秀吉による朝鮮征伐の軍事分析part2at ARMY
秀吉による朝鮮征伐の軍事分析part2 - 暇つぶし2ch490:名無し三等兵
11/02/06 13:39:55
台湾は良いとして、フィリピンとか東南アジアに行きたい大名が何処にいるんだ
自分ならそんなとこに領地貰っても行きたくないわ

491:名無し三等兵
11/02/06 13:40:16
>>486

こ れ は ひ ど い

>自分のとこの将軍が反乱するまでは予想できても、まさか裏切って女真族と組むとは思わんじゃないの

李自成も呉三桂も当て嵌まらない

492:名無し三等兵
11/02/06 14:20:59 uZCgGmjw
>>490
単純に3毛作出来る東南アジアは石高だけみたらウハウハ
南蛮交易を押さえられるし山田みたいにシャムに骨を埋める武将いるくらいだし

493:名無し三等兵
11/02/06 18:38:59 y2BtKsGV
秀吉が当初はインドまで征服しようとしてたというのは史実?
どうもうそ臭いような。
そりゃいけるとこまでいってやると思ってたかも知らんが本当にインドまで?

朝鮮南部を領有しようとしてたのは確実だが、
インドとなると秀吉が一代で征服できる相手じゃないわ。

494:名無し三等兵
11/02/06 18:54:37
>>493
単なる物の喩えっしょ。当時の世界観としては、日本・唐・天竺の三国ってのが
慣用句としてのセットだから。 (朝鮮は含まれていないのがポイントだね)


495:名無し三等兵
11/02/06 20:08:04
>>494
明の統治プランをぶち上げるなど本気の様である
正気とは思えんが

496:名無し三等兵
11/02/06 20:21:33
>>495
具体的でないからプラントは言えない。
結論、秀吉のプロパガンダ。

497:名無し三等兵
11/02/06 22:24:46
当時実戦経験があり長期遠征が可能な兵力は世界的に見ても日本と明が百万でダントツ
遠洋航海術とガレオン船さえコピー出来れば明を征服できたら世界制覇は一代でも可能
ルソン→ジャワ→ゴア→カラチ→ジブチ→アレキサンドリア→ローマ→マドリッド世界制覇達成

498:名無し三等兵
11/02/06 22:59:06
無理だろ
現地勢力を取り込みながら進軍しないといけないのに

499:名無し三等兵
11/02/07 02:19:33
>>498
数十万の軍勢いてもマヤもインカも数百馬と数千の兵力で短期間で壊滅
異文化間の戦闘などそんなもの

500:名無し三等兵
11/02/07 02:28:20
>>493
朝鮮南部の領有なんて最初は考えてない
明に攻め込むから通行させろと言った
あの半島が不毛の地だということはやはり知っていたようだ

501:名無し三等兵
11/02/07 07:50:49
>>499
無茶苦茶特殊な戦闘じゃねーかw
そんなもん参考に戦争おっぱじめたら確実に負けるわw

502:名無し三等兵
11/02/07 09:11:57
そもそも最初から各大名の戦意が最低だったから仕方ない
戦国期において要求された兵士数に対する水増し申告が一番酷かったと言われるのが、この朝鮮征伐だし
朝鮮て聞いただけで萎える時代だったんだろうなw
あと「朝鮮にもののふ無し」って言ってるから、情報としてチョンがヘナチョコなのが判ってたってのも間違いない
当時の絵巻物には手甲脛当て以外の武具は一切身につけずに衣服のみwで両刀を携えて進軍する様子が描かれてる
ようするにジャージ着て戦争みたいなノリ
これら以外にもチョンが弱かったって記述は各家中家人文献に見られるのでガチ
「そんな必要もないくらいのほったて小屋なのに、火を放って山中に逃げ込んだままなので戦にならない」
「(現地の伝染病にかかって)昏睡状態にある奴の寝首を掻くような卑劣な獣のような輩しかいない」
こういうのがチョン評価
しかも半島には梅毒なんかもあったから「こんな場所からは一刻も早く帰りたいってみんな言ってるよ」的な記述が多数

おもしろいエピソードだと、明が出ばってくる前の暇な時期に流行った虎狩りに纏わる話
加藤か島津か失念、家中の某(姓は判明してたかも)が見回り中に虎に襲われたんだけど、
子猫みたいに振る舞ったり、じゃらしたりして眠った隙に逃げてきたって話
もう背中なんかボロボロで涙ながらに上記の説明をしたんだとw
同輩からは「お前スゲーな!www」って一躍ヒーロー
「お前の話おもしろかったから褒美を取らすwこのラッキーガイめ!w」って何か貰えたらしい

>>498
組織、個々共に戦力レベルが違い過ぎる
戦闘だけなら余裕、事実そうだったわけで
この後、倭兵と聞いただけで戦意喪失って書かれてるし
いまでいうところの完璧なPTSD
何しろ明兵には経験したことなかった戦闘なんだから
四指が飛ばされてミトンみたいになってる手とか、そんなのまだましで
肘から先、膝から下が綺麗になくなってる多数の負傷兵なんてのを連中初めて見せられたんだぜ
拷問で見たことのある奴はいても戦闘では無かったろうな
そりゃあパニくるわ

503:名無し三等兵
11/02/07 13:16:55
槍と鉄砲で指斬り飛ばすわけ?

504:名無し三等兵
11/02/07 13:29:29 BpCOhYU3
まあシナの武器って基本的に打撲系だから
日本みたいに日本刀がスパッて斬れるのは初めて
あと鉄砲がむちゃくちゃ多い
多分世界中のマスケット銃の半分は日本にあっただろな

505:名無し三等兵
11/02/07 16:30:31
日本刀みたいな「斬る」事に特化した刀剣類は世界でもまれだもんね
平均的な刀剣類は「叩き割る」とか「裂く」って感じの効果だし
でもまあ硬い甲冑にもある程度有効で多少は刃こぼれしてもなんとかなるから、
実は後者の刀剣類の方が戦場では信頼性や耐久性で好まれるんだけどね

506:名無し三等兵
11/02/07 16:36:42
>>505
実験では銃弾すら歯こぼれなく斬れる日本刀は斬る突く分には信頼性高い
ただ大量生産しずらく血糊で4、5人斬れば斬れなくなる


507:名無し三等兵
11/02/07 17:03:52
>>506
そこんところが剃刀刃の泣き所だね。だから実際にスペアの刀を複数本携帯してた武者も多いし、
剣豪将軍で有名な足利義輝も、襲撃された時に複数の抜き身の刀を近くの畳に刺してスペアとしてたし
整備性の悪さや使いにくさ込みでもなお殺傷力の高い刀を愛用し、
雑兵クラスの兵でも訓練に余念が無かった武士の執念には恐れ入る

508:名無し三等兵
11/02/07 17:16:18
>>507
槍使った方がよかったんじゃないのか?>>よしてるさん

509:名無し三等兵
11/02/07 19:12:48
>>508
槍や戈は雑兵の武器で武士は基本的によしとしない


510:名無し三等兵
11/02/07 19:25:08
槍働き、7本槍、朱槍

刀で斬りこむとか自殺志願者だけだろ



511:名無し三等兵
11/02/07 19:46:39
部屋の中で槍は使いにくいんじゃないか?

512:名無し三等兵
11/02/07 20:05:59
>>509
日本丸や蜻蛉切を雑兵が持つのか
超豪華装備だな日本の足軽

513:名無し三等兵
11/02/07 22:31:24
>>512
足軽大将なら日本刀だろな
長槍組、薙刀組、弓組、鉄砲組の基本足軽4組

514:名無し三等兵
11/02/08 00:20:04
足軽大将なら好きな武装使うんじゃね?



・・・・薙刀隊?

515:名無し三等兵
11/02/08 02:04:39
>>512>>513
槍は上から下まで全員持ってる基本装備
取り回し難い接近戦になれば普通に太刀が使われた
護身用の飾りなんて珍説が流布しだしたのは最近の話
というよりも明らかにチョンとインチキ親韓学者が日本をディスる目的で盛んに広めてる
当時の戦いにおける作法みたいなことは、そうした指南書の中に記してある
足軽大将クラスの武将には専任の槍持ちが居たし、それで一塩付けたらまた槍持ちに戻すなんてことを本当にしてた
この後、太刀で切り付けて傷を負わせた敵なんかには衛星みたいに付き従う共の者が脇差で首を掻切った
また戻り鐘の音がして陣地に帰るまでは決して下馬はしない、これ基本
なのでこうした偉い兜首の人は基本的に命を落とすことは希
ただし、武功を常とする者や立身出世を狙う輩には戦闘中絶えず的にされた
しかもそうした奴が「ウオーッ!~殿と御見受け致す!いざ参る!」ってな感じで来たら、逃げるのも背中を見せるのも御法度
絶対に本人が一塩付けなきゃならないから超大変
実際これを繰り返されて取られる人もいたわけ
だからこそ当時、平八郎伝説とかを疑ったりディスったりする奴は皆無
敵味方、目の当たりにした人もいる中で異論の類が残されてないってのは、実は結構信用度の高いものだってこともそこから判る

516:名無し三等兵
11/02/08 02:12:11
|∀・).。oO( 一荒れしそうだなw

517:名無し三等兵
11/02/08 03:21:38
先ずは鉄砲や長弓による遠距離戦
その後騎馬突撃や歩兵集団戦は長槍による横隊突撃が基本
乱戦になれば長槍より取り回しが利く太刀の出番
取っ組み合いの格闘戦には脇差しの出番


518:名無し三等兵
11/02/08 03:24:03
日本は負けたでOK?

519:名無し三等兵
11/02/08 03:25:53
うん、みっともないくらいの惨敗でOK

520:名無し三等兵
11/02/08 03:56:47
朝鮮征伐
太閤の寿命に助けられた明、日本の足軽の足袋から唐辛子に目覚めた朝鮮料理
明はバカ朝鮮救けに行かなければ国を失うことも無かった
日本の兵站から見て不毛な朝鮮経由だと精々北京が最大進出点
おそらく北京手前の山海関万里の長城を抜くことは出来ない
明は開封当たりに大本営を構えて向かい会えばいいだけ

521:名無し三等兵
11/02/08 04:23:42
なんかネトウヨが火病ってるな

522:名無し三等兵
11/02/08 06:01:35
>>499
日本人は何もせずに現地人をバタバタと大量に感染死させて社会を混乱させる病原体と自身を守る抗体を持っていないのでミリ。

523:名無し三等兵
11/02/08 07:24:56 7/zuBSEk
韓国海軍は日本や中国など周辺国の安全保障上の脅威に対処するため、
4,000トン級の原子力推進潜水艦(SSX)数隻を2012年以降に実戦配備する方案を、
秘密裏に且つ積極的に推進している事が判明した

URLリンク(www6.atwiki.jp)

524:名無し三等兵
11/02/08 12:27:44
>>520
しかし支那王朝としては冊封体制をやってる以上は、
たとえどんな無能でも子分を見捨てる選択肢は選びたくても選べないだろうし、
日本の大陸進出の意図が明確な以上はわざわざ自国領の開封まで引かずとも、
他国の狭い半島で封じ込めに専念した方が楽な気がする

525:名無し三等兵
11/02/08 14:17:27
太閤秀吉が家康くらい長生きしたか、秀頼が産まれず秀次がちゃんと豊家政権を引き継げてたら朝鮮征伐はどうなったかな?
あと5年くらい半島で合戦してたらチョン人はほぼ絶滅か満州に移住してるんじゃないかと思う。
日本は徳川上杉伊達を主力とする東国軍団が無傷で後詰めしてるし、海戦の勝利で海上補給線も安定してるから太閤秀吉の寿命以外に撤退理由がない。
ただ大国明も長期派兵だと兵站の不安はあるものの国力から見て継戦能力は当時世界一だと思う。
また、日本軍の攻勢にも前線で無理に支えずナポレオン戦争や二次大戦のロシアの様に縦深陣地を構えて水原、漢城、開城、平壌と策源地を後退させながら迎撃戦を行えばよく、最悪は鴨緑江まで下がれば戦線は立て直せる。
故に戦争は朝鮮半島を舞台に長期化するだろな。

526:名無し三等兵
11/02/08 14:51:34
明に長期戦は厳しいだろう

対して日本まだまだ余力を残してる状態
豊臣がその気になれば、その莫大な金をもって緒大名を支援して更に動員をかける事も可能

527:名無し三等兵
11/02/08 14:59:38
>>523
秘密裏w

528:名無し三等兵
11/02/08 15:10:05
>>526
交戦中は兵糧消費は高くなる果たして日本軍の長期継戦は可能か?
15万の兵力を渡洋攻撃させるなど近代戦でもかなり難しい
17世紀にそんなこと出来たのすら信じかたい
元寇の様に海岸線に張り付き船舶を拠点にするのですら最高でも数ヶ月が限界

529:名無し三等兵
11/02/08 15:34:15
現地での徴収・収奪・略奪も補給の内でしょ


530:名無し三等兵
11/02/08 15:34:17
明は兵站線の概念でなく長征のための物資集積を行い遠征し物資が枯渇すれば本国に撤退する戦略
当初兵站線を無視し進撃した日本軍には明軍は有効だったが、
朝鮮南岸に陣地を築き物資集積した日本軍にはなすすべなく撤退せざるを得ない


531:名無し三等兵
11/02/08 16:03:33
九州関東と大軍を動員した実績はあるが、確かに兵糧は厳しいかもしれん

それに元寇は攻めに来たは良いが、海岸線を維持するのがやっとで、そこを拠点にするしか無かったんだよ
進展も見られず最終的に撤退してるしね

532:名無し三等兵
11/02/08 17:18:34 Q70Xc7AJ
>>529
不毛の半島が抗日に一番貢献したのかw

533:名無し三等兵
11/02/08 17:30:14
豊臣政権は朝鮮水軍を殲滅し大明水軍だけになった慶長戦役では朝鮮南岸から内陸部へ5里置に城塞を築いて相互支援させながら進軍する計画。

534:名無し三等兵
11/02/08 19:59:44
>>532
まあ実際そうだろうな
大名からしたら貰っても嬉しくない土地だし

535:名無し三等兵
11/02/08 20:00:53
>>533
>慶長戦役では朝鮮南岸から内陸部へ5里置に城塞を築いて相互支援させながら進軍する計画。

ソースは?

536:名無し三等兵
11/02/08 20:38:37
>>526
そういや、あんだけの大いくさやった割には、豊臣のカネ蔵は余裕だったな・・・

537:名無し三等兵
11/02/08 21:33:16
そりゃ、ツケは配下に回したからな

538:名無し三等兵
11/02/08 22:43:31
全部払ってもまだ金余りってぐらいあったけどな

539:名無し三等兵
11/02/09 00:11:47
>>537
封建制度だから戦費は元々各々持ち
戦地まで兵糧輸送など任務分担しただけ
負担が軽くなり昔よりマシ

540:名無し三等兵
11/02/09 03:08:15
>>525
それには明の側に武装や戦術においてのエポックメイキングでもない限り、攻めては大損害で撃退される予定調和の繰り返し
全滅するまでそんなことを繰り返すはずもなく、その前に内部分裂やクーデターが起こるわ
太閤の死によって救われたと自分達で自覚するほど痛めつけられていた中で継戦のifなんて当時の明には絶対ない
むしろ日本側というか、諸候にもう少し堪え性さえあったら明の土下座は確定してたよ
五大老の意見の一致をみれば、ちゃんと性根を入れた戦に変わったんだろうけどな
それこそ家康が真っ先に太閤様御前に勝利を捧げんとか言って、積極的な姿勢でも見せてれば皆本気出したはず
何しろ駿府殿残して国を空けた状態とか、秀吉から信任の厚い他の諸候からすればそっちの方が余程戦場
そうした個々の思惑含めた後願の憂いの中で、しかも他国で戦なんてやればあんな感じでグダグダにもなるわ

541:名無し三等兵
11/02/09 04:46:25
アホが名胡桃城攻めて北条攻めの口実あたえなければ秀吉は天皇から倫旨を受けて勅命として朝鮮征伐を前倒しで始めていただろう
諸大名の国力減衰を目的に伊達北条徳川毛利島津前田上杉の七大大名家を主力に渡洋攻撃をさせただろう
上手くすれば徳川や北条や伊達の領地の大部分を朝鮮や明に転封出来る

542:名無し三等兵
11/02/09 05:37:24
後金でも抜けなかった山海関どうやって抜くわけ?

543:名無し三等兵
11/02/09 05:53:07 ODHqP/e8
大砲がありますが、なにか?

544:名無し三等兵
11/02/09 11:15:56
大砲なら山海関の方が多いだろ

545:名無し三等兵
11/02/09 12:53:09
>>542
旅順から天津か威海衛か臨錙に九鬼 脇坂 加藤嘉等の水軍で上陸作戦を行い山海関はスルーパス
日本軍の補給線は名護屋→対馬→釜山→木浦→熊川→仁川→南浦→旅順
陸路より海路を進む方が兵站は楽だ
朝鮮南岸から西岸の諸海戦で明朝鮮連合水軍は壊滅している
陸路山海関に迫る頃には渤海黄海は日本水軍の庭だろう

546:名無し三等兵
11/02/10 08:00:04
史実で何でそれやんなかったの?

547:名無し三等兵
11/02/11 23:57:19
全羅道の制圧が出来なかったからムリポ

548:名無し三等兵
11/02/12 09:05:26
当時の山海関には西洋製ーーオランダだったかな?ーーの大砲があり、伝統的な騎馬軍の後金は苦戦した。
一方で日本には国内に30万丁もの鉄砲があり、わずかだが大砲の運用も始まり、火力では比すべくもない。

例えば一武将の石田三成は、関ヶ原の戦いにおいて、自軍6千人に3千丁の鉄砲と6門の大筒を配備してる。

それと日本の大鉄砲(抱え大筒)、特に50匁辺りから上の物は、国外ではふつう大砲として扱われる物だ。
30匁でも口径は2センチを越え、現在の感覚では、重量・用途・破壊力ともに対物(対戦車)ライフルに近い。

549:名無し三等兵
11/02/12 15:23:43
朝鮮に行ってた部隊は何丁の鉄砲と何門の大砲装備してたの?

550:名無し三等兵
11/02/12 17:44:54
おおよそ推測するに3万丁のマスケット銃は半島に持ち込んでいたと思われる


551:名無し三等兵
11/02/12 17:51:41
>>548
大砲はシナが本場だろ

552:名無し三等兵
11/02/13 04:02:56
 意外なことに、明は世界的にも早い段階で大砲の量産化に着手しており、これはマウリッツにも負けてない。
 ただし精度が低かった上、仏狼器(子母砲)だったらしく、実戦にはオランダの鋳造砲の方が重用された。

 それと「当時30万丁」は多すぎだ、実際には関ヶ原の時点で6万丁だし、三成は領国に国友村があったから。
それでも半数が銃兵というのは、スペインのテルシオ以上の密度だし、6000人ならテルシオ二個連隊に相当する。

 これが一国の王ではなく、一大勢力ですらない、嫌われ見下された一武将の戦力なんだから恐れいるよ。

553:名無し三等兵
11/02/13 04:36:11
>>552
一大勢力の家康は何丁?

554:名無し三等兵
11/02/13 08:30:49
八丁味噌

555:名無し三等兵
11/02/13 14:15:10
武士だけで30万丁は多過ぎるけど、農民兵も使う訳だし
結構な数が城に配備してあるんだろう

関ヶ原って言っても多くは自領に残ったりしてるし、それで6万丁ならまぁまぁだ

556:名無し三等兵
11/02/13 15:17:54
>>552
仏狼器ってカートリッジ式の大砲だっけ?
密閉技術の精度が低かったこの頃のカートリッジはエネルギーロスのデメリットが、
速射性のメリットを上回ってたんだよね

557:名無し三等兵
11/02/13 15:57:47
>>550
じゃあ30万じゃなくてMAXでも3万じゃん

558:名無し三等兵
11/02/13 17:31:07
その意味が分かって書いてるのか?
ヨーロッパ全ての鉄砲と、同じだけの数が半島に集まっていたんだが。
ちなみに、当時の世界で、鉄砲の半数は日本にあった計算になる。

559:名無し三等兵
11/02/14 07:56:10
日本30万(50%)
ヨーロッパ3万(5%)
あとの27万(45%)はどこ?

総数分らなきゃ計算出来ないはずだから、当然把握してるんでしょ?

560:名無し三等兵
11/02/14 12:16:31
1600年時
 日本:推定60000丁
    うち関ヶ原の戦いで50000丁を使用

 ヨーロッパ諸国合計:推定30000丁
 その他合計:30000丁
 (内約:トルコ及びアラブ諸国、中国及び東南アジア、朝鮮、南米他)


なお戦国時代末期には、日本国内に30万丁とも50万丁有ったと言われているが、ソースも色々あって断言できない。

俺は少なめかつ、ほぼ確実な数字として「関ヶ原の戦いの時点で総数6万丁、うち合戦に使用されたのが5万丁」と書いている。

561:名無し三等兵
11/02/14 15:01:15
1543年:2丁
 鉄砲伝来

1600年:6万丁
 関ヶ原の戦

1615年:30万丁
 大坂の役

562:名無し三等兵
11/02/14 19:05:13
夏の陣(1615)、多く見積もっても両軍で25万人だぞ

563:名無し三等兵
11/02/14 20:16:54
>>562
この時期は豊臣家の挙兵に誘発されて一揆が頻発したので、対策として結構いろんな大名が警備のために他地域に残置されていた。
その部隊に鉄砲が無いはずがないので、30万丁はいきすぎとしても28万丁はあったんじゃね?

564:名無し三等兵
11/02/14 20:58:34
これで何度目だよ?
俺は「妥当・確実なのは、1600年の6万丁。関ヶ原の戦いで使われたのが5万丁」
そう書いてるじゃん。

戦国末期に30万丁としたのは、もとは外国の学者じゃなかったかな?
ただ関ヶ原の戦いでも、全てが動員された訳ではない。当然、大坂の役でも国許に
残された分はあったと考えるのが妥当だろうな。

565:名無し三等兵
11/02/14 22:14:38
戦国末の日本には30万丁の鉄砲があって、それは世界の鉄砲の50%を占めた
って話自体はよく聞くんだが出典を詳しく教えてくれ

566:名無し三等兵
11/02/15 00:35:47 9O8z+Qkb
関ヶ原に集結していた兵力は日本全体の一部にすぎない

567:名無し三等兵
11/02/15 01:10:30
シリアルナンバーとかねーのかよ。

568:名無し三等兵
11/02/15 01:31:52
日本には6万丁あって関ヶ原で5万丁あったとか

全国で東西に別れ合戦をしてた、この戦いの総称を関ヶ原の戦いだと思ってるおばかさんなのかな

569:名無し三等兵
11/02/15 01:47:38
悪いが>>564の考えは 絶 対 に間違っていると 断 言 出来る

何度も言って、なんかおかしいとは思いませんか

570:名無し三等兵
11/02/15 12:40:05
>>565
もっと少なく150000とか逆に、500000とか1000000なんて意見もあるぞ?

571:名無し三等兵
11/02/15 13:55:30
戦国時代、種子島 堺 国友村の主要産地だけで月産1000丁は超えていた
鉄砲が高価な兵器から足軽働きの普通の武器に
また各地の刀鍛冶で簡単に量産化できた

572:名無し三等兵
11/02/15 14:58:06
火縄銃 - WikipediaURLリンク(yomi.mobi)

ここでは戦国末期に50万丁となっているね。

573:名無し三等兵
11/02/15 18:46:15
火力ならオスマントルコが当時の世界一じゃない?
大砲だけで数千門は持ってるし日本よりはるかに強そう。

574:名無し三等兵
11/02/15 20:42:36
幾ら数千門あったって、殆どは鉄の弾を飛ばすだけでしょう
野戦じゃ使い難く、攻城戦でしか役に立たない

榴弾がどれだけ普及してたかだね

575:名無し三等兵
11/02/15 23:14:19
>>574
そうなんだよ。大砲がいくらあっても攻城用兵器としてしか使えなかった、投石機の強力なヤツという位置づけだったのを理解できず、大砲たくさんある=スゲエと考えちゃう人は意外と多い
オレも小学生の時そうだったし

576:名無し三等兵
11/02/16 08:48:47
>>575
大砲の効果は戊辰戦争の頃が移行期で、
銃に取って代わったのは日露や一次大戦の頃だからな。
りゅう弾もそうだけど、それ以前に照準できなきゃダメでしょ。


577:名無し三等兵
11/02/16 12:13:46
歩兵隊列を組まなかった戦国時代の日本はともかく、ヨーロッパでは三十年戦争当時から、野砲の重要性が認識されてたよ。
そもそも導火線式の柘弾なら、三十年戦争でも使われているし、ただの一発弾や散弾でも、歩兵隊列には恐ろしい敵だ。

578:名無し三等兵
11/02/16 13:58:19
あと時代にもよるけれど「オスマン・トルコの大砲は数千門」って、馬鹿言っちゃいけないよ。
ナポレオン時代のフランスなら、74門艦2ダースにフリゲートを加えて、艦砲1000門には届くだろう。
ずっと小さく少なくなるけれど、野砲だってかなりの数だろうし、要塞砲ならサイズも負けない。

しかしオスマン・トルコに“ナポレオン時代のフランス+イギリス並み”の火砲なんてある訳ない。

そもそも数ではなく、一発当たりの破壊力を求めたのが、有名な“ウルバンの巨砲”だ。
当時は弾道学が未発達で、同一箇所に当てられなかったから、一発でも当たれば良いサイズにした訳だ。

579:名無し三等兵
11/02/16 14:30:19
200年の時代差があるナポレオン時代の英仏の軍備を熱く語られてもなw

580:名無し三等兵
11/02/16 14:56:04
ナポレオン時代だと、誰かが大砲を作らなくちゃいけない。
200年前なら、砂漠から大砲が、ニョキニョキ生えてきたのにな。

581:名無し三等兵
11/02/16 16:43:47
逆ギレかよw

582:名無し三等兵
11/02/16 18:19:53
結局1600年のオスマントルコの軍備はどんなもんだったんだろう。

583:名無し三等兵
11/02/16 18:54:28
>>564
5万(確実)の内訳は?
小計なしじゃ総計でないよね

584:名無し三等兵
11/02/17 02:31:50
 鉄砲保有数が『30万丁』というデーターは、多分ノエル ペリンの『鉄砲を捨てた日本人』
が初出ではないかな? 読んだことが無いし、断言は出来ないけれど。どうやら関ヶ原の戦い
における総数も出典はこれらしいから、内約を知りたければ買ってみれば?

『鉄砲を捨てた日本人』 ノエル ペリン 中公文庫

 それと江戸時代の鉄砲保有数の内約なら、この本に少しだけ載っている。これは抜粋なので
調査した年代はバラバラですが。

『鉄砲と日本人』 鈴木真哉著 筑摩書房

 仙台藩領3984丁、尾張藩領3080丁、長州藩領4158丁、紀州藩領8013丁、対馬藩領1402丁
などなど。

585:名無し三等兵
11/02/17 03:27:45
|∀・).。oO( 内約?

586:名無し三等兵
11/02/17 19:17:15
>>584㌧一応チェックして見るわ

587:名無し三等兵
11/02/18 05:12:43
おれなら検地刀狩で出た大量の武具を朱印船でまだ独立維持していたインドネシアやマレーシアやインドの王国に売り付けて代わりに黄金や香木などを持ち帰るな

588:名無し三等兵
11/02/18 09:09:34 DSZ/n0M8
関ケ原から大阪陣の時点で、鉄砲装備率は国によって違うが20~40%
日本全国の総兵力が50万程と見積もると、鉄砲の数は10万~20万挺

589:名無し三等兵
11/02/19 12:32:41
幕末までに、支藩を含め300藩あったから、少なくとも江戸時代に30万丁はあり得る訳だ。

590:名無し三等兵
11/02/19 21:44:16.36
結局これって日本の勝ちなの? 負けなの?

いろんな解釈をする奴がいるからさ

591:名無し三等兵
11/02/19 21:47:34.12
>>589
300藩と30万丁の関係がサッパリワカランが。

592:名無し三等兵
11/02/19 22:32:44.23
目標を達成できなかったんから失敗だよ。でも得るものはあったし、講和を結んでの撤退だから引き分けでいいんじゃね。

593:名無し三等兵
11/02/19 23:02:53.27
>>591
13はんで32000だから有り得る

594:名無し三等兵
11/02/20 00:38:34.64
>>590
途中終了だから勝敗はつかず


595:名無し三等兵
11/02/20 01:29:47.06
誰か>>589>>593の論理を解説してくれ(笑)。

江戸時代の軍役の石高換算(元和で一万石あたり20挺×総表高)とでもいうならまだ判るが、
藩数と銃数との関連はサッパリワカラン。

596:名無し三等兵
11/02/20 02:25:27.97
歴史的結論は痛み分け
日本は戦略目標を達成出来ずに敗北するがあれだけの外征直後からの数次に分けて巨大内戦を経験しても国家基盤に何ら影響が無かった
故に引き分けが相当


597:名無し三等兵
11/02/20 06:06:51.19
>仙台藩領3984丁、尾張藩領3080丁、長州藩領4158丁、紀州藩領8013丁、対馬藩領1402丁

これって武士(軍人)が武器としてもってる鉄砲数?
それとも民間で害獣駆除用に農具と使われているものもあわせた総数なの?

598:名無し三等兵
11/02/20 09:40:44.56
>>590
勝利条件を考えてみよう。

・半島を荒らすのが目的なら日本の勝利。
・半島を支配するのが目的なら日本の負け。
・明を征服するのが目的なら日本の負け。
・余剰兵力のための公共事業なら勝敗は関係なし。

他の条件あるなかぁ?

599:名無し三等兵
11/02/20 10:52:25.90
>>598
過度な軍備拡張体質からの転換のきっかけとしては悪くない国家事業
シナや半島に決定的かつ絶対的な民族的敗北感を与えた功績は大きい

600:名無し三等兵
11/02/20 11:57:41.48 pGI0Z3h3
>>590

明・朝鮮は戦争の最後まで日本軍を撃退できなかった。
朝鮮は国民の生命財産を守れなかった。
明・朝鮮は主要戦闘の殆どで敗北を繰り返した。

601:名無し三等兵
11/02/20 12:22:32.26
引き分けだろ

602:名無し三等兵
11/02/20 13:31:22.36
>>593
否定厨は構うな

603:名無し三等兵
11/02/20 14:00:17.51
朝鮮の役は成功か失敗かで言えば失敗だし、勝ち負けで言えば引き分けでしょ。

604:名無し三等兵
11/02/20 14:13:32.13
秀吉存命中:明侵略
秀吉死亡後:速やかな撤収

秀吉の生死を境に戦争目的が変わったから、一概には言えないのが厄介
元寇のフビライは本人存命中でも遠征継続を断念したから元の敗北と即答できるけど、
秀吉は死ぬまで遠征継続の意思が変わらなかったうえ、陣没した訳じゃないからねえ

605:名無し三等兵
11/02/20 15:14:23.43
負けて撤退ならともかく勝った状態だからな
追撃戦でフルボッコにされる明って・・・

606:名無し三等兵
11/02/20 18:34:57.64
オゴタイが死んで撤退したバトゥの遠征軍みたいなもん?

607:名無し三等兵
11/02/20 19:07:46.72
秀吉のプライドを脇に置くと優先すべきは南蛮交易路の支配権確保
琉球 台湾 呂宋 アンボン 南越 シャム ジャワ スマトラなどの拠点確保が必要
また、マリアナをはじめミクロネシアなど太平洋をメキシコ経由での航路の確保


608:名無し三等兵
11/02/20 20:22:06.01
>>606
確かに似てるね。もしオゴタイの死去・訃報がなければ、
ライン川・ドナウ川以東がまるまるモンゴル領になってた可能性が高いと思う。
それと国家元首交代で軍事外交方針が変わったと言えば、七年戦争のロシアもそうだね。
マリア・テレジア側のエカチェリーナが死んでフリードリヒ側のピョートルが即位した事で、
ロシア軍は優勢だったにもかかわらず撤収したし。

609:名無し三等兵
11/02/20 21:07:29.96
>>597
朝はやいんだな。
そのデータは民間、違法所持も含め、見つかった“全ての”鉄砲の総数だそうな。
藩によっては、違法な所持だけで800丁余りと言うのだから驚き。

