10/11/19 20:00:28
まだ神風信じてる人いるんだ
180:名無し三等兵
10/11/19 21:00:37
>>179
神風が否定されたのは文永だけで弘安では台風来ただろまあそれも日本側が沿岸で粘った
のと元の船の多くが急造のボロ舟だったからだが
181:名無し三等兵
10/11/19 22:22:22
上陸も出来ず一方的にフルボッコされて、なおかつ日本側は本州からの増援が続々到着してる状態だから
台風がこようがこまいが大差ないんじゃね?
もっとも>>178がそれを踏まえてるとはとても思えんが
182:名無し三等兵
10/11/20 02:35:06
台風やら兵站の制限がなければ、南宋に待機していた100万人の兵力が上陸、
日本軍側も京都に待機していた20万人の兵力が出撃していたわけで、
実際にそうなったら、どちらが勝とうと、九州北部はめちゃくちゃになるだろうな。
183:名無し三等兵
10/11/20 02:38:42
>>178=>>180だから
朝鮮から来た軍は海上に足止めされて疫病でボロボロだったらしいけど中国から来た
主力と合流してすぐ台風で撤退したんだから来なかったら上陸されてたかもよ
184:名無し三等兵
10/11/20 03:09:42
>>182
まだ船が足りね
185:名無し三等兵
10/11/20 07:47:54
>>182
>兵站の制限
台風はともかくこれは解消できねえだろ
よって100万人侵攻はありえない
186:名無し三等兵
10/11/20 08:11:59
>>183
すぐ台風ってことはない。江南軍は6月の末には日本軍に攻撃しかけ
それから1ヵ月後に台風が来たんだから、暴風が来ようがこまいが
元軍が状況を逆転できたとは思えない。
弘安の役で接収した南宋の水軍の大半が沈んだんだから
これ以上の軍事行動起こしても、日本の返り討ちに合うだけ。
第2次の日本遠征で元は宋から接収した海軍力をほとんど失ったため、
海防の弛緩を招来し、元王朝の命取りの一因にもなった
14世紀の初頭から、広州、泉州、慶元の
市舶司の置廃が幾度となく繰り返されたのは、
沿海地域の防衛問題が深刻になりつつある証拠である
元朝は日本商船の武装化および日本の復讐を恐れて初期の中日貿易奨励方針から、
しだいに消極的な閉関主義への軌道修正を余儀なくされる
中国の歴史12 第5章 王勇
187:名無し三等兵
10/11/20 12:02:58
というか日露戦争は陸戦でも勝ってるだろ
じゃなきゃ戦争が終わらん
188:名無し三等兵
10/11/20 16:47:15
>>186
江南軍が合流したのは七月の上旬で台風が来たのは八月一日その間は戦力の再編に
当てていて鷹島に集結して攻撃の準備ができたのが七月三十日
189:名無し三等兵
10/11/20 17:09:27
ごめん訂正 鷹島に集結したのは七月二十九日
江南軍主力は攻撃前に台風に遭い撤退したがその前に江南軍先発隊は東路軍と共に日本側と
戦ってたみたい
190:名無し三等兵
10/11/20 18:29:11
じゃなきゃ戦闘が発生しないだろw
191:名無し三等兵
10/11/20 18:49:18 B4aU8KXv
応永の外寇の際に、朝鮮国王をさんざん打ち破り、帰国できなくさせて
以降は食料を貢がせた早田氏と宗氏はえらいね。
192:名無し三等兵
10/11/20 19:06:55
>>190
始めは東路軍だけで戦ってたとこに江南軍先遣隊が合流、後から来た江南軍主力は戦闘に
入る前に台風に遭い戦闘に参加せずに撤退
193:名無し三等兵
10/11/21 21:59:50
馬防冊+鉄砲は女真族にも有効だろうか?
194:名無し三等兵
10/11/21 22:15:39
なんで絵だと中央の兵が柵の後ろじゃなくて前で銃をかまえてるんだ?
195:名無し三等兵
10/11/21 22:21:58
>>194
三河武士だから
196:名無し三等兵
10/11/21 22:44:25
徳川勢は柵の前に陣取ったってこと?
197:名無し三等兵
10/11/21 22:49:38
>>194
接近されるまでは前にいても変わらないからだろ
198:名無し三等兵
10/11/21 22:54:10
わざわざ柵の前に出る意味あるの?あと絵では武田軍は川の向こう側まで迫ってきてるけど
199:名無し三等兵
10/11/21 23:21:24
逆に出ちゃいけない理由はなんなんだ?
200:名無し三等兵
10/11/21 23:24:52
柵の後ろにいたほうが落ち着いて狙えないか?当時の銃は射程が100mもないんだし
201:名無し三等兵
10/11/21 23:29:10
徳川の陣は織田の陣に比べて背後の山が低く、緩やかなので
積極的に出戦する必要があった
202:名無し三等兵
10/11/22 01:44:12 3TA89dtU
秀吉が10年余計に生きたとして、どんな作戦がとれる?
徳川、前田、上杉勢投入して、残存明軍の殲滅を狙った決戦追求?
203:名無し三等兵
10/11/22 02:42:51
だから兵站の問題で進めなかったんだろ?
しょぼい武士(笑)で妄想戦記考えてマスかいとけチンカス野郎が
204:名無し三等兵
10/11/22 04:00:18
>>202
慶長の役の目的はもう明侵攻ではなく明に自分が上だと認めさせる事と朝鮮南部の
獲得に移ったんじゃないか?
205:名無し三等兵
10/11/22 05:56:40 LoiFImha
>>204
すまん、残存明軍ってのは、朝鮮派遣明軍のことだけを言ったつもりだった。
屯田とかの発想はなかったのかな
あまり長く続けると、さすがに秀吉政権の基盤が危ういか。
206:名無し三等兵
10/11/22 08:42:32
>>205
折角、苦労して兵農分離したのに戻すってのもなぁ
207:名無し三等兵
10/11/22 13:16:15
織豊期に兵農分離ってのがあたりまえのように語られる傾向があるけど、
当時、実際に兵農分離してると言えるのは畿内周辺に領地のある織田系
大名くらいでしょ。
208:名無し三等兵
10/11/22 13:21:54
徳川家
というより、徳川家は軍制については最も進歩している
それこそ朝鮮の役を経験した大名よりも
209:名無し三等兵
10/11/22 18:48:12
秀吉が長生きしてたら朝鮮半島取って和睦してたかもしれんね
流石の秀吉も唐入りは無理だ、って思うんじゃなかろうか
こっちまで来れば明は多くの兵を動員できるし、数に劣り敵地で戦うとなるとね
210:名無し三等兵
10/11/22 19:25:05
ボケる前の秀吉なら明位制圧してそうだけどなw
211:名無し三等兵
10/11/23 00:08:58
>>208
徳川の軍制が最も進歩してるって、いったい何が?
関東転封で譜代家臣団がそれまでの封地と切り離されたということはあっても、
それは単に反射的なものでしかないと思うが。
そのせいで中下級家臣は俸禄制になって、江戸期に江戸集住はできたけど、
軍制自体は旧来然の禄高に応じた人数割りというだけでないかい。まして
朝鮮役時点で徳川がそんなに優れた軍制だったとは思わないが。
212:名無し三等兵
10/11/23 00:23:28
>>211
それまでの個人に寄騎を付属した形でなく、大番という組織に
番頭と番士を配属させる方式を創設している
後、蔵入地を四割という他の大名も例を見ない割合にして
後方能力の拡充を行い、また関東移封の時点で少録の侍は
基本的に江戸集住(もしくは一昼夜で江戸に付く位置)を
達成している
213:名無し三等兵
10/11/23 16:49:47
>>212
徳川の軍制というと、石川数正出奔でのゴタゴタでの武田流軍制導入で、大番組とか
先手二手とかが挙げられるようだけど、それによる実戦での実績というのは特に
ないのではなかろうか。
大番制については、寄親-寄子の関係を属人的なものから明文での規定に変えたという
意味はあっても寄親-寄子関係が無くなったわけではなく、またそもそも大番組自体が
旗本の一部に過ぎず、全軍を近代の部隊編成的に改組したわけではないから、その
利点としては軍制的な意味合いよりは、後の幕府での職制の祖形という意味合いの方が
強いのではないのかな。
また大番制自体が、創設というよりは三河以来の在番制の延長上にあるものとする見方も
あるようだが。
214:名無し三等兵
10/11/23 17:37:19
>>213
小田原とか関ヶ原とかある
小田原では先手七手の内、山中城攻めで本多・榊原・大久保・鳥居が、足柄城を井伊が攻撃しています
また、本多・平岩・鳥居を抽出して東関東を制圧しています
関ヶ原も各方面に先手・二手の七手だった大名がそれぞれ家康(忠吉)・秀忠・秀康麾下の各方面に配属されています
これは先手衆が独自行動をできる様になっていたからでしょう
寄親-寄子の特徴は擬似主従関係といえるもので、おいそれとその関係は変わらないが、大番は番頭・番士とも
入れ替えがあるし親が死んで子が引き継ぐということも余り無い
これによって人事面での柔軟性が確保できることになる
後、三河以来の在番制というのがどの様なものか私は知らないが、しかし旗本の先手というのがこれ以前は
旗本先手役としてあるので、三河の頃に大番があるとは思えない
215:名無し三等兵
10/11/23 19:34:43
>>214
在番制というのは城番のことで、平時から家臣団を知行地ではなく松平(徳川)の
本城・各支城に詰めさせておくもの。当初は当然譜代家臣団だけだったけれども、
遠江、甲斐、信濃といった新たな領地の獲得と共に在地の国人層も組み入れて
いったらしい。
で、江戸期の大番の役目に、輪番での江戸城、大阪城、二条城の警護があることからすれば
まるで無関係でもなさそーな。
216:名無し三等兵
10/11/27 00:10:32
小物だらけの日本史の人物語ってるヒマあったら仕事しろよキモオタ共(笑)
世界に誇る野田オブナガ(苦笑)
217:名無し三等兵
10/11/27 00:52:42
気にさわったらしいね(笑)
218:名無し三等兵
10/11/27 01:11:56
キモヲタ以外が2chに居るとは初耳だ(苦笑)
219:名無し三等兵
10/11/27 01:59:47
(´・∀・`)ヘー 自分がキモヲタだという自覚はちゃんとあるんだな。
220:名無し三等兵
10/11/27 09:58:04
>>219
俺もお前もキモオタだろ
何言ってるんだ?(苦笑)
221:名無し三等兵
10/11/27 18:48:56 sldDOk5T
日本人はナポレオンやチンギスハンレベルの世界的な英雄を出してみろよ(笑)まあ無理だろうがなw
織田信長(笑)坂本龍馬(笑)
小物過ぎ
ザマの戦い>>>>>>関ヶ原(笑)
222:名無し三等兵
10/11/27 19:34:53
(´・∀・`)ヘー その関ヶ原参戦諸将にさんざんボコられたウリナラの立場は?
223:名無し三等兵
10/11/27 19:34:54 UUM07GVm
なんだ朝鮮人か(´・ω・`)
224:名無し三等兵
10/11/27 19:41:23
別に世界的英雄なんて要らないしな
侵略をそんなに讃えたいならスレ的に秀吉でも讃えろよ
欧州統一どころかちょっと勝っただけですぐポシャったナポレオンがチンギスハンと並べられる英雄かは置いとくことにしよう
225:名無し三等兵
10/11/27 20:03:03
[[ノート:取次 (豊臣政権)]]
こいつらはなにをしているんだ?
226:名無し三等兵
10/11/27 21:07:08
>>221
ただ広い面積を占領したら英雄なのか?アケメネス朝を征服してペルセポリスを破壊したアレクサンドロス3世は英雄か?
異教徒を虐殺し一代で帝国を築いたイスラム教の開祖のムハンマドは?東アジアの大半を占領した東条英機も英雄なのか?
227:名無し三等兵
10/11/28 00:38:58
ナポレオンを英雄視してるのはフランス人くらい。
周辺国には侵略者扱いしかされてない。
228:名無し三等兵
10/12/05 16:02:43
日本史板の朝鮮征伐スレッドで
凄いのが涌いているんだが、
気のせいか?www
229:名無し三等兵
10/12/06 21:16:33
朝鮮を制圧したとしても万里の長城は破れたのかね?女真族は結局万里の長城を
自力で破れず謀略にたよったし、でも遊牧民って攻城戦苦手そうだし銃も
持ってなかったんじゃないか?
230:名無し三等兵
10/12/06 21:37:40
小規模兵力なら何度も超えてるな
大体蛮族の侵入を阻むもので本格的攻城戦装備を保有した軍隊を止める様な作りには成ってないだろう。
日本軍なら海から迂回も出来るし
231:名無し三等兵
10/12/07 02:18:17
だから架空戦記とか語ってもどうしようもないもん語るなっての
外国のろくな情報もないまま攻め込んでろくな軍事力のない朝鮮を短期間は蹂躙してたけど、寒気と兵糧欠乏で朝鮮南部に陣取って小競り合いして秀吉が死んだから撤退したってレベル
万里なんか越えられるわけねえじゃん
馬鹿じゃないの?
昨日立ち読みした文庫本で信長なら成功した!とか伊沢や津本みたいに痛い歴史オタクがかたってたけど、あまりに「ぼくのかんがえたさいきょうののぶながぐんだん」過ぎて笑い堪えるのに必死だったわw
232:名無し三等兵
10/12/07 02:40:18
このスレでは信長について全く触れていないし関係も無いのに文脈無視して必死に信長持ち出す奴がいるな。
アホなの?(笑)
233:名無し三等兵
10/12/07 09:06:33
万里の長城超えられないとか言ってる事自体が架空戦記なんだが
余程馬鹿なんだろうか
234:名無し三等兵
10/12/07 19:09:57
実際越えられなかったじゃん
余程の馬鹿なんだね君は
235:名無し三等兵
10/12/07 21:36:10
>>228
元寇スレにも威力偵察厨が湧いてるw
236:名無し三等兵
10/12/07 21:57:53
>>234
233が言ってるのは万里の長城なんてたいした事ないという意味だと思うんだが
万里の長城まで行き着いてないのに実際にはという言い回しは不味いんじゃないか?
237:名無し三等兵
10/12/07 21:58:05
>>234
到着してないものを超えるも超えないも無いだろ・・・
女真族に突破される前にも遊牧民に破られてる以上前提から間違ってるし
238:名無し三等兵
10/12/07 22:55:38
女真族は明側の(既に滅亡しているが)武将の内通があったから越えられたのであって
自力では越えられなかったとこを見るにちゃんと防備を固めていればかなり堅かったんじゃないか?
239:名無し三等兵
10/12/07 23:18:05
小さな城でも力押しだけで攻める大名は居ない。
戦国時代は数多あった調略で落ちた小さな平城を「正攻法では落ちなかった難攻不落の城」とは言わないだろ?
240:名無し三等兵
10/12/07 23:35:57
ホンタイジが山海関を破れなかったのは万里の長城が強固だったからでは?
241:名無し三等兵
10/12/07 23:48:40
山海関はそれはそれで独立した要塞だから
万里の長城自体を超えるのは難しくない。
場所によっては近所の塀レベルだし
242:名無し三等兵
10/12/07 23:54:13
長城なんてただ壁だろ
火砲を使えば突破出来る
何重の壁を築くならともかく一重だし、そこが弱点
243:名無し三等兵
10/12/08 00:40:02
ホンタイジが山海関を迂回しなかったのは後方を脅かされたくなかったから?
