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昭和天皇が軍と政府の暴走に関して、強く反対できなかった理由がある。
張作霖爆殺事件の時に、当時の首相の田中義一は、初めは中国人の仕業と
天皇に報告した。しかし、その後の陸軍内部の調査で、「日本陸軍の仕業。統帥権を
無視して勝手に軍を動かそうとした」ということが判明した。
それを田中が天皇に報告すると、天皇は激怒して、「田中は信頼できぬ。お前は辞職するべき
ではないのか?」と田中に言った。田中は落胆してすぐに辞職した。その後、田中は現人神の
天皇に叱られたことがショックでうつ病となり、高齢だったので体調も悪くして、遂には発作で
死んでしまった。
田中の死亡の理由を聞いた若き昭和天皇の方もショックを受けて、それ以後、重臣、側近たち
をきつく叱るのは控えるようにしたという。
昭和天皇としては、大正天皇が障害者でほとんど政治を行なっていなかったから、
ヨーロッパに留学して帝王学を学んだ若き昭和天皇は、
「おじいさん、明治帝のように、自分が国を引っ張っていく」
というような気概もあったのだろうが、現人神であるという立場では、天皇に嫌われた重臣=国賊
という風潮があったので、結局、重臣たちに気を遣う必要があったようだ。