10/11/30 19:39:32
「悲運の京都兵団証言録 防人の詩 インパール編」を読了
インパール作戦前に衛生材料や薬の前線への輸送を主張する軍医に対して
「衛生材料はインパールに行けばある」といって軍医だけ前線に向かわせた無駄口
結果は野ざらしで医薬品の全くない野戦病院に傷ついた兵士が溢れるという結果に
全く近代の軍司令官とは思えない
作戦自体は完敗だと思っていたが、初期には六十連隊によるインパール水源地の爆破
のような成功例もあったのは意外だった
撤退時に担送できずに隠されていたミッション野戦病院の重傷者が英兵に油をかけられ生きたまま
焼き殺されたこの話、ずっと出所不明の伝聞だと思っていたけど栃平経技軍曹ら七人が目撃
していた実話と知り衝撃を受けた。戦時中まるで日本兵だけが残虐だったかのように思っている国内外の人たち
に聞かせてやりたいエピソードだ
ケネディピーク監視哨長の曹長が「瀬古大隊の集合が遅い」と瀬古大隊の辻井軍曹に話しかけ
辻井軍曹が「集合しております。集合と言われてももうこれきりなんです」と自分ひとりが
大隊残余のすべてだと言うこの部分が一番印象に残った。
監視哨任務に三個大隊が合同であたり、その総勢がたったの7名というのが・・・