10/10/29 22:09:39
南雲長官はもっと評価されるべき(13代目)
(初代)南雲忠一中将を再評価するスレ(改)
スレリンク(army板)
(2代)南雲忠一中将を再評価するスレ(伊)
スレリンク(army板)
(3代)南雲忠一中将を再評価するスレ(呂)
スレリンク(army板)
(4代)南雲忠一中将を再評価するスレ(波)
スレリンク(army板)
(5代)南雲忠一中将を再評価するスレ(仁)
スレリンク(army板)
(6代)南雲忠一中将を再評価するスレ(保)
スレリンク(army板)
(7代)南雲忠一中将を再評価するスレ(部)
スレリンク(army板)
(8代)南雲忠一中将を再評価するスレ(止)
スレリンク(army板)
(9代)南雲忠一中将を再評価するスレ(千)
スレリンク(army板)
(10代)南雲忠一中将を再評価するスレ(利)
スレリンク(army板)
2:GF長官
10/10/29 22:10:40
(11代)南雲忠一中将を再評価するスレ(奴)
スレリンク(army板)
(12代)南雲忠一中将を再評価するスレ(流)
スレリンク(army板)
3:GF長官
10/10/29 22:11:29
[支隊スレ]
南雲忠一中将を再評価するスレ(仁)(5代目とは同名別スレ)
スレリンク(army板)
【長官は】本日の南雲部隊司令部 1AF【無能だよ】
スレリンク(army板)
4:GF長官
10/10/29 22:12:30
初めての方へ
ここは南雲スレなのに、何故か南雲長官の出番が少ないスレです。
本編(発言者:GF長官)の構成は、
(改)スレの>>1~ 真珠湾攻撃編
>>478~ 印度洋機動作戦編
(伊)スレの>>109~ コロンボ攻撃の章
>>497~ 兵装転換の章
(呂)スレの>>90~ 仮想戦記の章
>>528~ ツリンコマリ攻撃の章
>>780~ 艦隊防空の章
(波)スレの>>358~ 人事考察の章
>>588~ 珊瑚海海戦編
(仁)スレの>>53~ MO作戦発動の章
>>355~ 祥鳳沈没の章
>>726~ 第五空襲部隊の章
(保)スレの>>172~ 夜間攻撃隊の章
>>445~ 索敵考察の章
>>709~ 空母決戦の章
(部)スレの>>397~ 筑摩一号機検証の章
>>653~ 零戦最強伝説の章
(止)スレの>>157~ サッチウィーブ誕生の章
>>350~ 帰って来た!空母決戦の章
5:GF長官
10/10/29 22:13:27
(千)スレの>>205~ 敵情不明の章
>>613~ 翔鶴被弾の章
(利)スレの>>92~ <回想>印度洋機動作戦の章
>>464~ 長波輻射の章
(奴)スレの>>313~ 翔鶴また被弾の章
>>527~ 翔鶴復旧の章
(流)スレの>>218~ 日本海軍建艦史の章
>>331~ 第一次世界大戦の章
戦史検証が中心なので、雑談は支隊スレへどうぞ。
6:GF長官
10/10/29 22:14:07
[MI作戦の作戦目的]
「ミッドウェー」島作戦に関する陸海軍中央協定
一、作戦目的
「ミッドウェー」島ヲ攻略シ、同方面ヨリ来襲スル敵国艦隊ノ機動ヲ封止シ、兼ネテ我ガ作戦基地ヲ推進スルニ在リ
二 略
三、作戦方針(1~3は略)
4、海軍ハ有力ナル部隊ヲ以テ攻略作戦ヲ支援擁護スルト共ニ、反撃ノ為出撃シ来ルコトアルベキ敵艦隊ヲ捕捉撃滅ス
第一機動部隊の任務は「ミッドウェー島航空兵力の無力化」と「米空母部隊の捕捉撃滅」です。
7:GF長官
10/10/29 22:15:21
[MI作戦の作戦日程]
6月4日(N-3日)第二機動部隊、ダッチハーバー空襲
ミッドウェー島攻略部隊、敵哨戒圏(600浬)内に突入
6月5日(N-2日)第一機動部隊、ミッドウェー島空襲
6月6日(N-1日)第一機動部隊、情勢に変化なければ敵艦隊出撃に備えつつ、
ミッドウェー島攻撃を続行
6月7日(N日) ミッドウェー島攻略部隊上陸
第一機動部隊、上陸支援
(註)第一機動部隊のミッドウェー島空襲は、当初N-3日の予定だったが、出撃が遅れたためN-2日となった。
8:GF長官
10/10/29 22:16:40
[ミッドウェー海戦戦闘経過](6月5日三空母被弾まで)日本時間
(日出0152時・日没1543時)
0130 第一次攻撃隊発艦(指揮:友永丈市大尉)零戦36・艦爆36・艦攻36(計108機)
上空警戒機・索敵機も発進(利根四号機は遅延し、0200発進)
0220「敵情特ニ変化ナケレバ第二次攻撃隊ハ第四編成(指揮官加賀飛行隊長)ヲ以テ本日実施ノ予定」
(南雲長官・第二次攻撃隊のミッドウェー再空襲を予令)
0234 PBY、南雲機動部隊を発見、触接開始
0334 第一次攻撃隊、ミッドウェー島攻撃開始
0400 「第二次攻撃ノ要アリ」(友永隊長、再攻撃要請)
0405 ミッドウェー島基地からの敵機第一波来襲(TBF6機・B-26 4機) 0415に終了
0415「第二次攻撃隊本日実施、待機攻撃機爆装ニ換ヘ」(南雲長官・雷装から爆装への兵装転換を下令)
0440「敵ラシキモノ一○隻見ユ」(利根四号機から0428時の報告・敵艦隊発見)
0445「敵艦隊攻撃準備、攻撃機雷装其ノ儘(ソノママ)」(南雲長官・雷装復旧を命令)
0453 ミッドウェー基地からの敵機第二波来襲 (SBD16機・B-17 15機・SB2U11機)0540に終了
0506 第一次攻撃隊帰投開始(対空戦闘中のため上空待機)
0509「敵ノ兵力ハ巡洋艦五隻・駆逐艦五隻ナリ」(利根機・続報)
0520「敵ハソノ後方ニ空母ラシキモノ一隻ヲ伴ウ」(利根機・敵空母発見)
9:GF長官
10/10/29 22:17:56
0530「直チニ発進ノ要アリト認ム」(山口少将・即時発進の意見具申)
0537 第一次攻撃隊収容開始(0617終了)
0555「収容終ワラバ一旦北ニ向ヒ、敵機動部隊ヲ捕捉撃滅セントス」
(南雲長官、第二次攻撃隊をもって敵空母を攻撃することを明示)
0618 敵空母から敵機来襲(ホーネット第8雷撃中隊 TBD15機)0637終了
0640 同(エンタープライズ第6雷撃中隊 TBD14機)0700終了
0713 同(ヨークタウン第3雷撃中隊 TBD12機)
0722 同(エンタープライズ第6爆撃中隊 SBD31機)
0723 加賀被弾
0724 赤城被弾
0725 同(ヨークタウン第3爆撃中隊 SBD15機)
蒼龍被弾
10:GF長官
10/10/29 22:19:09
Q1.事前の索敵計画(七線一段索敵)は、索敵軽視ではないのか(その1)
A1.当時の日本海軍では、重視でも軽視でもなく、標準である。
(註)「当時の聨合艦隊戦策では、索敵は一段索敵とすることが定められており、二段索敵を実施することに
改められたのは、昭和18年5月のことである」 (『歴史群像(55)日米空母決戦ミッドウェー』)
Q2.事前の索敵計画は、索敵軽視ではないのか(その2)
A2.真珠湾でもインド洋でも珊瑚海でも、二段索敵は実施されていない。
そもそも、二段索敵そのものがミッドウェー海戦の戦訓から生まれたものである。
(註)二段(多段)索敵という方法自体は、開戦前から考えられていた。
「偵察が大事であるということは私自身もこれを痛感し、昭和2,3年ころ、初めて航空界に身を投じた時、
第一に選んだ研究課題が"航空機による敵情偵知"であって、各種索敵法というものを考え出した元祖が
私であったといっても過言ではないと思う」 (『聨合艦隊』草鹿龍之介/著)
11:GF長官
10/10/29 22:20:31
Q3.事前の索敵計画は、索敵軽視ではないのか(その3)
A3.索敵機の数を増やすことは万能の解決策ではない(収容の手間)
(註1)艦上機(九七艦攻・二式艦偵等)の場合、収容の際、風上に立たなければならない。
珊瑚海海戦一日目(昭和17年5月7日)、艦隊針路と風向が逆だったために、攻撃隊収容時に
反転しなければならず、 その結果敵空母との距離を詰められず、薄暮攻撃になってしまった。
(註2)水上機(九四水偵・零式水偵等)の場合、着水した機体を揚収しなければならない。
艦隊の行動が止まってしまい、敵潜水艦の格好の標的となる。
(註3)母艦が対空戦闘中の場合、帰艦した索敵機は上空待機を強いられる。
ミッドウェー海戦では、利根四号機が0730頃に自艦上空に帰投したが、防空戦闘及び三空母
被弾の混乱から、収容したのは0847時になった。
(註4)索敵機の中には、機位を失い不時着する機体が出るおそれもある。
「インド洋作戦で起きたある不運な出来事のため、偵察に必要最小限度以上の兵力を割くことを、
南雲およびその幕僚はためらうようになっていた。索敵機が機位を失し、そのために母艦が無線
封止を破って電波を出し、艦隊の位置を敵に暴露することになったからである」
(『ミッドウェーの奇跡』GordonPrange/著・千早正隆/訳)
12:GF長官
10/10/29 22:21:16
Q4.事前の索敵計画は、索敵軽視ではないのか(その4)
A4.索敵機の数を増やすことは万能の解決策ではない(誤報の増加)
索敵機を増やせば、敵情報告も増加するが、同時に誤報が含まれる恐れも大きくなる。
(註)珊瑚海海戦一日目(昭和17年5月7日)では、20機以上の索敵機を出したが、最初に
入ったのが誤報(油槽船を空母と誤認)だったため、攻撃隊が空振りに終わった。
同海戦二日目では、わずか7機の索敵機だったのにも関わらず、正確な敵情報告のため、
攻撃隊は会敵に成功した。
13:GF長官
10/10/29 22:22:09
Q5.0415時、南雲長官が兵装転換を命じたのは何故か(その1)
A5.0400時、友永大尉より「第二次攻撃ノ要アリ」と要請があった。第一次攻撃隊長が「効果不十分」
と判断したのだから、再攻撃が必要なのは当然である。
(参考)「日本海軍には、第一線下級指揮官の判断を尊重する伝統があった」
(『太平洋戦争航空史話』秦郁彦/著)
Q6.0415時、南雲長官が兵装転換を命じたのは何故か(その2)
A6.0405時から、南雲機動部隊はミッドウェー基地航空隊の攻撃を受けている。同島航空兵力は未だ
健在であり、速やかにこれを壊滅させなければならない。
(註)「この攻撃によって、ミッドウェーに対する第二次攻撃の必要性についてのすべての疑問が解消した。
いったいこれらの飛行機はどこから飛来したのか。南雲にとっては、もはや確認する必要はなかった。
ミッドウェーから来たことは明らかだった」 (『逆転』WalterLord/著・実松譲/訳)
14:GF長官
10/10/29 22:24:15
Q7.0415時、南雲長官が兵装転換を命じたのは何故か(その3)
A7.味方攻略部隊は、すでに前日からミッドウェー島の敵哨戒圏(600浬)内を進撃中である。
輸送船団に損害が生じては作戦全体に大きな支障をきたす。敵基地制圧が急務である。
(註)「聨合艦隊命令は敵艦隊撃滅を第一順位としていたが、同命令はまた機動部隊によるミッドウェー空襲を
6月5日と特に指令していた。もし我が機動部隊が計画通りミッドウェーの航空兵力を無力化しなかった場合
には、空襲の二日後に予定されている上陸作戦は猛反撃を受け、全攻略作戦は重大な支障を受けるであろう」
(第一航空艦隊先任参謀・大石保中佐)
15:GF長官
10/10/29 22:25:27
Q8.0415時、南雲長官が兵装転換を命じたのは何故か(その4)
A8.0130時から発進した索敵機(巡航速度120節・進出距離300浬)は、2時間半あれば索敵線先端に到達する。
(最も遅い利根四号機でも0430頃)
0415の時点で報告がないということは、南雲機動部隊の半径300浬内に敵艦隊は存在しない可能性が高い。
よって、ミッドウェー島再空襲を優先すべきである。
