私は上海の大学生ですat ASIA私は上海の大学生です - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト202:日出づる処の名無し 11/10/14 18:32:01.13 Iz+UHNTK 台湾のダムみたいに、朝鮮も日本の統治時代のチョットいい話って ないのかな? 203:日出づる処の名無し 11/10/14 20:11:37.31 RrR54Wg7 キチガイ朝鮮人WWW クソして寝ろボケWWW 204:日出づる処の名無し 11/10/14 20:17:31.67 9L1zOhEV >>202 ダムなら北朝鮮にでかいやつを作ってるだろ。 205:日出づる処の名無し 11/10/14 20:24:59.24 9L1zOhEV いい話のはずが朝鮮ではいい話にならない。 206:日出づる処の名無し 11/10/14 20:33:47.37 asNRCzCr どんな美談や善行も、 朝鮮ヒトモドキが関わると、 何もかもぶち壊して台無しにする。 奴らには関わってはいけない。 福沢諭吉は正しかった。 207:日出づる処の名無し 11/10/14 21:18:45.09 dL35NXbB まあ倭畜の文化は中国と韓国の劣化コピーだからなあ 歴史上の美談もすべてそうだし・・ 208:日出づる処の名無し 11/10/14 21:53:29.12 Iz+UHNTK >>205そうかも・・・下記の話もいい話のはずがいい話にはならなかった。 「日帝時代、慶尚道地域の日本人地主であった『和夫一家』は、 日本政府の朝鮮移住政策によって、望みもしない朝鮮生活を 始める事になった。普段から人情に厚かった和夫さんは、 小作料を収穫全体の10分の1しかとらず、村人達を家族の ように考え、朝鮮総督府の法令で規定された小作料の中から 最低限しかとらなかった。 貧しい朝鮮の小作人が食べ物が無いと哀訴すると、喜んで 食べ物を分け与えてあげ、村で誰かが亡くなると、家族全員 が駆けつけて食事の用意はもちろん、自ら慟哭までして悲しみ を分け合った。 和夫さんはとても人間への暖かい愛情を持った人であった。 また、和夫さんの家族は、周囲に孤児がいると連れて帰って 面倒を見ていたが、一人、二人と増えていき、1945年には いつの間にか施設孤児院の規模にまで増えてしまっていた。 ・・・とここまではいい話なんだけど最後がなぁ・・・ 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch