa
>>299
>発令された記録が存在しないのに偽証もヘッタクレもねーだろーがw

「この戦闘詳報の部隊名は不明であり、記述の中にある旅団名もわからない」が偽証と言っているのだがw 相変わらず論点ずらしですかw
>>21
 まぁ、普通に考えてみても、児島氏が部隊名を知らなかったとは考えられませんね。
 児島氏が史料を入手するとして、その入手経路は、「郷土部隊奮戦記」のコピーを入手するか、原本を持っていた藤沢氏から提供を受けるか、2つしかないわけです。
 いずれにしても、部隊名は分かっていたことになります。
 したがって、児島氏は、知っていたがわざと部隊名を隠したということになります。

>「旅団命令により捕虜は全部殺すへし 」という、原告自身が「明確に日本軍の組織的犯行を立証できる証拠」に触れていないなら被告がわざわざふれる必要はどこにもないw

それは>>294に言ってくださいw  この書き込みをしたのは否定派ですよw「二審と最高裁でこの戦闘詳報がどこに出てくる?」
必死で肯定派にいちゃもんを付けている様ですが、最高裁で戦闘詳報が出てこなくても当たり前とこっちは書いているのだがwww

>>300
>否定派の主張は110次からずっと「裁判では証拠として認められていない」だアホーwww
>提出されてるかどうかに関係なく論点は「裁判所が証拠価値を認めたかどうか」だw

ループ乙w つ>>170
  110次568の「裁判では証拠として認められていない」が最初 なら、証拠として提出している事を前提にしてると
 書いてるだろw 裁判所は自ら資料を集めない。原告と被告の提出した資料を証拠調べで判断するだけだ。裁判所が
 認めないという事は、原告か被告が戦闘詳報を証拠として提出していないと言えない言葉だろーがw
 それに顔文字がこう書いてるぜ。前スレ527
  つーか、”提出” されてるじゃんwwwwwwwwwwww

 提出されてると否定派は断言してますねwww 今さらそんな事言ってないと弁明しても遅いわ馬鹿www

しかもスレリンク(asia板:624番)では
 裁判所は否定説の戦史研究家児島襄の判断としてこの戦闘詳報に言及している。つまり裁判所は戦闘詳報が存在していることを確認している。
とまで言ってますよw 裁判所は戦闘詳報が存在していることを確認しているそうですがこれは嘘と認めるわけですねwwwwwwwww

302:日出づる処の名無し
11/01/04 17:59:39 8FJfddX1
>>301
>「この戦闘詳報の部隊名は不明であり、記述の中にある旅団名もわからない」が偽証と言っているのだがw 相変わらず論点ずらしですかw

つ>275
>●言うまでもないが ≪ 結論 ≫ はこれ↓・・・(´・ω・`)
>
>  旅団からの正式通達である 『歩六六作命 【 甲第○○○号 】  歩兵第六十六連隊命令』 が
>  存在しない以上、旅団からの命令であった証明が出来ず、即ち、”軍が組織的に捕虜を殺害した”
>  証明も出来ない。児島見解が ≪ 一番まとも ≫ なものだと言える・・・(´・ω・`)

「旅団命令」と書いていながら発令された記録が存在しなかったので「部隊名不明」としたら偽証だそうだw
さすが妄想の世界に生きる肯定派は常人とは思考形態が違うなw

303:日出づる処の名無し
11/01/04 21:22:35 ZGldkcDd
>>301
>つまり裁判所は戦闘詳報が存在していることを確認している。とまで言ってますよw
仮に事実なら、当時の戦闘詳報には部隊名の手がかりになる事柄が書いていなかったんですか?
つまり、戦闘詳報は裁判所確認後に作り直されたとでもw

304:日出づる処の名無し
11/01/04 21:50:09 1XvTrLOa
>>302
>「旅団命令」と書いていながら発令された記録が存在しなかったので「部隊名不明」としたら偽証だそうだw