(参考1)昭和19年6月19日マリアナ沖海戦1日目について。
「0730第一段索敵機、概ネ端末ニ達シタル時機、攻撃距離内ニ他ノ母艦群ヲ 認メザリシヲ以テ、
一航戦第一次攻撃隊ヲ発進セリ」 (『戦史叢書(12)マリアナ沖海戦』)
小沢長官もまた、索敵機が索敵線先端に到達した時点をもって、「他に敵空母群は居ない」と判断している。
南雲長官の兵装転換下令は、決して「航空戦の素人」だからではない。
(参考2)昭和17年5月8日珊瑚海海戦2日目について。
索敵機が米機動部隊発見を報告したのは、側程に入ってから約20分経過した時点に相当。
よって、南雲長官の決断は「時期尚早」という評価も成立する。
16:GF長官
10/10/29 22:26:19
[補足1]兵装転換評(国内)
(1)『戦史叢書(43)ミッドウェー海戦』(防衛庁防衛研修所戦史室)
「第一機動部隊は0405ころから防空戦闘を開始した。この戦闘中南雲長官はミッドウェー島再攻撃を決意し、
艦内で雷装して待機していた艦攻の兵装を爆装に換えるよう命じた。
ところが敵水上部隊発見に伴い、南雲長官はこれが攻撃を企図し、0445『敵艦隊攻撃準備、攻撃機雷装其ノ儘』
と下令した。
この命令に『其ノ儘』(そのまま)という字句を使っているところでも判るとおり、同長官は兵装転換に長時間を要する
ことや、30分前兵装転換を下令してから防空戦闘が続いたことなどから、爆装への転換作業はほとんど進んでおらず、
簡単に雷装に復旧できると判断したのである」
17:GF長官
10/10/29 22:27:10
(2)『ミッドウェー』(淵田美津雄・奥宮正武/共著)
「第二次攻撃隊をミッドウェー基地に向けるって、もう命令が出たのか?」
「イヤ、いま司令部で話し合っているのを艦橋で聞いてきました」
「だって、またインド洋のときみたいに、出たあとで偵察機から"敵艦見ユ"と来るかも知れんぜ」
「イヤ、しかし偵察機は、もう全部、とうに索敵線の前端まで行きついた時刻なのに、報告がありませんから、
攻撃圏内には敵艦隊はおらんと判断されていますよ」
「そうか、しかし魚雷を抱いているんじゃないか?基地攻撃はちょっと困るね」
「ええ、それでいまから、陸用爆弾に積みかえろって命令が出るんですよ」
「いやあ、それは大変な騒ぎだ。それに、もうそろそろ敵の陸上機が来るころだぜ」
このとき司令部はすでに、第二次攻撃隊をミッドウェー攻撃に振り向けることに一決していた。
18:GF長官
10/10/29 22:28:36
(3)『写真太平洋戦争』(第3巻) (光人社NF文庫)
「南雲長官は、最初に兵装転換を下令してからまだ30分しか経っていないので、艦攻の大部分はまだ雷装のまま
だろうと考えた。しかし兵装転換というのは、外すのは簡単なもので、たちまちカタンと外してしまう。問題は装着に
時間がかかるのだ。したがって全機の魚雷がすでに外されて、格納庫内で爆装作業が始まっていた」
19:GF長官
10/10/29 22:29:29
(4)『歴史群像(55)日米空母決戦ミッドウェー』(学研)
「第一機動部隊司令部にとっては、これはミッドウェー島の航空戦闘能力は未だ健在で、今なお脅威となり得ることを
示しており、15分前に友永大尉機から送られてきた報告が正しいことを裏付けるものとなった。
この時点では、敵艦隊出現の兆候は聨合艦隊及び軍令部の対敵情報でももたらされていない。
また、発進させた索敵機はまもなく索敵線の先端にたどり着く頃だが、いまだに敵発見の情報がないということは、
敵空母の攻撃圏内に第一機動部隊が存在しないことを示してもいた」
20:GF長官
10/10/29 22:30:52
[補足2]兵装転換評(海外)
(1)『ニミッツの太平洋海戦史』(ChesterWilliamNimiz/著・実松譲 冨永謙吾/共訳)
「この時機(米空母の攻撃隊発進)までの南雲提督の作戦は、見事な慎重さで実施された。
彼の得た敵情報告からは、海上兵力による抵抗は予期されなかったが、ミッドウェー攻撃には使用可能な飛行機の
半分だけを発進させ、その残りは魚雷を装備、万一米艦隊が出現した場合の戦闘に備え、飛行甲板上に待機させて
いた。
午前7時、ミッドウェー攻撃から帰艦した攻撃隊指揮官は、ミッドウェーに対し第二次攻撃の要ありと進言した。
その直後に行われたミッドウェー基地機による雷撃は、この意見具申を裏書きするように思われた。
このときまでに、南雲部隊の巡洋艦搭載機はすでに二時間から二時間半の索敵を続けており、少なくとも200浬の
索敵線に達しているように考えられた。いまや米艦隊に対する警戒を緩めても、安全であるように見えた。
いずれにせよ、ミッドウェー攻撃隊は間もなく帰投し、補給を必要とするであろう」
(註)「午前7時」は、日本時間0400時。
「ミッドウェー攻撃から帰艦した攻撃隊指揮官」は、友永大尉の無電を指す(戦闘経過参照)
21:GF長官
10/10/29 22:33:31
(2)『太平洋戦争アメリカ海軍作戦史』(SammuelEliotMorison/著・中野五郎/訳)
午前7時(0400時)、彼(南雲長官)はミッドウェー島空襲を終わったばかりの攻撃機隊指揮官友永大尉から
「ミッドウェー島に対しては第二次攻撃の要あり」という電報を受け取った。
その十分後に、ミッドウェー島から出たアメリカ軍爆撃機の来襲があったが、これは友永海軍大尉の具申した
意見を裏書きするものであった。
これに基づいて日本機動部隊指揮官南雲海軍中将は、7時15分(0415時)に彼にとって致命的となった決定をした。
すなわち彼は敵軍の水上部隊に対して即時待機の姿勢にあった攻撃機隊93機の「準備を解いた」のである。
すると7時28分(0428時)に至り、遅れて発進した巡洋艦利根の飛行機から電報が受領され、これで情勢は忽ち
一変した。この電報を受けた当初、南雲海軍中将はこの敵艦隊を処理しなければならぬと考えた。しかしこの報告は、
敵の航空母艦に関して何らの暗示もない漠然としたものであったから、同中将は彼の麾下の攻撃飛行隊の急速兵装
転換を取り消すことを至当とは考えなかった。
15分間熟慮して7時45分(0445時)決心を変えた。すなわち彼は直率部隊に対して、
「敵の艦隊に対する攻撃実施を準備せよ。爆弾装備に変更未済の攻撃機に搭載の魚雷はそのままに残せ」と信号した。
恐らくは当時、彼は珊瑚海海戦における原忠一海軍少将の大失策、すなわち航空攻撃隊の大部分を油槽艦に向けて
無駄に費やしたことを想起したのであろう。
そのため2分後に、利根機に対して「艦種知らせ。触接を持続せよ」と無電で指令した。
利根機の操縦士は、8時20分(0520時)に「敵ハ航空母艦ラシキモノ一隻ヲ伴フ」と報告した。
彼の計画していた攻撃隊はすでに編成を解かれていたし、その麾下の各航空母艦の飛行甲板は、ミッドウェー島から
刻々帰還してくる飛行機のために取り片付けておかねばならなかった。
彼は航空母艦間の戦闘において達成すべきものを、与える側ではなく、受ける側に立たねばならなかったのである。
これは何たる重大な運命の破局であったろう!
(註)( )内は日本時間。戦闘経過参照。
22:GF長官
10/10/29 22:34:25
(3)『空母ヨークタウン』(PatFrank/著・谷浦英男/訳)
「多くの著述家が、これ(兵装転換)を取り返しのつかない大失策であり、 おそらく日本に敗戦をもたらした
大錯誤だったと強調している。
そういうことにつながるとしても、その時点においては、これは妥当な決断 だったと言える。
ミッドウェーを再攻撃しなければならないのは明白だった。
現にたった今、 ミッドウェーからやってきた飛行機隊が、南雲自身の乗艦を攻撃したばかりである。
一方、索敵機が付近の海域に敵水上艦隊を発見したという徴候は全くない。
南雲長官は、正当な決断である、と判断した。
ミッドウェーに第二次攻撃をかけることは決して賭けではない。
第一波は間もなく帰投して、発進して行く飛行機と交替する。 第一波は着艦するやいなや爆弾と魚雷を
搭載して、 索敵機が敵の艦隊を 発見したなら、いつでも発進できるように待機するだろう。
客観的に見れば、これは論理的な決断だったと言える」
23:GF長官
10/10/29 22:35:23
(4)『ミッドウェーの奇跡』(GordonPrange/著・千早正隆/訳)
「南雲のこの決定は、その後に激しい批判の的となった。高い外野席からの結果論からみれば、南雲のこの決定は
重大なミステークであったと思う読者は、きわめて多いかもしれない。が、著者は草鹿や源田と同じく、当時の情況
からして南雲の決定は妥当なものであったと信ずる者である。
ミッドウェーを攻撃した友永が再攻撃の必要があると意見を具申したこと、
ミッドウェー基地の航空部隊がまだ攻撃を続けていること、
彼がもっとも信頼している源田が同意したこと、
南雲は彼自身の常識に基づいて決定を下したからである。
しかも、その前日に東京から『わが企図が敵に察知された兆候全くなし』という電報を受信していたのである
南雲のこの重大な決定の是非を判断するには、彼が赤城の艦橋でその決定をした当時の状況を見なければならない。
その決定は少なくとも、敵艦隊の配備および能力を知ることなくして為されたものであった。とすれば、それは指揮上の
失策ではなく、情報上の失策と看なすべきであった。
『知っていれば怪我はない』との古諺とは逆に、南雲は知らなかったために大怪我をした、と言ってよいであろう」
24:GF長官
10/10/29 22:36:17
Q9.0530時、南雲長官が山口少将の意見具申を採用しなかったのは何故か(その1)
A9.0530頃B-17が二航戦を撮影した写真がある。それによれば甲板上には攻撃隊は整列していない。
この状態から発艦準備を完了させるには40分は必要。現実的に即時発進は不可能である。
(註1)写真については、『歴史群像(55)日米空母決戦ミッドウェー』(学研)p64、p136
『写真太平洋戦争第3巻』(光人社NF文庫)p190を参照のこと。
(註2)よく見ると、蒼龍飛行甲板艦尾付近に1機・飛龍飛行甲板中央付近に1機確認できる。
おそらく直衛の零戦と思われる。
(註3)「攻撃機などの兵装が完備していても、これを格納庫から飛行甲板に揚げ、攻撃隊の発進準備を完成する
のにはまず40分は必要であろう」 (『戦史叢書(43)ミッドウェー海戦』)
蒼龍(0521~0524時におけるB-17の攻撃。艦尾に1機確認できる)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
飛龍(後部甲板に「ヒ」の識別記号。飛行甲板中央に1機確認できる)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
25:GF長官
10/10/29 22:37:42
Q10.0530時、南雲長官が山口少将の意見具申を採用しなかったのは何故か(その2)
A10.第二次攻撃隊の制空隊(零戦)のほとんどは、母艦直衛に上がって対空戦闘中である。
護衛なしの艦爆隊で敵空母を攻撃しても、戦果は期待できない。
(参考1)珊瑚海海戦一日目には、護衛なしの薄暮攻撃を実施した。(編成は艦爆12・艦攻15の計27機)
しかし、米戦闘機の奇襲に遭い、未帰還機9(艦爆1・艦攻8)の損害を出した。
薄暮ですら、この大損害なのだから、昼間攻撃では到底有効な打撃は与えられないだろう。
During these battles, it became clear that attacks without fighter escort amounted to suicide.
