11/09/02 00:44:51.22 o7M0k2Hm
こんな内容w
戦後、牟田口は実業家に転身した。
牟田口が起こした店の名前は「ジンギスカンハウス(中華料理店)」である。
奇しくもインパール作戦中に構想した「ジンギスカン作戦」から着想を得たことは言うまでもなかろう。
「ジンギスカン作戦」とは、輜重部隊が荷駄曳きに用いた牛を食糧に転用する作戦とされる。
なんのことはない補給を軽視した挙句に案出された「思いつき」を実行に移しただけの作戦である。
牟田口の地位があったればこそ実現されたようなもので、一般の将兵が提案したところで一笑に付されたであろう作戦である。
司令官の鶴の一声で実行に移された「ジンギスカン作戦」であるが、あいにくとビルマの牛は日本の牛とは勝手が違い、
食糧にするどころか荷駄曳きにも使えなかったという※。
それなのにも関わらず「ジンギスカンハウス」のネーミングである。
ビルマの露と散った3万人もの英霊を虚仮にするなと言いたい。