244:名無し三等兵
10/12/08 01:27:40
迂回つっても、あそこが要衝だから要塞があるわけで
大規模兵力が恒常的に進軍するなら後方の安全という観点でも進軍路という意味でも落とさなきゃいけない
「超える」のは簡単だが、その先が難しい。
日本軍の場合、万里の長城は即日超えるだろうがそこにいたるまでと、その後の占領面積が大きすぎるんで手におえそうにない。
アレキサンダー大王方式で行くならどこまででもすすめるだろうが・・・
245:名無し三等兵
10/12/08 02:29:28
だが日本にはアレキサンダー大王レベルの人物はいなかったな。
それ以前も今後もな(笑)
246:名無し三等兵
10/12/08 10:52:52
52 :世界@名無史さん[]:2005/08/06(土) 23:15:58 0
山海関は、渤海とその西方の山脈に挟まれた、もっとも狭い隘路に
建築されました。
山海城を中心拠点とし、その両脇に北翼城、南翼城がありました。
さらに渤海の岸には、海からの攻撃に備える寧海城がありました。
これら4つの城は長城で結ばれてます。
山海城の前面には、満州側に大きく張り出してる東羅城が作られました。
これが防衛のポイントです。攻城側にとって、この郭が最もやっかいでした。
長城の上には、大型の紅夷砲、小型のフランキ砲、日本伝来の火縄銃が
配備されました。それは長城に取り付く女真軍に容赦なく浴びせられました。
中でも外側に張り出した東羅城からの側面射撃は、攻城側にとって
大きな脅威でした。長城の海側の舳先にも大砲が取り付けられ、海上から
侵入する敵に砲弾を打ち込みました。
54 :世界@名無史さん[sage]:2005/08/06(土) 23:51:00 0
山海関・詳細マップ
△△△ |
△△△ 東羅城 囲城 |
△月城 ■ ■ 入海石城
=▲====■===■===■=======■==■ 渤海
△△△ 北翼城 山海城 南翼城 寧海城 |
△△△ |
247:名無し三等兵
10/12/08 23:14:52
秀次軍
トンネル建設中
上杉軍 ↑ ・ |
↓山越え中 伊達軍 ・ 徳川軍 |
△△△ 敗走中 ・ 攻城戦中 |
△△△ 東羅城 ・ 囲城 |
△月城 ■ ・ ■ 入海石城
=▲====■===■===■=======■==■ 渤海
△△△ 北翼城 山海城 南翼城 清正隊→寧海城 |
△△△ 無双中 |
・ |
・ |
|
←村上水軍
上陸中
248:名無し三等兵
10/12/08 23:42:53
>>247
> ======■
> 清正隊→寧海城
> 無双中
ワロタww
249:名無し三等兵
10/12/10 00:20:49
秀次軍・伊達軍
宴会中
長宗我部軍 |
攻城戦中? |
△△△ ↓ |
△△△ 東羅城 |
△月城 ■ × 入海石城
=×====■===■===×=======×==■ ←毛利水軍
△△△ 北翼城 山海城 南翼城 寧海城 | 攻城戦中
△△△ ↑ 本多隊 |
上杉軍 島津軍 突撃中 |
攻城戦中 略奪中 ↓ |
清正隊→ 明軍→|
突撃中 | 村上水軍→
| 上陸失敗
250:名無し三等兵
10/12/10 18:31:01
>秀次軍・伊達軍
> 宴会中
おいw
251:名無し三等兵
10/12/10 21:48:48
山海関攻略に失敗し、敗走した伊達政宗は追い詰められていた。
度重なる失敗に日本本土より秀吉の「打首」「閉門」「取り潰し」の声が聞こえつつあったのだ。
正宗は中華鎮定軍総大将にして豊臣家2代目当主豊臣秀次に許しをこうべく、窮余の一手を打つのだった。
後に山海関の宴として日本・中国史に残る一大ペテンである。
252:名無し三等兵
10/12/10 23:35:44 fg61wAdP
山海関など突破せずとも、水軍で直接、関内に着上陸すればいいだろ
問題は日本水軍が黄海を内海化できるかにかかってくるが。
253:名無し三等兵
10/12/11 01:33:02
まあ弱いから無理だけどな
254:名無し三等兵
10/12/11 03:25:02
そもそもまともに水軍が戦ったことがない気がするが何がどう弱いんだ?