これらの戦闘(珊瑚海海戦)を通して、護衛なしの攻撃隊は結局自殺行為になることが明らかになった。
(『Grumman F4F Wildcat』Coral Sea)
URLリンク(users.skynet.be)
米側の認識も同じである。
(参考2)ミッドウェー海戦において、単独で南雲機動部隊に攻撃してきた米空母雷撃隊は壊滅した。
護衛なしの攻撃に躊躇したのは、間違ってはいない。
(註)VT-8(ホーネット) 15機中全機撃墜
VT-6(エンタープライズ)14機中10機撃墜
VT-3(ヨークタウン) 12機中10機撃墜(2機未帰還)
計41機中35機撃墜。
(参考3)0530時点での米空母情報は、利根四号機の「ミッドウェーヨリノ方位10度・240浬」(0428時発信)のみ
であり、 実際の位置より北へ100浬近くずれている。よって、即時発進しても会敵できない恐れが大である。
26:GF長官
10/10/29 22:38:39
[補足3]第二次攻撃隊の兵装状態(推定)作業はすべて格納庫内
一航戦(艦攻隊) 二航戦(艦爆隊) 備考
0130 雷装 空装? 第一次攻撃隊発進
0415 転換作業開始 爆装開始 兵装転換命令(一航戦は雷装から爆装へ)
(二航戦は陸用爆弾装備開始)
0445 復旧作業開始 転換作業開始 一航戦は未換装機の爆装作業中止
爆装転換済みの機体は雷装復旧開始
二航戦は陸用爆弾を通常爆弾へ換装開始
0530 復旧作業途中 転換作業途中? 二航戦は陸用爆弾と通常爆弾の混載状態?
山口少将、即時発進の意見具申
0723 復旧作業途中 転換作業完了 三空母被弾
27:GF長官
10/10/29 22:39:22
(1)「空装」とは、魚雷も爆弾も装備していない状態。
(2)一航戦が雷装待機なのは、事前のGFの指示によるもの([補足4]参照)
(3)二航戦が空装なのは、インド洋作戦時の戦訓によるもの。
「(第二次攻撃隊の)二航戦の艦爆は、一航戦同様に対艦装備で待機していたとも言われているが、最近の米側の
研究では爆装がなされていない状態で格納庫内にあったともされる。これはインド洋で攻撃準備中に敵艦隊を発見
して雷爆換装に追われた戦訓を踏まえて、状況を見極めた上で敵情がはっきりするまでは、あえて艦爆隊の準備を
しなかったのではないかと考えられる」 (『歴史群像(55)日米空母決戦ミッドウェー』)
28:GF長官
10/10/29 22:40:04
Q11.第一次攻撃隊収容より、第二次攻撃隊発進を優先させるべきだったのでは(その1)
A11.第一次攻撃隊は0500時過ぎから帰投を始めていたが、母艦が対空戦闘中であったため、上空待機を
強いられていた。速やかに収容しなければ、燃料切れで不時着する機体が生じる恐れがあった。
Q12.第一次攻撃隊収容より、第二次攻撃隊発進を優先させるべきだったのでは(その2)
A12.第一機動部隊の任務は「ミッドウェー島航空兵力の無力化」である。
この後のミッドウェー島再空襲、及び攻略部隊の上陸支援のためにも、母艦兵力を減少させる
わけにはいかない。
29:GF長官
10/10/29 22:41:12
Q13.第一次攻撃隊収容より、第二次攻撃隊発進を優先させるべきだったのでは(その3)
A13.第一機動部隊の任務は「米空母部隊の捕捉撃滅」である。
0530時点で、発見した敵空母は一隻のみ。新たな空母が別の場所で発見された場合、第三次攻撃隊を
編成する上でも、母艦兵力を少しでも確保しておきたい。
(参考)海外の評価
「南雲としてはそのような意見具申(山口少将の即時発進)を必要としていなかった。真珠湾の勝利者である彼(南雲)
以上に航空攻撃の奇襲性と迅速性の価値を認識している者はなかったと言ってよい。が、彼は山本に対し、天皇に対し、
更に祖先の神霊に対して責任を負っている幾千の将兵の生命をその手中に預かっていた」
「南雲は理論的には、非難の余地のない作戦決定をしたのであったが、それが皮肉なことに裏目に出たのであった。
南雲は彼が戦闘の主導権を失っていたことに気づかなかったが、彼が入手していた情報を見る限り、彼がそのことに
気が付かなかったことを非難する理由は見出し難い。
だからこそ、彼にはパニックに陥り、中途半端の兵力で敵艦隊の攻撃に向かわす必要性がなかったのであった」
(『ミッドウェーの奇跡』)
30:GF長官
10/10/29 22:42:26
Q14.南雲長官は米空母が付近に居る可能性を考えていなかったのか。油断し過ぎではないか。
A14.考えてはいたが、A7の理由から、敵空母所在の「確証」がない限り動けない事情があった。
敵空母所在の「兆候」のみでは、ミッドウェー島再空襲の方を優先したいという考えだった。
「このとき南雲長官は大した逡巡もなく(ミッドウェー島再空襲の)決断を下している。
が、ここで読者諸氏は疑問を浮かべられるであろう。米空母部隊の所在に、ここまできても気を遣わなかったのか
という当然の疑問である。
敵機動部隊に対する配慮は、当たり前のことながらあった。ただ何度も書くように
『味方の輸送船団は休むことなく前進を続け、ミッドウェー島に近づいているであろう』
という焦慮が、絶えず南雲長官以下各幕僚の頭から離れず、思考の弾力を奪っていた。
草鹿参謀長の言う『二兎を追うわずらわしさ』である。
もし、それなりの処置をとって敵空母部隊に出合えばよい。が、遭遇することなく無駄な時間と兵力を費やし、
空からの援護なしに味方輸送船団を裸でミッドウェー島に近づけ、作戦を根底から崩してしまうようなことが
あってはならない。
そういう思いが片時も離れない。責任の重圧から来るその感情は、恐怖にさえ似ていた」
(『ミッドウェー戦記』亀井宏/著)
31:GF長官
10/10/29 22:43:56
Q15.山本GF長官は敵空母撃滅優先を指示していたはずだが、南雲長官に伝わってなかったのか。
(その1)
A15.南雲長官は、GFの作戦方針を正しく理解していたと思われる。
現に、0520時の敵空母発見の報告を受けて、0530時には敵艦隊に対する第二波準備を下令し、
0555時には「敵機動部隊ヲ捕捉撃滅セントス」と敵空母撃滅を優先することを明示している。
(参考)
(1)珊瑚海海戦1日目には、索敵機が油槽船を空母と誤認し、攻撃隊が空振りに終わり、その後の作戦に
大きな支障をきたした。
(2)珊瑚海海戦では、敵空母2隻を撃沈破したにも関わらず、MO作戦は失敗に終わった。
「敵空母を全滅させても、味方攻略部隊が上陸できなければ、作戦は失敗である」
(3)0530の発令とは、
「発:機動部隊指揮官」「宛:機動部隊」「本文:艦爆隊二次攻撃準備 二五○粁爆弾揚弾」
収容した友永隊(第一次攻撃隊)の艦爆隊(一航戦)に対艦装備を施し、第二次攻撃隊発進後、
すぐさま第二波として敵空母に向かわせることを企図したもの。
32:GF長官
10/10/29 22:45:15
Q16.山本GF長官は敵空母撃滅優先を指示していたはずだが、南雲長官に伝わってなかったのか。(その2)
A16.雷装待機中の第二次攻撃隊は「最強編成」である(板谷制空隊・江草艦爆隊・村田雷撃隊)
新任の友永大尉に基地制圧を任せ、真珠湾以来の熟練指揮官を敵空母撃滅用に残していたというところから、
南雲長官が米空母撃滅の方を重視していたことがうかがえる。
(註)板谷茂少佐(赤城)真珠湾攻撃では第一次攻撃隊制空隊長。
江草隆繁少佐(蒼龍)真珠湾攻撃では第二次攻撃隊艦爆隊長。「艦爆の神様」インド洋作戦で8割超の命中率。
村田重治少佐(赤城)真珠湾攻撃では第一次攻撃隊雷撃隊長。「雷撃の神様」
「まことにこの三人の指揮官は、この舞台ではベストワンのトリオである。そして彼らに続く
搭乗員は、すべて一騎当千の精鋭で、かけ値なしに当時日本海軍のベストワンの編成である。
もしこれでスポーツのように国際競技が行われるものとしたら、金メダルは確実である。
南雲中将は、米空母群は近くに居ないと一応は判断しているが、それでも万一に備えて、このように
敵空母群攻撃の最良編成で待機させたのである」 (『ミッドウェー』淵田・奥宮/共著)
「(第二次攻撃隊の)パイロットたちはぶらぶら歩きながらくつろぎ、待機していた。こんなに数多くの
優秀なパイロットをこのように待機させておくのは、なんだか無駄遣いのように見えた。
しかし、南雲は艦隊の安全を希望していた。
誰でも動かない島を攻撃できるが、動きまわる艦船を攻撃するには伎倆が必要である。だが、見込み
がなくても米艦隊の出現の恐れがある限り、南雲は使用できる優秀な搭乗員を待機させておきたかったのだ」
(『逆転』WalterLord/著・実松譲/訳)
33:GF長官
10/10/29 22:46:21
[補足4]第二次攻撃隊雷装待機について
(1)雷装待機は事前にGFより厳命されていた。
「ミッドウェー攻撃ノ間、母艦搭載機ノ半数ハ、敵艦隊ノ出現ニ備ヘテ艦上待機ヲ行フ
対敵艦隊攻撃待機ハ、第一編制(指揮官 赤城飛行隊長)トスル」(『戦史叢書』MI作戦要領)
(2)雷装待機に対する反論(『ミッドウェーの奇跡』より)
「山本長官が兵力の半数を、敵の空母部隊に備えるよう望んでおられることは、南雲長官もその幕僚も
よく承知していた。事実、情況の許す限りそうしていた。
が、敵のミッドウェー基地の航空兵力が我々に対して攻撃を開始し、敵の空母部隊がまだ発見されない
情況では、居るのか居ないのか分からない敵に対して、その兵力の半数を無期限に放置しておくのは、
前線の指揮官としてほとんど耐えられないことであった」 (草鹿龍之介少将・一航艦参謀長)
「そのような考えにこだわると、適当な敵が発見されない限り、攻撃兵力の半数が有効に使われないこと
になる。情況によって決定はなされなければならない」 (源田実中佐・一航艦航空甲参謀)
34:GF長官
10/10/29 22:47:32
Q17.『第一航空艦隊戦闘詳報』の「経過概要」では、0428時送信の利根機敵艦隊発見電は
0500時受信となっているが、戦闘経過では0440時受信としているのは何故か。
A17.0445時の換装中止命令と矛盾するから。
0500時受信の場合、情勢に何の変化もないのに、いきなり換装中止命令を出したことになる。
兵装転換の中止を命ずる限りは、その前に何らかの敵情の変化が入ったはず。
0445時の発令自体が虚偽とする説もあるが、0447時の無電を米側が傍受した記録が残されている。
(『歴史群像ミッドウェー』より)
(註1)『戦闘詳報』の出典は、『記録ミッドウェー海戦』(澤地久枝/著)
または、「国立公文書館 アジア歴史資料センター」のホームページより
URLリンク(www.jacar.go.jp)
【レファレンスコード】C08030023900(11/54)
(註2)0447時の無電とは、
「発:機動部隊指揮官」
「宛:利根四号機」
「本文:タナ一、艦種確メ触接セヨ」
つまり、南雲長官が利根四号機に「艦種を確認せよ」と命ずる以上、0447時以前に利根機からの
敵艦隊情報を赤城が受信していたことになる。
35:GF長官
10/10/29 22:49:59
以降は珊瑚海海戦編テンプレ
[珊瑚海海戦要図] 日出は0420時、日没は1614時(日本時間)
□■ラバウル
□□□
□□□□□□□ □□ ソロモン諸島
□□ □□
□□□□ □□ □□
□□■ラエ □□ □□ □□
□□□□□ □□ ■ツラギ
□□□□□□□ ジョマード水道 □□□ガダルカナル島
□□□■□□□□ ↓ ルイジアード諸島
ポート □□□□■ □ □■ □ ■ロッセル島 □
モレスビー サマライ デボイネ
□
□□ 珊 瑚 海
□□
□□■クックタウン
豪□□
州□□ ニューカレドニア
□□□■タウンスビル □□
□□□□ □■ヌーメア
□□□□□□
36:GF長官
10/10/29 22:51:13
[MO作戦日本側編成]
<南洋部隊>第四艦隊司令長官・井上成美中将
(1)MO機動部隊(第五戦隊司令官・高木武雄中将)
[主隊](高木中将直率)
第五戦隊 重巡「妙高」「羽黒」
第七駆逐隊 駆逐艦「曙」「潮」
[航空部隊](第五航空戦隊司令官・原忠一少将)
第五航空戦隊 空母「瑞鶴」「翔鶴」
第二十七駆逐隊 駆逐艦「有明」「夕暮」「白露」「時雨」
[補給隊] 給油艦「東邦丸」
37:GF長官
10/10/29 22:51:55
(2)MO攻略部隊(第六戦隊・五藤存知少将)
[MO主隊](五藤少将直率)
第六戦隊 重巡「青葉」「衣笠」「加古」「古鷹」
空母「祥鳳」
駆逐艦「漣」
[ポートモレスビー攻略部隊](第六水雷戦隊司令官・梶岡定道少将)
第六水雷戦隊 軽巡「夕張」
駆逐艦「追風」「朝風」「睦月」「望月」「弥生」「卯月」
敷設艦「津軽」
掃海艇「第二○号」
輸送船12隻
[掩護部隊](第十八戦隊司令官・丸茂邦則少将)
第十八戦隊 軽巡「天龍」「龍田」
水上機母艦「神川丸」「聖川丸」
特設砲艦「日海丸」「京城丸」「勝泳丸」
特設掃海艇2隻
(3)ツラギ攻略部隊(第十九戦隊司令官・志摩清英少将)
第十九戦隊 敷設艦「沖島」
駆逐艦「菊月」「夕月」
特設掃海艇2隻
特設特務艇2隻
特設駆潜艇2隻
輸送船2隻
38:GF長官
10/10/29 22:52:59
[珊瑚海海戦米側編成]
第17任務部隊(フランク・フレッチャー少将)
[第2群]攻撃隊(トーマス・キンケード少将)
重巡「ミネアポリス」「ニューオリンズ」「アストリア」「チェスター」「ポートランド」
駆逐艦「フェルプス」「デューイ」「ファラガット」「エールウィン」「モナガン」
[第3群]支援隊(ジョン・クレース英少将)
重巡「オーストラリア」(豪)「シカゴ」
軽巡「ホバート」
駆逐艦「パーキンス」「ウォーク」
[第5群]航空部隊(オーブレイ・フィッチ少将)
空母「ヨークタウン」「レキシントン」
駆逐艦「モリス」「アンダーソン」「ハマン」「ラッセル」
[第6群]補給隊(ジョン・フィリップス大佐)
油槽船「ネオショー」「ティッペカヌー」
駆逐艦「シムス」「ウォーデン」
[第9群]索敵隊(ジョージ・デーボン中佐)
水上機母艦「タンジール」(PBY12機)
(註)フレッチャー少将はヨークタウン坐乗、フィッチ少将はレキシントン坐乗
この他に、ポートモレスビー及び豪州の陸軍航空隊が加わる。
39:GF長官
10/10/29 22:54:03
こちらは士官用テンプレ。過去スレの内容をまとめたものです。
<攻撃前日の敵情判断>
Q18.6月4日に輸送船団が攻撃を受けながら、なお奇襲が成立すると見込んでいた南雲司令部
の判断は甘かったのではないか。
A18.企図漏洩をうかがわせる情況は以下の三点。
①第二機動部隊による、ダッチハーバー空襲(0040時)
スレリンク(army板:259番)
②攻略船団の被発見(0615時)と被攻撃(1330・2354時)
スレリンク(army板:258番)
③南雲機動部隊が、敵哨戒艇による触接を受ける(1630・2354時)
スレリンク(army板:230-231番)(敵信傍受)
スレリンク(army板:251-252番)(1630時)
スレリンク(army板:254番)(2354時)
スレリンク(army板:256-257番)
6月5日0000時点での情勢判断
スレリンク(army板:260番)
①~③によりハワイから米空母が出撃してきても間に合わないと思われる。
スレリンク(army板:274番)
6月5日0130時に友永隊を発進させても、基地が空の公算大である。
スレリンク(army板:275番)
しかし発進時間や編制を変更する時間の余裕はない。
スレリンク(army板:276番)
スレリンク(army板:306番)
奇襲成功の見込みは甘かったが、現実問題として他に方法はなかったのではなかろうか。
スレリンク(army板:279-280番)
40:GF長官
10/10/29 22:56:07
<索敵>
Q19.ミッドウェー海戦における第五索敵線(77度)の筑摩一号機の行動について、
(甲)米機動部隊の航路上を通過しながら、雲上飛行だったため発見出来なかった。
(乙)途中で米艦爆(SBD)と遭遇し、交戦しがら報告しなかった。
A19.筑摩一号機(機長・都間信大尉・筑摩飛行長)の行動は謎が多く、断定は出来ないが、
(甲)について、
索敵計画線を見れば、筑摩一号機は米機動部隊(TF16)航路上を通過している。
スレリンク(army板:437番)
雲上飛行は、都間大尉自らが認めている。
スレリンク(army板:398番)
予定通りに飛行していれば、同機は0320頃、左手方向・約23浬に米空母を発見できたはず。
スレリンク(army板:437-439番)
米側の記録によれば、当時米空母上空の天候は良かった。
スレリンク(army板:454番)
この状況で索敵機から視認できないのは不自然と思われる。
仮に雲上飛行をして、雲下の米艦隊を発見できなかったとしても、米海軍のレーダーが筑摩一号機
を捕捉するはず。史実でもエンタープライズのレーダーが利根四号機を発見している。
スレリンク(army板:534番)
米戦史にその記録が見られないことからも、筑摩一号機は規定の索敵線を外れて飛行していたのでは
ないかとも考えられる。
41:GF長官
10/10/29 22:58:07
(乙)について、
日米双方の公刊戦史に該当の記録は見られない。
スレリンク(army板:456-457番)
日本側では『実録太平洋戦争』(秦郁彦/著)に、
スレリンク(army板:400番)
米側では『空母ヨークタウン』(PatFrank/著・谷浦英男/訳)に見られる。
スレリンク(army板:458番)
秦氏の著述は『空母ヨークタウン』を出典としているのだろう。
しかし同書の記述だけでは、筑摩一号機と交戦したとは断定できない。
スレリンク(army板:459番)
更にヨークタウンSBDの索敵圏から考えると、仮に筑摩一号機と接触したとしても、
それは復路(0430時以降)になり、0415時の兵装転換下令には影響しない。
スレリンク(army板:466-468番)
また、筑摩四号機(第六索敵線・54度)と遭遇した可能性もある。
スレリンク(army板:469番)
よって、都間大尉の責任にすることは過早であると考えられる。
42:GF長官
10/10/29 23:12:30
テンプレ終了
やれやれ、スレは重ねても内容は一向に進んでおらんのぉ。
余談ながら、第一次大戦時、南雲長官は何をやってたかと言うと、
大正3年 27歳 海軍中尉 海軍大学校乙種学生
12月 任海軍大尉 海軍水雷学校高等科学生
海軍艦政本部艤装員
大正4年12月 駆逐艦杉乗組み
大正5年12月 第四戦隊参謀
大正6年4月 第三特務艦隊参謀
12月 如月駆逐艦長
第三特務艦隊(司令官・山路一善少将)
巡洋艦「平戸」「筑摩」
任務:豪州及びニュージーランド方面の通商保護
地中海へ派遣され「地中海の守護神」と称讃された第二特務艦隊には、
若き日の小澤治三郎や山口多聞が含まれています。
それに比べると、あまり活躍の機会はなかったようですね。
43:名無し三等兵
10/11/02 17:11:37
>>42
アンタが脱線ばっかりするからだよ
44:名無し三等兵
10/11/02 17:19:27
GF長官旗掲げぇぇぇ~~ピィッィィィー(笛)
|/
||
||
||______
||/ /\
|| /\○\
|| / \/
|| /
||/
-□―――!
||
||
||
45:名無し三等兵
10/11/02 17:29:27
,r'"[`ヽ
,. -‐- 、、 | /601|31l
i|! | `ヽ _,._,._,._ |! ,. - .、 /. l: |
i! ii! l _ ____ /7l|ーl|―lFl`ト`キュ 、 _____ _ l、 ン. l; 「|
l| l|,.r''二 ̄´ヽ,rー―`ー〈、」L...lL.,.lL.,.r=',. -''′  ̄ ̄``´ー-ュ,_ _└:_┴!
_i!,.k、 匸{=ュ T ̄ r'´ `ヽ <_ ヽ、_>
r'´ i 匚{=ュ I! i ! __,,.`` ー、、 ヽ
` - ,j | Lュ i! _,.. - ― -- _- 、、_ヽ _ _,,. '- ‐ '''' "" ̄ ``' ー '
l! ヽ _ __ 厂r_ 、´ `` ィr''´ ̄
. |! '-ー''´_\ ヽ 前衛の母艦にメシ食いに帰ろーー
|l! ` ̄ ̄\ ,. ‐ ―- 、 ヽ
. |l,! \ ゝ、 _ _ _) ヽ
ーー―\ ヽ
ヽ、 ノ
` ー--‐ '' "
本隊の前方を進撃する、長官は無能だよ前衛部隊スレもよろしく。
【長官は】本日の南雲部隊司令部 1AF【無能だよ】
スレリンク(army板)
46:名無し三等兵
10/11/03 19:31:19
>>14 >聨合艦隊命令は敵艦隊撃滅を第一順位としていた
GFは、明確にミ島攻撃よりも、敵艦隊撃滅の優先順位を、1AFに指示を出していた、と。
前の晩に、索敵機を見たのみないの、敵機の電波を受信したのしないの、という騒ぎがあったわりには、
6/5午前中における索敵を徹底して行っていないことは、どう解釈すればいいのだろう。
>>15 >小沢長官もまた、索敵機が索敵線先端に到達した時点をもって、「他に敵空母群は居ない」と判断している
小沢長官は三段索敵、第一段(水偵16)が0330出発、第二段(艦攻13+水偵1)と第三段(1Sf 11+水偵2)が0415、
第一段水偵が先端に到達してるとき、第二段第三段も、ソコソコの水域を索敵済み。
三段索敵における第一段索敵線先端到達の意味と、一段索敵における第一段索敵線先端到達の意味は
全く違う。
47:名無し三等兵
10/11/03 19:33:37
>>39
>しかし発進時間や編制を変更する時間の余裕はない
>仮に1330時の船団被攻撃の報を受けて、計画変更を司令部で検討し、発進時刻を
>2時間早めることに決定したとして、準備が間に合うのでしょうか
発進予定時刻の12時間前に、船団被攻撃の報を受けたのであれば、
夜間離艦が可能なベテランのみを選抜して、2時間前に発進繰り上げを準備する時間がある、
とも判断できないか?
0130発艦だと空振りリスクが大きい、と判断できることは、戦史叢書ですら批判対象にしてるわけで。
>GF司令部に対する言い訳を考えとかないと・・・
「聨合艦隊命令は敵艦隊撃滅を第一順位」があれば、十分なんじゃないの?
48:名無し三等兵
10/11/03 20:52:40
>>46
ヒント 距離
49:名無し三等兵
10/11/03 20:53:26
0130時から発進した索敵機(巡航速度120節・進出距離300浬)は、
2時間半あれば索敵線先端に到達する。(最も遅い利根四号機でも0430頃)
0415の時点で報告がないということは、
南雲機動部隊の半径300浬内に敵艦隊は存在しない可能性が高い。
よって、ミッドウェー島再空襲を優先すべきである。
小沢部隊の場合はどうだったかな
50:名無し三等兵
10/11/03 21:20:00
>6/5午前中における索敵を徹底して行っていないことは、どう解釈すればいいのだろう。
だって敵空母発見の報告は一切ないもの。
むしろ直前に送られてきた海軍部からの情報でも敵空母の所在はハワイか南太平洋方面。
機動部隊が得ていた情報からすれば、ミ島の基地航空隊への警戒を強める必要はあっても、
敵空母を警戒すべき情況じゃないね。
>夜間離艦が可能なベテランのみを選抜して、2時間前に発進繰り上げを準備する時間がある、
>とも判断できないか?
>0130発艦だと空振りリスクが大きい、と判断できることは、戦史叢書ですら批判対象にしてるわけで。
だから事前の作戦要領でも示されているミ島への第二次攻撃を、早々に準備しようとしていたんだし、
それと比べたら少数機の夜間攻撃なんてリスクの割りに成功するかどうかも見込めない作戦案としかいえないね。
51:名無し三等兵
10/11/05 08:49:55
>>46
>第一段水偵が先端に到達してるとき、第二段第三段も、ソコソコの水域を索敵済み。
三段索敵における第一段索敵線先端到達の意味と、一段索敵における第一段索敵線先端到達の意味は
全く違う。
“違い”があるんでしょうか?
せっかく二段、三段索敵を行いながら、それらの未捜索範囲が存在する段階で攻撃を決意している訳です。
これはこれで所謂“索敵軽視”ではありませんかね?
その未捜索範囲に“敵艦隊が存在していたら”という意味では“全く同じ”かと思いますが。
52:名無し三等兵
10/11/05 09:13:44
ところで現在進行中の前スレでは、空母機動部隊戦との比較のためにWW1海戦編が展開されています。
前にも振りましたが、英独を中心とした各海軍の行動には、
索敵、脅威評価、情勢判断、行動決心、通信伝達、敵信傍受(諜報)、補給、作戦計画、上級司令部との意思疎通、現場裁量(作戦計画の変更等)等の
南雲機動部隊を廻る定番の問題提議はほぼ全て存在します。
南雲機動部隊の所謂“索敵軽視”“甘い情勢判断”“戦果拡大の不徹底”等を問題とし批判する方々が、
WW1編の各海軍の行動について同様の問題提議や考察をしない点が不思議です。
私のこの振りに対しては、例えばゲーベン追跡戦で長官が2点上げてるくらいです。
個人的には、“スレに記載されている内容から判断するに”(すなわち得られた情報から情勢判断を行うならば)、
「独地中海艦隊の最大の危機は、アルジェリア砲撃時である。そしてその問題点はスション提督の作戦計画にある」
です。
たぶんこんな意見は、書籍等にはないでしょうけど。
53:名無し三等兵
10/11/05 09:15:02
索敵はすればいいって言うもんではなく、それをどう判断するかが問題。
それが空振りを招来する場合もある。
54:GF長官
10/11/06 19:22:51
スレリンク(army板:705番)の続き
もともとインド洋での船団護衛を担っていたのは、日英豪の連合艦隊。
これより前、日英間で軍艦2隻のトレードが実施されていた。
(日)巡戦「伊吹」、巡洋艦「筑摩」⇔(英)戦艦「トライアンフ」、巡洋艦「ハンプシャー」
英国艦2隻は第二艦隊(>>697)指揮下に入り、膠州湾封鎖に協力。
日本艦2隻は英国支那艦隊(>>690)と協同作戦をとる。
これが特別南遣支隊(司令官・加藤寛治大佐)です(後に装甲巡「日進」が加わる)
この頃は「加藤提督」ばかりですなぁ。うっかり軍令部の廊下で「加藤さん」と声を
かけようものなら、5人くらいは振り返りそうだ。
55:GF長官
10/11/06 19:24:48
>>54の続き
余談ながら、巡洋戦艦伊吹と言えば半年で進水させた(しかも残業なし!)
スレリンク(army板:297番)
ことで知られています。
この小幡造船部長は、なかなか面白い人物でして、工廠長から
「主力艦は予算に制限がなければ、何ヶ月で進水できるか」と問われたとき、
即座に「6ヶ月」と答えている。
これにはびっくり。なにせわずか数年前、国産初の戦艦薩摩建造の際には、
「起工から竣工まで4年かかる」と言った本人の発言ですから。
しかし、彼には詳細な工程を組んだ上での成算があり、
「ドレッドノートが4ヶ月で進水しているのだから、我が国でも6ヶ月で可能」と。
56:GF長官
10/11/06 19:27:13
>>55の続き
伊吹起工式の日、呉工廠の工員を前にして以下のように訓示した。
「今度の艦は、今から正味6ヶ月で進水する。
しかも日曜や休日は決して出業しない。また残業もしない。責任は私が持つ。
今日は余分の加給をつけるから、諸君は今から帰宅し風呂に入って一杯やりたまえ。
そのかわり明日からからしっかり全力をあげて作業せよ」(『日本戦艦物語』福井静夫/著)
明治40年5月22日起工、同年11月21日進水。
ほんとに半年でやってしまった!
うちの工場長が来月退職するんで、ぜひ来てもらいたいものです。
57:GF長官
10/11/06 19:28:49
>>56の続き
閑話休題
11月9日、ココス島(スマトラ島の南180浬)沖にエムデンが現れたが、
偶然にも、そこへANZAC輸送船団38隻がさしかかった。
(註)ANZACとはAustralian New Zealand Army Corps
日英豪連合艦隊(司令官・シルバー豪大佐 メルボルン艦長)
(日)巡戦「伊吹」、装甲巡「日進」、巡洋艦「筑摩」
(英)巡洋艦「ミノトーア」
(豪)軽巡「メルボルン」、「シドニー」
ちなみに、筑摩には若き日の山口多聞が乗艦していました。
特別南遣支隊司令官・加藤寛治大佐(伊吹艦長兼任)は、エムデン攻撃許可を
求めたところ、シルバー大佐の返答は、
「エムデンは我が豪州海軍のみで撃沈せしめる。貴艦隊はよろしくANZAC軍団
の護衛につとむべし」
58:GF長官
10/11/06 19:29:43
>>57の続き
つまり手柄を独占されたわけです。
このあたりにオーストラリアの「敵意」がうかがえますね。
それでも南洋諸島占領がすんなり進んだのは、イギリスの支援があったからで、
英国政府は内密に、戦後処理の協力(独植民地の日本委任統治領への移行)を
約束することを条件に、日本海軍の欧州派遣を要請していた。
これが後の第二特務艦隊地中海派遣につながるのですが、それはさておき、
他にも遣米支隊(巡洋艦「出雲」「浅間」、海防艦「肥前」)が西海岸を哨戒するなど、
広範囲の索敵が行われたが、シュペー艦隊は未だ捕捉できず。
59:GF長官
10/11/06 19:35:31
前スレ埋まりました。引き続き宜しくお願いします。
脱線ネタが続いているので、ここらでスレ艦位の測定をしておきましょう。
現在は珊瑚海海戦編です。
日米双方の攻撃と、翔鶴の被弾状況確認まで終わりました。
次はレキシントン沈没ですが、ミッドウェー海戦編前に、最後の懸案事項である
ダメコンについてまとめておきたい。
それにはある程度建艦史もおさえておいた方が良いんじゃなイカ?
時代をさかのぼるのなら、ジュットランド海戦もとりあげておかなイカ?
それなら英独建艦競争も必要じゃなイカ?
というわけで、只今「第一次世界大戦の章~コロネル沖海戦」であります。
まぁ、こういう言い訳じみた説明が必要になるのも、スレ主の不徳のいたすところ、
この上は中国漁船映像の続きを公開してお詫びを・・・ぐふっ
60:GF長官
10/11/06 19:55:00
>>43 そのツッコミを待っていた! ・・・なんちてな。
>>44 敬礼
>>45 あ・・・URLが変更になってますね。次スレから直しておきます。
61:GF長官
10/11/06 19:55:42
>>46 有難うございます。テンプレに対する指摘が一番嬉しいです。
>6/5午前中における索敵を徹底して行っていないことは、どう解釈すればいいのだろう。
本職は「敵空母出現に対する備えは問題なし」との見解ですが、
スレリンク(army板:274番)
「徹底した索敵」とは何を指すのでしょうか。さ、三段索敵?
>三段索敵における第一段索敵線先端到達の意味と、一段索敵における第一段索敵線先端到達の意味は
>全く違う。
本職も>>51様に同意で、「未捜索範囲が残っているのに決断した」という意味では
同じように思います。
62:GF長官
10/11/06 19:56:45
>>47 この手のレスにはいつもお答えしていると思いますが、
>夜間離艦が可能なベテランのみを選抜して、2時間前に発進繰り上げを準備する時間がある、
>とも判断できないか?
その「夜間離艦が可能なベテラン」は何人確保できるのでしょうか。
それは「第二次攻撃隊からベテランを引き抜く」ということですか?
せっかくの”とっておき”(>>32)なのに、基地攻撃に使ってしまってもいいのかな。
同じレス内で「敵艦隊撃滅を第一順位」と書いてあるのに、矛盾を感じませんか。
それとも友永隊のみの選抜で十分ということでしょうか。
そもそも攻撃隊発進を早めるのは、輸送船団攻撃に向かう(はずの)B-17を
発進前に叩くのが目的です。
ある程度数を揃えないことには、「効果不十分→再攻撃要請」となりそうですが・・・
63:GF長官
10/11/06 19:57:44
>>62の続き
>GF司令部に対する言い訳を考えとかないと・・・
元レスを確認して頂きたいのですが、
スレリンク(army板:276番)
上記は「(乙)第一次攻撃隊の編成を艦攻全力にして、目標を「敵飛行機」から「滑走路破壊」に変更する」
に対する発言ですので。
>>49 おお、これは次回の研究課題としよう。
>>50 ですよね。
前日の情勢判断から、第一は「輸送船団が発見され攻撃を受けた」だから、
ミッドウェー基地の速やかな制圧が求められるでしょう。
もちろん、万が一の米空母出現に備えて、雷装待機させてあるのだし。
64:GF長官
10/11/06 19:58:23
>>52 続きが来ましたね。楽しみにしておりました。
>南雲機動部隊を廻る定番の問題提議はほぼ全て存在します。
いやぁ、本編を一行でまとめられてしまったな。
つまり、現在の脱線路線の結論はそういうことですので。
>独地中海艦隊の最大の危機は、アルジェリア砲撃時である。そしてその問題点はスション提督の作戦計画にある」
これは完全に見落としていました。詳しい解説をぜひ。
>>53 そう思います。「索敵考察の章」でも確認しましたしね。
65:名無し三等兵
10/11/06 20:05:10
そいえばGF長官さん。以前の書き込みで、
>また一部兵力をもって、5月12日サマライを攻略し、補給の中継地とし、
とあるけど、これは、
「サマライまで輸送船で運んで、ポートモレスビーまで舟艇機動で補給」
でよかったっけ?
戦史叢書ある図書館が遠いから聞いたんじゃないんだ。決して違うんだ。
66:GF長官
10/11/10 21:01:58
>>65 こちらですね。
スレリンク(army板:676番)
叢書にも詳しい記述はありませんが、モレスビーまで輸送船で運ぶと思いますけど。
サマライからポートモレスビーまで約350浬もありますから。
スレリンク(army板:659番)
>戦史叢書ある図書館が遠いから聞いたんじゃないんだ。決して違うんだ。
うちの近所の図書館には全巻揃ってますよ~
毎月高い住民税を払ってる甲斐があるってもんだ。
67:GF長官
10/11/10 22:12:15
>>58の続き
さて英国海軍の方ですが、シュペー艦隊を邀撃するため本国から艦隊が派遣され、
9月14日フォークランドに集結した。
英派遣艦隊(クリストファー・クラドック少将)
装甲巡洋艦「グッドホープ」「モンマス」
戦艦「カノーパス」(前弩級)
軽巡洋艦「グラスゴー」
仮装巡洋艦「オトラント」
なぜクラドック提督は、独艦隊が南米方面に向かっていることを知っていたのか。
確かに仏領タヒチに出現したことは英国にも伝わっていただろうから、ある程度の
予想はつくと思いますけど。
スレリンク(army板:700番)
68:GF長官
10/11/10 22:13:35
>>67の続き
その鍵は「暗号解読」でした。
今度の舞台はバルト海へー ほんとに”世界大戦”ですなぁ。
ドイツが最初に戦端を開いたのはロシアです。
スレリンク(army板:496番)
日本海海戦で壊滅したとはいえ、露海軍は急速に戦力を回復しつつあり、
露バルチック艦隊(ニコライ・フォン・エッセン中将)
戦艦「インペラトール・パウエル一世」「アンドレイ・ベルウォスワニ」「スラヴァ」「ツェザレヴィッチ」
装甲巡「リューリック」「アドミラル・マカロフ」「バヤーン」「バルラダ」「ロシア」「グロムボイ」
軽巡「オーロラ」「ディアナ」「オレーグ」「ポガツィリ」
駆逐艦36隻
全て前弩級戦艦とはいえ、独海軍にとっては侮れない勢力です。
69:GF長官
10/11/10 22:16:22
>>68の続き
この中で戦艦ツェザレヴィッチについて。
同艦は日露戦争の露旅順艦隊旗艦であり、黄海海戦では三笠の放った一弾が
司令塔に命中し、ウィトゲフト司令長官以下、幕僚全員が戦死。
しかも操舵手が舵輪を左に回したまま絶命したため、急激に回頭して後続艦の
列に突っ込むという事態に。
ツェザレヴィッチは大損害を受けるも、膠州湾に避退。
青島はすでにドイツが租借していたので、官憲の手により武装解除されるも、
戦後ロシアの手に戻り、再び露艦隊の一員に復帰したという流れです。
この黄海海戦、日本側の勝利と言われますが、上記のような大混乱があったの
にもかかわらず、露艦隊は一隻も沈んでいない。
特にツェザレヴィッチは、魚雷防御縦壁が設けられた世界初の戦艦です。
70:GF長官
10/11/10 22:17:56
>>69の続き
ロシア軍艦の抗堪性に注目したのが独海軍でした。
「膠州湾に抑留されたツェザレヴィッチの状況を、微に入り細をきわめて
研究したのがドイツ海軍だった。甲鉄の耐弾力・防火防水、それらは後の
第一次世界大戦に発揮されたドイツ主力艦における不沈性、すなわち
優秀なるダメージコントロール技術およびその設計、それらの重要なる
参考となったのである」 (『日本戦艦物語』)
先にドイツ海軍が日本海軍のダメコンに学んだことを紹介しましたが、
スレリンク(army板:336番)
あらゆる戦訓を吸収しようとする貪欲さを感じますね。
71:GF長官
10/11/10 22:19:58
>>70の続き
そのドイツ海軍ですが、
独バルト海艦隊(ミシュケ少将)
軽巡「アウグスブルク」「マクデブルク」「アマゾーネ」「ウンティーナ」「チェティス」「ガゼル」「リューベック」
駆逐艦数隻
露艦隊と比べると劣勢は否めない。
ところが、露艦隊は指揮権を陸軍が握っていたことや、大規模な作戦には皇帝の
許可が必要だったこともあり、その動きは活発ではなく、むしろ積極的だったのは
独海軍の方でした。
ただ、それがあだとなったのかもしれません。
開戦当日の8月2日、独軽巡「アウグスブルク」と「マクデブルク」はリバウ港砲撃
に成功。続いて8月26日、再度砲撃を企図して濃霧の中を航行中にマクデブルク
が、オーデンスホルム灯台付近で座礁してしまった。
72:GF長官
10/11/10 22:21:40
>>71の続き
この時、機密書類の処分に不手際があり、暗号書がロシア側に渡ってしまったのです。
更に英国にも伝わり、幸運にも英海軍は相手の手の内を読める状態にあった。
これもどこかで聞いたような話ですねぇ・・・
戦訓「自艦を放棄する際は、機密書類の処分は確実に」
機密と言っても、漁船の衝突映像じゃないですよ~
あれは機密じゃないしね!
関連した事例は、第四艦隊事件の時にも生じています。
とはいえ、ミッドウェーと同じく、暗号解読情報というのは、どこまで採用するかは
指揮官の裁量に委ねられるところ。今回も、シュペー艦隊がチリ沿岸を通ること
までは分かっていたが、それが何時になるかは不明。
そこで、クラドック艦隊はフォークランドを出港してホーン岬を回り、バルパライソ
で待ち伏せることにしました。
73:GF長官
10/11/10 22:27:24
[コロネル沖海戦要図]
□□□□□□□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□□□
クラドック艦隊△ ■(バルパライソ) □□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□
□□□■(サンディアゴ) □
□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□■ブエノスアイレス
←イースター島 □□□□□□□□
□□□□□□
□□□□□
コロネル■□□□
□□□
□□
□□ ■フォークランド諸島
□□
□□□
ホーン岬
74:GF長官
10/11/11 21:17:36
>>73の続き
もちろんシュペー提督の方も、ただで通してくれるとは思ってなかったでしょう。
しかし目的はドイツ本国への帰還ですから、出来るだけ戦闘は避けたいところ。
このあたりはゲーベン追跡戦のスション提督とよく似ていますね。
通信諜報により独艦隊の接近を知ったクラドック少将は、10月29日バルパライソを出撃、
偵察のため軽巡グラスゴーを分派し、また哨戒中の戦艦カノーパスに合同を命じた。
クラドック提督の作戦は、
「チリ沿岸を南下する独艦隊を西(沖)側から攻撃する」
ちょうど陸地との間に挟むような形になります。
75:GF長官
10/11/11 21:18:24
>>74の続き
これにより敵艦隊の逃げ道を塞ぎ、その行動を制約できる。
もし会敵が日没前になると、英艦隊は太陽を背にするので、独側の照準が
困難になるだろうとの目論みです。
海戦に限らず太陽を背にする位置を占めることは戦闘の基本ですからね。
「左後ろ上方にも敵機。太陽から敵機や、突っ込んでくる!」
そしてその思惑通り、11月1日の夕刻、両艦隊はコロネル沖にて互いを発見します。
コロネル沖海戦の開幕。
詳しい合戦図はwikiを参照されたし。
コロネル沖海戦
URLリンク(ja.wikipedia.org)
76:GF長官
10/11/11 21:32:53
[コロネル沖海戦](1617時)
┃ □□□
┏┛ □□□
▼軽巡ドレスデン □□□
▼軽巡ライプチヒ □□□
▼装甲巡グナイゼナウ □□□
▼装甲巡シャルンホルスト □□□
┏┛ □□□
↓ □□□
□□□
■サンタマリア島 □□□
□□□
↑ □□□
┌┘ コロネル■□□
装甲巡グッドホープ△ □□□
装甲巡モンマス△ □□□
軽巡グラスゴー△ □□ アラウコ湾 □□□
仮装巡オトラント△ □□ □□□
┌┘ □□□□□□□□□□□□□
│ □□□□□□□□□□□□□
77:GF長官
10/11/11 21:36:59
>>76の続き
(註)独艦隊旗艦は装甲巡洋艦シャルンホルスト(シュペー中将坐乗)
英艦隊旗艦は装甲巡洋艦グッドホープ(クラドック少将坐乗)
独軽巡ニュルンベルクは偵察のため分派中、後に本隊と合同する
英戦艦カノーパスは合同予定だったが、機関故障のため戦闘に間に合わず
先のゲーベン追跡戦のような”追いかけっこ”でもなく、
ヘルゴラント・バイト海戦のような奇襲でもない。
ともに装甲巡洋艦2隻+軽巡数隻の互角の兵力、
第一次大戦開戦以来、初の英独海上決戦です。
両提督の采配に注目しましょう。
78:GF長官
10/11/13 19:43:38
>>77の続き
クラドック少将は、まず軽巡グラスゴーと仮装巡オトラントを分離し、敵艦隊へ
突入させます。
[コロネル沖海戦](1630時)
┃
┏┛
▼軽巡ドレスデン
▼軽巡ライプチヒ
▼装甲巡グナイゼナウ
▼装甲巡シャルンホルスト
┏┛
↓
↑
┌┘
△軽巡グラスゴー
△仮装巡オトラント
↑ ┌┘
└┐
△装甲巡グッドホープ
△装甲巡モンマス
└┐
79:GF長官
10/11/13 19:56:56
>>78の続き
これは敵の目をあざむくための囮であり、自身は装甲巡洋艦2隻を率いて北西に変針、
独艦隊と交差したところで東に転舵し、太陽を背にして真西から突入するという計画でした。
敵前大回頭ならぬ敵側大回頭、「クラドックターン」とも名付けておきましょう。
1700時、距離2万メートルまで接近したところで、陽動の役目を終えた2隻は反転、
南西方向へ避退した。
同時に、真東へ転舵した装甲巡グッドホープとモンマスは独艦隊に突撃を開始した。
[コロネル沖海戦](1700時)
┃
┏┛
▼軽巡ドレスデン
▼軽巡ライプチヒ
装甲巡グッドホープ ▼装甲巡グナイゼナウ
┌─△△→ ▼装甲巡シャルンホルスト
└┐モンマス ┏┛
└┐ ↓
└┐
┌─┐
┌┘ ▽軽巡グラスゴー
┌┘ ▽仮装巡オトラント
↓
80:GF長官
10/11/13 20:18:10
>>79の続き
ただこのまま突入すると、「逆丁字」になってしまいますね。
クラドック提督がそれを承知していなかったとは考えにくい。
当時世界の海軍軍人にとって、最大の”戦訓”は日本海海戦ですから。
それでもあえて採用したのは、彼が自艦隊の「火力の劣勢」を認識していた
からだと思われます。
英独双方の主砲を比較すると、
(英)装甲巡洋艦グッドホープ 9.2インチ砲×2門
モンマス 6インチ砲×14門
(独)装甲巡洋艦シャルンホルスト 8.3インチ砲×8門
装甲巡洋艦グナイゼナウ 8.3インチ砲×8門
ゲーベン追跡戦でも確認した通り、伝統的に英国側が主砲の口径は大きい。
スレリンク(army板:615番)
しかし総合力で見ると、新鋭装甲巡洋艦2隻を揃えた独側が有利です。
普通に同航戦や反航戦になれば苦戦が予想される。
そこで最短時間で近接できるよう直交針路をとり、逆光となる太陽光を利用する。
敵が陽動部隊に惑わされて照準修正に手間取る間に自軍に有利な射程を得る。
そして、右に転舵して南下同航戦にもちこめば、勝機を見出せると考えたのでは
ないでしょうか。
ただし戦争は相手のあるものですから、思い通りに動いてくれるとは限らない。
続いてシュペー提督はどう動いたのか。
81:GF長官
10/11/15 21:12:02
>>80の続き
シュペー中将はクラドック少将の狙いを、冷静に分析していたようです。
「クラドック提督としては、太陽を背にしているうちは敵艦の照準が困難である
ことから交戦を急いだが、ドイツ側もそれに気付き、相手との距離を保って時間
を稼いだ。
やがて夕陽が沈むと形勢は逆転した。イギリス側が夕焼けの空にくっきりと
浮かび上がったのに対し、ドイツ側は背後の陸地と重なって見づらくなったの
である。
また風下のグッドホープには照準が難しく、逆にシャルンホルスト・グナイゼナウ
からは容易であった」 (『死闘の海』)
太陽や月光、そして風向まで味方につけて戦わねばならない艦隊指揮官は
”無能”じゃ務まりませんよねぇ。
82:GF長官
10/11/15 21:18:35
>>81の続き
陽動に分派された英軽巡グラスゴーと仮装巡オトラントは、再び本隊に合流し、
両艦隊は南下同航戦に移った。
[コロネル沖海戦](1820時)
┃
──┐ ┏┛
└┐ ┏┛
└┐ ┃
仮装巡オトラント▽ ▼軽巡ドレスデン
軽巡グラスゴー▽ ▼軽巡ライプチヒ
装甲巡モンマス▽ ▼装甲巡グナイゼナウ
装甲巡グッドホープ▽ ▼装甲巡シャルンホルスト
└┐ ┏┛
↓ ↓
83:GF長官
10/11/15 22:06:49
>>82の続き
日没後の1840時、シュペー艦隊は1万メートルまで接近して砲撃開始。
この距離では、独側がシャル・ゼナの主砲計16門を発砲できるのに対し、
英側はグッドホープの2門のみ(>>80)
シャルンホルストは、第三斉射で早くもグッドホープに命中弾を与えた。
英艦隊は完全にアウトレンジ状態ですね。
クラドック提督はモンマスの主砲である6インチ砲の射程に入ろうと、接近を
試みるが、シュペー艦隊の巧みな操艦により思うままにならない。
更に上記のように英側から見ると、独艦隊の艦影が陸地と重なってしまい、
照準を困難にしたものと思われます。
ゲーベン追跡戦の時と同じですね。
スレリンク(army板:609番)
空母戦においても攻撃時は目視であることに変わりないですからね。
薄暮攻撃にも通ずるものがあると感じます。
スレリンク(army板:728番)
「われ未だ木鶏たりえず」
いかなる状況においても不動の心。指揮官にとって最も大切なことではないかと。
84:GF長官
10/11/16 21:13:17
>>83の続き
戦闘は一方的な展開となり、1950時、英装甲巡グッドホープの後部煙突下部で
爆発が起こり、1957時沈没した。
クラドック少将以下、全員が同艦と運命をともにしています。
[コロネル沖海戦](1957時)
┏┛
└┐ ┏┛
└┐ ┃
仮装巡オトラント▽ ▼軽巡ドレスデン
軽巡グラスゴー▽ ▼軽巡ライプチヒ
装甲巡モンマス▽ 装甲巡グッドホープ ▼装甲巡グナイゼナウ
│ └─▽→× ▼装甲巡シャルンホルスト
│ 沈没(1957時) ┏┛
↓ ↓
85:GF長官
10/11/16 21:24:16
>>84の続き
二番艦モンマスもグナイゼナウからの命中弾で火災が発生し、戦闘能力を
失っていた。
ここで偵察のため分派していた独軽巡ニュルンベルク(>>77)が本隊に合同。
本隊は残る軽巡グラスゴーと仮装巡オトラントを追撃し、新たに戦列に加わった
ニュルンベルクが、モンマスにとどめを刺した。
[コロネル沖海戦](2118時)
└┐装甲巡モンマス ┏┛
└─▽→× ←▼┛
沈没(2118時) 軽巡ニュルンベルク
┌┘ ┏┛
┌┘ ┃
仮装巡オトラント▽ ▼軽巡ドレスデン
軽巡グラスゴー▽ ▼軽巡ライプチヒ
┌┘ ▼装甲巡グナイゼナウ
┌┘ ▼装甲巡シャルンホルスト
←┘ ←┛
86:GF長官
10/11/16 21:31:09
>>85の続き
当時の海上模様については、
「折からの激浪により、砲撃の照準は困難を極め、低い位置に装備されていた砲の
大半が使用できなかった。しかしドイツの装甲巡2隻は同海軍屈指の射撃優秀艦で
あったこともあり、動揺は大きな障害とはならなかった」 (『死闘の海』)
シュペー提督は戦闘後に、沈没したモンマスの生存者救助を命じましたが、上記の
ような状況、しかも日没後であったため救助活動は困難を極め、一人も発見する事
は出来なかったと言います。
87:GF長官
10/11/17 21:26:55
おつかい出来たよ!
>>86の続き
シュペー本隊はその後も追撃を続けますが、すでに薄暮から完全に夜間となり
2隻とも見失ってしまった。
独側の被害はグナイゼナウに小火災が発生した程度で、文字通りの圧勝でした。
「シュペー艦隊の勝因が、上層部の的確な指揮と各艦の正確な砲撃技術にあったのは
言うまでもない。逆にクラドック艦隊の敗因は数々あるが、最大のそれは勝負を急ぎ過ぎ
たことにある。
イギリス艦隊には強力な援軍の当てがあったのに対して、ドイツ艦隊は全くの孤立無援
であるから、敵につかず離れずの状態で有利な態勢が整うまで待つべきであった」(『死闘の海』)
88:GF長官
10/11/17 21:28:45
>>87の続き
三野氏の評価は手厳しいですが、本職はそうでもありません。
”優越した敵兵力”に対したトルーブリッジ少将ならまだしも、
スレリンク(army板:624番)
ほぼ互角の敵艦隊相手に戦闘を避けたとあっては、「見敵必戦」英国海軍の伝統は
地に堕ちてしまうでしょう。
クラドック少将の敢闘精神を讃えたいと思います。
あえて注文を付け加えるならば、せっかく暗号解読により待ち伏せしていたんだから、
正面からの艦隊決戦ではなく、奇襲を成功させたかったですね。
敵に発見される前に第一撃を与えることが出来れば、勝機はあったかもしれない。
89:GF長官
10/11/17 21:30:29
>>88の続き
なお引用文中の「イギリス艦隊の強力な援軍」については、本編の都合上、説明を
省いておりましたが、次回の海戦の主役となります。乞うご期待。
その前に雑感を少し、
コロネル沖海戦の経過は、ミッドウェー海戦と似ているように思うんですよねぇ。
暗号解読とか、待ち伏せとか、待ち伏せしている方が兵力劣勢であるところなんかも。
ほら、シュペーが南雲に、クラドックがスプルーアンスに見えてきませんか?
(ちょっと無理があるかな・・・)
ただ大きく異なるのは、ミッドウェーの場合、米海軍は決戦海面が根拠地から近いので、
支援が受けやすい(兵力増強や基地空による哨戒等)のに対して、コロネルの英艦隊は、
本国からも隔絶しているので、手持ちの兵力のみで戦わねばならなかったところ。
90:GF長官
10/11/17 21:33:22
>>89の続き
暗号解読は勝因の一つに数えることは出来ますが、決定的な勝因とまでは言えない。
それが役立つのは「我が企図を秘匿しつつ、敵艦隊の予想針路上に味方兵力を集中する」
せいぜいここまでであり、交戦が始まったら後は現場の指揮官に委ねられる。
すなわち「適切な状況判断」と「迅速な決断」。
スレリンク(army板:472番)
前スレの繰り返しになりますが、水上砲戦と比べて空母戦の方が「決断に迅速性が求められる」
ような印象があるけれども(即時発進の意見具申などはその典型)、相対距離から考えれば、
むしろ逆ではないかと。
なにせ敵艦隊は目の前に居るわけですからね。
本海戦でクラドック少将は、自艦隊を二手に分けて一方を陽動に用いるという作戦を用いたが(>>79)
独艦隊を視認してから行動に移すのだから、躊躇している時間はない。
「迅速な決断」は空母戦特有のものではないと考えます。
続いて「適切な情勢判断」と暗号解読との関係を考察してみたいと思います。
91:GF長官
10/11/18 22:09:25
>>90の続き
珊瑚海海戦で見てみましょう。
この時も米側は暗号解読に成功していた。
スレリンク(army板:34-35番)
程度の差はあれ、日本海軍機動部隊が来襲することは「知っていた」のです。
しかし実際に米機動部隊がMO機動部隊を発見したのは、5月8日の朝になってから。
前日に五航戦の失策(索敵機が油槽船を空母と誤認)さえなければ、米艦隊の方が
奇襲を受けて壊滅していたかもしれない。
スレリンク(army板:153番)
ここにはMO機動部隊の進撃航路が大きく関係しています。
輸送船団(MO攻略部隊)は前段階(5月6日)から捕捉されていましたが、
スレリンク(army板:131番)
MO機動部隊は敵哨戒圏外を航行していた(ソロモン諸島を迂回して、東側から
珊瑚海に進入>>35)ため、決戦2日目に至るまで一度も発見されなかった。
92:GF長官
10/11/18 22:11:13
>>91の続き
空母部隊が機動部隊たる所以である「機動性」が遺憾なく発揮されていますね。
ミッドウェーにおいて、
「そんなに輸送船団が心配なのなら(>>14、>>30)、南雲機動部隊を随伴させれば
良かったじゃないか」
との意見が、過去スレでも何度かありました。
本職は反対の立場です。
低速かつ大集団の船団と行動を共にすることは、空母機動部隊の最大の強みで
ある「神出鬼没」を阻害してしまうからです。
93:GF長官
10/11/18 22:12:58
>>92の続き
「しかし今度の予想される上陸作戦(ガダルカナル)では、エンタープライズ以下の
空母は敵の空襲から海兵隊を守り、さらに必要な航空支援を与えるために、戦闘機
が上陸地点にすぐに行ける範囲内に止まらなければならないであろう。
それは敵が簡単に計算できるかなり小さい区域に、陸上基地の航空隊が十分な戦力
を備えて、空母と交替するまで止まることを意味していた。
簡単に言えば、空母の一番の利点である機動性を自ら放棄するのだった。果てしない
海から現れて攻撃し、そして再び海へと姿をくらまし、次の日は1千キロも離れた場所
を攻撃するという機動性を」 (『空母エンタープライズ』)
もしそんなことをしようものなら、南雲機動部隊は4隻の空母で
「基地制圧」「敵空母捜索」「敵空母攻撃」「自隊直衛」「船団護衛」
以上を”同時に”こなすことになり兼ねない。
これでは、先任参謀殿ではないけれど、零戦がいくらあっても足りなくなる。
94:GF長官
10/11/18 22:14:32
>>93の続き
ただミッドウェーで、米海軍の暗号情報が有益だったと思うのは、南雲艦隊の
「来襲方向」を解読していたこと。
決戦前日の6月4日、哨戒中のPBY(リード少尉機)が日本軍攻略船団を発見。
The first contact was at about 0900 when a large number of ships (later reported as 11)
were sighted by a Navy patrol plane, bearing 261° distant 700 miles from Midway,
reported course 090, speed 10.