戦闘詳報の部隊名は判る筈なのに不明としたから偽証だろw お前以外の否定派は判っているようだがwww
スレリンク(asia板:695番)
 「郷土部隊奮戦記」だけで部隊名の判断は可能w
 しかし児島襄は「郷土部隊奮戦記」から【連隊長】、【旅団長】、【師団長】の名前が判断できても、この戦闘詳報の部隊名は不明としているw
 これだけ部隊名が明確に判断できても「部隊名不明」としかできなかったなんてよっぽど証拠として問題があったんだろうなw

>>303
>仮に事実なら、当時の戦闘詳報には部隊名の手がかりになる事柄が書いていなかったんですか?

事実のわけねーだろw 裁判所が戦闘詳報の存在を確認しているわけがないと馬鹿にしてんだよwww
それさえも判らないのかwwwww

305:日出づる処の名無し
11/01/04 22:05:47 ZGldkcDd
>>304
なあ、55年の裁判って言う、割とどうでも良い話題でお茶濁しているが
この戦闘詳報ってどう見ても偽証拠だよなw

306:日出づる処の名無し
11/01/04 22:28:05 fbamY5yZ
>>304
>戦闘詳報の部隊名は判る筈なのに不明としたから偽証だろw お前以外の否定派は判っているようだがwww

アホ~~~~~~~~~~~~~~~~~wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
偽造文書としか考えられない物に部隊名が書いてあるからなんだってんだw
判決文にあるのは「児島襄の判断」。
戦闘詳報に書いてある事をそのまま抜き出すことではない。
児島襄が戦闘詳報の中の記述を基に判断した結果が「部隊名不明」という結論だw
お前はチラシの裏にマジックで書いてある「第一大隊戦闘詳報」というものを見て、「この部隊は歩六六連隊第一大隊だ!」という結論を出すんだなw

307:日出づる処の名無し
11/01/04 23:36:22 /i+J6iVm
>>304
常識で考えて『裁判所が部隊名不明と判断した児島襄の見解を採用しただけ』だろうw
いかにもそれらしく書いてある文書の中身を確認して「真偽不明」と判断したら偽証になるのかw

308:日出づる処の名無し
11/01/05 00:13:27 VMM+Tx58
否定派が相変わらず必死wwww
どんなに粘着して
どんなに頭ごなしに否定し続けても
30年以上まるで相手にされない否定派wwwww
哀れすぎて糞笑えるwwww


日本の裁判では「南京大虐殺はあった」と認定され(731部隊・南京大虐殺・無差別爆撃訴訟)
日本の教科書、辞典で南京大虐殺が扱われる場合は、ほぼ確実にあった事として記載され
自民党が始めた日中歴史共同研究では「日本側に責任がある」と明言され
その座長には「あった事は素直に認めるべき」と否定派が喝破されるwwww


誰からも相手にされないから、自分で勝利認定し続けるしかない否定派wwww
つくづく哀れwwww哀れwwwwwwwwあああああああ哀れwwwwwwwwww

南京事件FAQ
URLリンク(wiki.livedoor.jp)
南京事件-日中戦争 小さな資料集
URLリンク(www.geocities.jp)
南京事件資料集
URLリンク(kknanking.web.infoseek.co.jp)

309:日出づる処の名無し
11/01/05 00:19:46 4inW5q36
あっけなく退散したケケやゆうの糞HPコピペして
なに粋がってんだかwww

310:<
11/01/05 03:15:08 Sgztffmg
>>296
>>297
●朝も昼も夜も ”仕事もせず” に2ちゃんに粘着している馬鹿キチガイ♪・・・(・∀・)
  夏ちゃんスレではまだ ”物理的に隣の部屋はneighborhoodだ!ヽ<#`Д´>ノ” なんて喚いてるYO♪wwwww
  スレリンク(history2板:186番)

●まだ ”日本語の修正” も出来ないのかYO♪wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

  スレリンク(asia板:53番)
  いつになったら↓を回答するの~~~???w 別に ”引っ掛け” てなんかないんですけど?wwww
  【7回目】: ”審間” を入力した時の ”ひらがな読み” を回答してくれwwwwww

