10/12/31 11:38:08 yZ29r0Ie
まぁ、普通に考えてみても、児島氏が部隊名を知らなかったとは考えられませんね。
児島氏が史料を入手するとして、その入手経路は、「郷土部隊奮戦記」のコピーを入手するか、原本を持っていた藤沢氏から提供を受けるか、2つしかないわけです。
いずれにしても、部隊名は分かっていたことになります。
したがって、児島氏は、知っていたがわざと部隊名を隠したということになります。
隠した理由は、当時、南京大虐殺として議論の的となっており、このような「決定的証拠」(by洞富雄氏)を部隊名を明らかにして出すと、部隊関係者や資料提供者に迷惑がかかると思ったのではないでしょうかね。
この戦闘詳報を裁判所が証拠として如何に扱ったかについては、詳細が不明確であるのでなんとも言えません。
しかし、一般的な民事訴訟の手続きからすれば、証拠提出されたものは、余程の事がない限り証拠採用されますね。
東中野修道を被告とする夏淑琴氏名誉毀損訴訟の場合でも、東中野側は、自著を膨大にコピーして証拠提出して、原告側弁護士の失笑を買っていましたよ(笑)。