610:名無し三等兵
11/02/20 21:39:12.95
>>593
親なら48000だもんな

611:名無し三等兵
11/02/20 22:19:08.89
つか日本の勝ちだと思ってるのは日本人だけで
海外では日本の負けという評価が一般的だぞ。

612:名無し三等兵
11/02/20 22:38:22.13
日本人でも日本が勝ったと思ってる人はいないだろう。

613:名無し三等兵
11/02/20 22:58:20.87
指導者死亡で撤退したがモンゴルの圧勝になってるぞ

モンゴルのポーランド侵攻 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

614:名無し三等兵
11/02/20 23:07:18.36
満州人の対明戦争との比較でもヌルハチ一代では満州族の統一と遼東を占領しただけだから秀吉と変わらない
それどころかヌルハチは実質的に明との戦争で敗死してるから秀吉よりよっぽど悲惨なことになってる

615:名無し三等兵
11/02/20 23:10:54.65
>>611
海外の評価、ってそもそも知ってる人間なんてほとんど居ないだろ(笑)。
倭寇の延長線上で朝鮮が蹂躙された、という程度の認識がせいぜい
だろうと思われ。

ま、Wikipediaはネチズンが粘着して好き放題に書いてるみたいだが。


616:名無し三等兵
11/02/20 23:18:02.85
まぁ欧州人とやりあったわけじゃないからな

617:名無し三等兵
11/02/21 09:48:59.29
秀吉の朝鮮征伐はイエズス会の宣教師らがローマ法王庁に詳しくレポートしてたはず
ちょうど同時期にプロテスタント系の英蘭連合とカトリック系のイスパニアがドンパチやってる
ローマ法王庁あたりでは真面目に日本の軍事力を脅威としていたみたいだな


618:名無し三等兵
11/02/21 15:59:06.21
英国ドレーク提督の海賊艦隊が渤海、黄海、東支那海を制圧したら日本の完全勝利
無敵艦隊が対馬海峡を封鎖出来たら日本の敗け
時代背景的にもこんな戦争になってても不思議はない

619:名無し三等兵
11/02/21 18:24:08.42
ネタ雑談か

620:名無し三等兵
11/02/21 20:02:09.85
ちょっと早過ぎる日英同盟か
スペインが東アジアに拠点確保しないと無敵艦隊がバロチック艦隊ばりにズタボロにされそうだな

621:名無し三等兵
11/02/21 20:39:37.25
ローマ法王庁が、手伝ってやらにゃ、ヨーロッパまで来れもしない日本の軍事力をなぜ恐れる?
「征服は不可能」と評価したのと、「法王庁にとって脅威」と感じたのでは、全然意味合いが違うぞ。
あとヨーロッパ近海すら満足に動けなかったアルマダが、日本まで来て艦隊決戦など有り得ないだろ? 

可能性を考えるなら、江戸時代初期まで幕府にも海外進出の話はあったし、極東・東南アジアでは、
スペインはイギリス、オランダ相手に苦戦してたから、開国日本に商圏を奪われるくらいは有り得るが。

意外にもマニラ・ガレオンって、オランダの、小さなガリオット相手に負けてたんだよな。
あとジャンクの癖に国姓爺ツェ~

622:名無し三等兵
11/02/22 05:52:06.74
鎖国政策を採らす部分的開港政策を採用していたら日本の領土は広かっただろな
北は東北諸藩がこぞって進出し北海道はもとより樺太から千島、アラスカまでもロシアより先に支配していただろう
莫大な毛皮や熊肝や鮭などの交易品は支那や南蛮に高く売れた
南は西日本諸藩がこぞって進出し、高雄 マニラ セブ アンボン ブルネイ サイゴン アユタヤ シンガポール バダビア バリ スラバヤ アチェ くらいまでの交易港は占領していただろうな


623:名無し三等兵
11/02/22 12:33:17.77
島原藩は松倉重政のマニラ侵攻計画もあったし、可能性は否定しないけど……

624:名無し三等兵
11/02/22 15:09:11.17
産業革命以前は経済とは農業だったって考えて良いのかなあ?
江戸時代初期の日本の軍事力は世界的に見ても低くないものだったし、それを支えていた産業はやはり農業だったわけで・・・

625:名無し三等兵
11/02/22 15:15:18.83
米本位制ww

626:名無し三等兵
11/02/22 15:39:42.84
>>624
西暦1600年の世界の陸上軍事力の3割は日本、また3割は明、のこり全て合わせても4割に満たない


627:名無し三等兵
11/02/22 16:02:37.77
産業革命以前なら、国力とは人口
それを支える事ができる農業とみてほぼ間違いないんじゃないかな?


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