255:名無し三等兵
10/12/11 08:52:38
船の数、船上戦に長けた兵
が圧倒的に足りないな
256:名無し三等兵
10/12/11 13:29:06
数は明らかに勝ってるな
ほとんど小型船なのが問題なだけで
257:名無し三等兵
10/12/11 13:39:39 w7eEbsra
【日韓】 壬辰倭乱で朝鮮のために戦った日本人武将の記念碑が和歌山県で建てられる [12/10]
スレリンク(news4plus板)l50
★日本が朝鮮のために戦った日本人武将の記念碑を建てた理由
壬辰倭乱(文禄・慶弔の役)当時、鳥銃部隊を率いて朝鮮に攻め込んだものの、
すぐに帰順して日本と戦った金忠善(キム・チュンソン)将軍の記念碑が日本に建てられた。
金将軍の日本名は沙也可だ。日本・自民党の二階俊博議員によると、
和歌山県の住民らが先月13日に紀州東照宮の境内に金将軍の記念碑を建立した。
和歌山県は二階議員の地元だ。紀州東照宮は壬辰倭乱以降断絶していた
朝鮮と日本の国交を回復するのに尽力した徳川家康をまつる神社だ。
金将軍は1592年に加藤清正の先鋒として鳥銃部隊を率いて壬辰倭乱に参戦した。
しかし戦争の名分がないと判断した金将軍は、1度も戦闘しないまま部下とともに
慶尚道兵馬節度使の朴晋(パク・ジン)に投降した。
その後壬辰倭乱と丙子胡乱などで手柄をあげ正二品正憲大夫に引き立てられた。
当時「金海金氏」の本貫を下され、現在韓国に住んでいる彼の子孫は7000人に達する。
記念碑建立は特定非営利活動法人の「和歌山の観光を考える百人委員会」が促進した。
先月13日に行われた除幕式には金将軍の14代子孫の金ジェソク氏と
金忠善研究会顧問のチェ・ジョンデ氏、二階議員、
金将軍の逸話を研究してきた神坂次郎氏、地域住民ら100人余りが出席した。
高さ1.5メートルの記念碑はアシアナ航空が寄贈した韓国産の陰城石で作られた。
記念碑前面と背面には韓国語と日本語で韓日両国の友好を望むという文が刻まれている。
ソース 中央日報 2010.12.10 10:22:58
URLリンク(japanese.joins.com)§code=A10
258:名無し三等兵
10/12/11 13:41:21 w7eEbsra
【和歌山】沙也可こと金忠善将軍の顕彰碑、紀州東照宮に建立[12/09]
スレリンク(news4plus板)l50
壬辰倭乱(文禄の役)当時、朝鮮に攻め込みながら朝鮮に帰化したとされる日本人武将・
沙也可(さやか)、朝鮮名・金忠善(キム・チュンソン)の顕彰碑が日本の和歌山県和歌山市・
紀州東照宮境内に建立された。和歌山が地元の自民党の二階俊博衆議院議員が9日、
聯合ニュースに伝えた。
顕彰碑は、日本のNPO法人「和歌山の観光を考える百人委員会」が、金忠善(沙也可)に
関する韓日国際シンポジウムを開催したのを記念し建立した。先月13日に現地で除幕式が
行われ、二階議員のほか、金忠善(沙也可)を小説で描いた作家の神坂次郎さん、金忠善
14代目子孫の金在錫(キム・ジェソク)さんら、韓日合わせ70人余りが参加した。
URLリンク(img.yonhapnews.co.kr)
インタビューに応じた二階俊博衆議院議員
顕彰碑の高さは1.5メートルで、アシアナ航空が寄贈した韓国産陰城石製。韓国語と
日本語で、神坂さんの文章と韓日友好を願う言葉が刻まれている。
金忠善(沙也可)は1592年の壬辰倭乱(文禄の役)で、加藤清正の先鋒として鉄砲隊を
率い朝鮮に渡ったが、この戦いには理由がないとして投降。朝鮮の武将として戦功を立て、
正2品の正憲大夫に取り立てられた。子孫は韓国全国に7000人余りいる。出自については
和歌山県出身などさまざまな説がある。
▲聯合ニュース日本語(2010/12/09 10:00)
URLリンク(japanese.yonhapnews.co.kr)
259:名無し三等兵
10/12/11 13:42:41 w7eEbsra
■聯合ニュース韓国語(2010/12/09 06:30)
日, ???? ??? ?? ?? ?? ??? ??