●これにも ”スルー” してるクセにまだ喚き散らしてらwwwwwwwwwww

  スレリンク(asia板:53番)
  【4回目】:”裁判所” が ”制度の事を指している” 具体例を示してくれw
  【3回目】:立氏の言う ”裁判所” とは一体どんな ”制度” なのですか???w

  ■『戦時国際法論 立作太郎著』
  凡そ戦時犯罪人は、軍事裁判 ≪ 所 ≫ 又は交戦国の任意に定むる裁判≪ 所 ≫ ≪ に於て ≫ 審問
  すべきものである。

  ■≪ 所 ≫ ⇒ 何かが行われるところ。何かがあるところ。場所。地点。箇所
  ■≪ に於て ≫ ⇒  動作・作用の行われる時・ 【【【 場所 】】】 ・場合を表す。

ハハハ                                       イキデキネーヨ
   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄          ハライテ-         ゲラゲラ
   ( ´∀`) < 裁判所は”制度”の事だって♪ ∧_∧        〃´⌒ヽ       モウ カンベン
.  ( つ ⊂ )  \_______         (´∀` ,,)、       ( _ ;)        シテクダサイ
   .)  ) )       ○   ∧_∧        ,, へ,, へ⊂),    _(∨ ∨ )_     ∧_∧ ○,
  (__)_)      ⊂ ´⌒つ´∀`)つ      (_(__)_丿      し ̄ ̄し     ⊂(´∀`⊂ ⌒ヽつ
              タッテ ラレネーヨ

311:<
11/01/05 03:16:50 Sgztffmg
>>296
>>297
●まだ ”捕虜(※戦場で捕らえられた者)” と ”俘虜(※交戦者の特権)” の区別がつけられないの
  かYO♪お馬鹿さんwwwwwwwwwwwwwwwww

  ■便衣兵は ”捕虜” にはされても ”俘虜” には慣れない事は明白ですが何か?♪・・・(・∀・)
  ■後、”戦律犯であれ、指揮官の判断で ≪ 俘虜 ≫ に出来る” とした学説はあるのですか?wwww

●”・・・のは理解に苦しむ” ← 何の関係も無い ”秦の感想文” を曝すな!ボケ!♪・・・(・∀・)

  ■『便衣兵化してしまっては交戦者資 格を持っていた事を証明出来ない』は、≪ 支那兵側の問題 ≫
  ですが???wwww 何を ”勘違い” したの~~~~wwwwwwwwww

  ああ、ワケの判らんレスを書いて ”混乱” させようとしたのかwwwwww じゃあもう一度♪・・・(・∀・)

  舊俘虜取扱規則
  URLリンク(homepage1.nifty.com)
  第一条 :本規則に於て俘虜と称するは帝国の権内に入りたる 【 敵国交戦者 】 及 【 条約又は慣例
       に依り俘虜の取扱を受くべき者 】 を謂う

  ■まず 【 敵国交戦者 】 についてですが、便衣兵は武器も制服も捨ててしまっているため、【 敵国交戦
  者 】 である事の ≪ 証明 ≫ が出来ません。よって、便衣兵を 【 敵国交戦者 】 として扱うことが
  出来ません♪交戦者とは ≪ 交戦者資格者 ≫ の事ですが、便衣兵化してしまっては ≪ 交戦者資
  格 ≫ を持っていた事を証明出来ないのです♪・・・(・∀・)

  ■又、便衣兵が 【 条約又は慣例に依り俘虜の取扱を受くべき者 】 ではない事は言うまでもありません♪

  ■よって国内法の観点からも便衣兵を ≪ 俘虜 ≫ にする事は出来ず、”捕虜” とした便衣兵に適用され
  る保護規定が一切存在していない以上、≪ 俘虜資格無き敗残兵 ≫ として処刑しても何も問題はありま
  せん♪・・・(・∀・)ok


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