「最初の接触は6月3日0900頃(日本時間6月4日0600頃)だった。
日本軍の大船団(後の報告によれば11隻)を、海軍の哨戒機が発見した。
ミッドウェー島よりの方位261度・700浬、敵針90度・速力10節」
(註)前日の経過は以下を参照のこと。
スレリンク(army板:259番)
95:GF長官
10/11/18 22:15:55
>>94の続き
問題は、リード少尉の報告電文であり、
第一電「敵主力部隊発見」(Main Body)
最終電「11隻、針路090、速力19ノット」
1100時(0800時)同機は別にPBYと触接交代し帰投している。
その後3機のPBYが船団に触接を継続していたが、1機も「艦種」について報告していない。
まさに利根四号機と同じく、「艦種確メ触接セヨ」(>>34)と催促しなければならない状況だった。
「敵主力部隊」と聞けば、それはすなわち「南雲機動部隊」のはず。
もしこの報を受けて、待機中の米空母部隊が攻撃隊を発進させていたとしたら・・・
歴史は大きく変わっていたでしょう。
96:GF長官
10/11/18 22:17:04
>>95の続き
しかし史実では、そうはなりませんでした。
「ニミッツはこの発見報告の持つ危険性を即座に感じ取っていた。
発見位置からこの日本艦隊は攻略部隊と思われるが、”主力部隊”という文言から
洋上にいる米艦隊が空母部隊であると誤断して行動を起こすおそれがあると判断
したのである。
同日午後早くには太平洋艦隊司令部から洋上にある第16・17任務部隊に対して
”これは主力部隊ではない。繰り返す、これは敵の空母部隊ではない”との緊急電
が送られた」 (『歴史群像(55)日米空母決戦ミッドウェー』)
ニミッツ提督の慧眼と言えるでしょう。
もっともフレッチャー少将も同じ判断をしていたため、要らぬ心配だったようですが。
97:GF長官
10/11/18 22:18:26
>>96の続き
なぜ彼らが「発見位置からこの日本艦隊は攻略部隊と思われる」と判断できたのか。
それは事前の暗号解読情報により、南雲機動部隊は、
「6月4日0700頃(日本時間5日0400)、ミッドウェー島の北西325度・距離175浬」
で発見されると”知っていた”からです。
ここで大事なのは、6月4日でも0700時でも、175浬でもありません。
「ミッドウェー島の北西325度」です。
リード少尉機による「主力部隊」は、「方位261度(西南西)だから南雲機動部隊ではない」
と推定することが出来た。
98:GF長官
10/11/18 22:21:08
>>97の続き
「索敵考察の章」でも確認した通り、
スレリンク(army板:561番)
航空索敵は誤報や誤認が生じやすく、あまりあてにならない情報源です。
しかし、異なる情報源と照合することにより、その誤りを発見できることもある。
その意味では、暗号解読は有効な手段と言えるでしょう。
ただし、暗号解読もまた完璧な情報源ではありません。
相手が計画を変更すれば、インド洋でのソマービル艦隊のようになってしまうし、
ミッドウェーのスプルーアンスも索敵報告と暗号情報の相違に苦しんだ。
スレリンク(army板:542番)
冒頭(>>90)にも確認しましたが、暗号情報が有効なのは準備段階での話
であり、いざ交戦が開始されると索敵情報が主役になります。
スレリンク(army板:127番)
双方が一致していれば何の問題もありませんが、整合性に綻びが生じた時、
指揮官に「適切な情勢判断」が迫られる。
かくも勝敗は紙一重であり、戦闘指揮とは難しいもの。
史実を知る我々が「神の視点」に立って、指揮官の誤判断を叩くことは容易
ですが、せめて当スレでは彼らに”なり切って”、その苦悩を少しでも共有
できればと思いますね。
99:GF長官
10/11/20 18:58:05
>>98の続き
「適切な情勢判断」に関連してもう一つ。
南雲長官の「敵は我が企図を察知せず」の判断は甘すぎるという意見があります。
スレリンク(army板:260番)
確かにエアカバーなしの上陸作戦は考えにくい。
スレリンク(army板:67番)
「事前空襲→制空権確保→上陸」が作戦の常道と言えるでしょう。すなわち、
>日本の輸送船団を発見した、ということは、米軍にしてみれば、暗号解析をしないまでも、
>この周辺海域に日本に機動部隊がいる、ということと同義でしょ?
近いうちに日本軍機動部隊がミッドウェー島を空襲すると予想できるわけです。
100:GF長官
10/11/20 18:59:52
>>99の続き
しかし珊瑚海海戦で見ると、必ずしもそうではない。
攻略地であるポートモレスビーに対する「事前空襲」は第五空襲部隊のみ。
スレリンク(army板:48-49番)
空母部隊による攻撃は行われていない。
それどころか、上陸作戦において最大の障害になると思われる豪州基地航空隊
(クックタウン、タウンスビル>>35)に対する「事前空襲」も全くない。
MO機動部隊は「米空母撃滅」に専念しているのです。
もし米海軍が”直近の戦訓”である日本軍のMO作戦を詳細に分析していたならば、
「ミッドウェー島へ向かう日本軍輸送船団を発見した
→近日中に日本軍空母部隊による基地空襲が行われる」
と判断するのは、かえって危険です。
101:GF長官
10/11/20 19:02:44
>>100の続き
南雲機動部隊の真の狙いは、基地空襲でも船団護衛でもなく、邀撃に出て来る
米空母部隊の捕捉撃滅である。
このような解釈も成り立つのではありませんか。
だからといって、南雲長官が無罪放免になるわけではない。
本職も、「敵は我が企図を察知せず」の情勢判断は問題ありとしています。
スレリンク(army板:280番)
「ミッドウェー島へ向かう日本軍輸送船団を発見した
→近日中に日本軍空母部隊による基地空襲が行われる」
との判断は、指揮官として当然のことであると思っております。
102:GF長官
10/11/20 19:05:31
>>101の続き
ここで言いたいのは、
一つの戦訓が他の全ての海戦に於て”無条件で”通用するわけではないということ。
珊瑚海海戦編で何度も出てきましたが、戦場では思いもしなかったことが起こり、
理論通りにはなかなか進まないもの。
だからこそ、その場その場に応じて、「適切な情勢判断」をする艦隊指揮官が
必要になってくるのです。
誤解を恐れずに申し上げるならば、
当時最強の機動部隊を率いて、空母4隻全滅なんて有り得ない。
どんなド素人が指揮しても、あれよりひどい惨敗は無いんじゃないかと思うくらい。
・・・南雲大将、ごめんなさい。
それほどミッドウェー海戦は、その展開が劇的であり典型的であった。
故にこれまで戦訓の代表として言及され、これからもそれは変わらないでしょう。
しかし、本職に言わしむれば、ミッドウェー海戦の事例をそのまま採用して、
「空母戦術」を論ずることは、かえって本質を見誤るのではないかと危惧するのです。
103:GF長官
10/11/23 21:25:51
まさかの砲撃戦・・・!
>>102の続き
フォークランド沖海戦(大正3年12月8日)
七つの海を制した大英帝国海軍が、この屈辱を黙って見過ごすわけがない。
コロネル沖惨敗の報を受けて、本国では急遽増援部隊が編制された。
英南大西洋艦隊(ダブトン・スタディ中将)
巡洋戦艦「インヴィンシブル」「インフレキシブル」
装甲巡洋艦「コーンウォール」「ケント」「カーナヴォン」
軽巡洋艦「ブリストル」
仮装巡洋艦「マセドニア」
ここにコロネル沖海戦の生き残り、前弩級戦艦「カノーパス」・軽巡「グラスゴー」が
加わります。
先のクラドック艦隊(>>67)と比べれば一目瞭然。
10隻しかない巡戦を2隻も投入している。地中海艦隊ですら3隻でしたから、
その並々ならぬ決意がうかがえます。
スレリンク(army板:498番)
104:GF長官
10/11/23 21:27:26
>>103の続き
同艦隊は11月11日に本国を発ち、12月7日フォークランド諸島ポートスタンリーに入港。
フォークランドの位置は>>73の通り。南大西洋における、英国の根拠地(給炭港)でした。
一方の独艦隊ですが、コロネル沖海戦の後、バルパライソ(>>73)に凱旋し石炭を補給。
この時点で弾薬の残量は定数の半分まで落ち込んでいた。
しかし、シュペー提督が帰国を急いでいた様子は見られない。
バルパライソを出港し、12月1日、マゼラン海峡に浮かぶ無人島マサフエラに停泊。
石炭船からの補給を受け、12月5日に出立、大西洋に入った。
コロネル沖海戦が11月1日だから、1ヶ月以上もチリ沿岸に滞在したことになる。
当初はラプラタ、ニューヨークを経由してドイツへ戻る計画だったらしい。
第一次世界大戦が始まったとはいえ、当時はアメリカを始めとして南北アメリカは
中立を維持しており、ドイツと直接敵対する国はない。
105:GF長官
10/11/23 21:29:01
>>104の続き
しかし、たった一つの例外がありました。それがフォークランド。
そこでシュペー提督は予定を変更して、フォークランド砲撃を提案。
当然ながら参謀たちは反対します。彼らの最優先任務は「本国への帰還」。
戦闘や弾薬の消費は可能な限り避けなければなりません(>>74)
結局、シュペー案は採用されました。
”コロネル沖海戦大勝利”の手土産だけでは不足と思ったのだろうか。
シュペー君、小学生の時先生から言われなかったね?
「道草をくわずに、まっすぐお家に帰りましょう」と。
106:GF長官
10/11/24 21:36:13
>>105の続き
運命の12月8日、自らの命日の夜明けに何を思ふ。
まずシュペー提督は、先遣隊として装甲巡グナイゼナウと軽巡ニュルンベルクを先行。
0750時、フォークランド島サパーズヒル見張所が、南西水平線上に2隻の軍艦を発見、
「敵艦隊見ユ、針路北東」
この時の英艦隊は・・・
>>104の通り、12月7日午前ポート・スタンリーに入港後、午後から補給作業を開始した。
装甲巡カーナヴォン、軽巡グラスゴーが載炭開始(翌8日0420時終了)
8日0500時から巡戦インヴィンシブル載炭開始。
0720時から巡戦インフレキシブル、軽巡ブリストル載炭開始。
以上のように、前日に長い航海を終えて到着したばかりの各艦は補給の途中だった。
載炭が完了したのはカーナヴォンとグラスゴーだけで、装甲巡コーンウォールとケントは
補給待ちの状況。巡戦2隻は始めたばかりで、軽巡ブリストルに至っては主機故障のため、
ボイラーの火を落としていた。
107:GF長官
10/11/24 21:41:49
>>106の続き
なんとも間の悪いことですが、珊瑚海海戦の前日(5月6日)にも同じことがありましたね。
スレリンク(army板:89番)
このような場合、指揮官の決断は一つしかありませんー「補給作業を中断し、直ちに出撃」です。
スタディ中将も「急速汽醸開始」を下令。
機関の蒸気圧力を上げるようにとの命令です。
0830時、装甲巡カーナヴォン、ケントが出港。
0915時、港湾警備任務中の戦艦カノーパスがグナイゼナウに砲撃開始。
砲弾は至近弾となります。
108:GF長官
10/11/24 21:43:27
>>107の続き
グナイゼナウ艦長は「奇襲は不可能」と判断、更に港内に”2本の三脚檣”を認めた。
これは巡戦インヴィンシブル級の特徴です。
巡洋戦艦インヴィンシブル
URLリンク(ja.wikipedia.org)(1907)_British_Battleship.jpg
直ちに本隊と合流すべく、軽巡ニュルンベルクと共に南東へ変針した。
1000時、主機修理中のブリストルを除く全艦が出撃準備完了、順次出港していきます。
なお合戦図はこちらを参照下さい。
URLリンク(ww1.m78.com)
109:GF長官
10/11/24 21:45:42
>>108修正 写真がうまくリンクしないので、
巡洋戦艦インフレキシブル
URLリンク(ja.wikipedia.org)
110:GF長官
10/11/24 21:53:23
[フォークランド沖海戦](1000時)
■ポート・スタンリー
└┐
▽装甲巡コーンウォール
▽巡戦インヴィンシブル(英艦隊旗艦・スタディ中将)
▽巡戦インフレキシブル
▽装甲巡カーナヴォン
▽装甲巡ケント
▽軽巡グラスゴー
└┐
↓
┗┓
▼軽巡ニュルンベルク
▼装甲巡グナイゼナウ(独先遣隊)
┗┓
↓
┏→
▲装甲巡シャルンホルスト(独本隊旗艦・シュペー中将)
▲軽巡ライプチヒ
▲軽巡ドレスデン
┏┛
111:GF長官
10/11/25 19:05:56
>>110の続き
1020時には英巡戦は早くも26ノットに増速、前方のカーナヴォンとケントを
追い抜きます。出港20分でいきなり最大戦速だ!
2隻は11月8日デヴォンポート工廠の乾ドックに入り、艦底を徹底的に清掃、
塗装もし直して、9日にはスタディ提督の中将旗を掲げ、11日にあわただしく
出港してフォークランドへやって来ました。
十分な整備が最高速力を発揮させたのでしょう。
特にインフレキシブルは、地中海でスション提督の「機関増速せよ、23ノット」
にしてやられた苦い経験がありますからね。
スレリンク(army板:590番)
機関員たちも最速の誇りをかけて、気合が入っていたと思われます。