URLリンク(www.yonhapnews.co.kr)
URLリンク(img.yonhapnews.co.kr)
URLリンク(img.yonhapnews.co.kr)
260:名無し三等兵
10/12/11 13:51:27
>>258
紀州東照宮境内ってのが訳ワカメ。大阪の王仁公園化するのかね~
ま、和歌山県人って馬鹿なの?ってのが率直な感想だな。
261:名無し三等兵
10/12/11 14:15:21
だから沙也可って誰なんだよ
262:名無し三等兵
10/12/11 16:22:32
・朝鮮人の妄想
・倭寇が寝返った
・サヤカに発音が似た名前
・無名の人
・雑賀残党の一人
・名前がそもそも間違ってる
263:名無し三等兵
10/12/11 17:35:31
日本軍と一緒に戦った明の帰化人なら知ってるが
こりゃ創作だろ、降倭は普通にいたが有り得ん話だ(´・ω・`)
264:名無し三等兵
10/12/12 09:45:53
名のある将が敵に寝返ったのなら、日本側にもなんらかの記録がありそうなもんだが、それが何もない。
そもそも寝返った将の子孫であるはずの人たちが、日本での名前や出身地に関する言い伝えすら持ってない。
本当にそんな先祖が実在したのかどうかすら、あやしいと言えばあやしい話で、
日本でもよくある平家の落人部落や南朝の隠れ里みたいなもんじゃないかね。
265:名無し三等兵
10/12/12 17:18:17 cyaXaUKR
加藤清正配下で戦死したことになっている
家臣の中に該当しそうなのはいないの?
266:名無し三等兵
10/12/12 17:26:53
沙也可についてはプサン上陸後すぐ3000人の兵と降伏したと明らかな嘘から始まるからな
267:名無し三等兵
10/12/12 18:32:45
3000の兵かかえてる武将ってそれなりの大物じゃねえかw
その記録が一切のこってないというのは存在そのものがウソだな
268:名無し三等兵
10/12/12 18:59:50
重臣か小大名クラスの戦力だもんなぁ>3000
269:名無し三等兵
10/12/12 19:45:12
文禄の役の加藤清正が8000人なので、3000人といえば小大名というより
もう中堅クラスだな。石高では10万石前後というところか。
270:名無し三等兵
10/12/12 21:15:28
原田信種=沙也可説の信憑性ってどの程度なんだろう
271:名無し三等兵
10/12/12 21:33:44 lIzM6rrG
こじ付け
272:名無し三等兵
10/12/13 08:45:46
なんで朝鮮人の妄想にいちいち共鳴する日本人がいるのかね?
ほんとこいつらが要らん騒動を毎回醸し出す。
273:名無し三等兵
10/12/13 22:55:17
俺が読んだ本でさやかの事が書いてあって、司馬遼太郎が参考文献だったのには笑ったわ。
274:名無し三等兵
10/12/14 01:18:10
坂の上の雲をソースにする連中だからなぁw
275:名無し三等兵
10/12/15 21:09:27
やたらと降倭が強調されるが、実際のところ降倭の数なんて少数でたかがしれている。
それよりも、日本軍側に立って戦った朝鮮人の数は比較にならないほど多数に及ぶ。でもこっちは隠されることが多い。
276:名無し三等兵
10/12/16 00:09:52
どう考えても無能な支配者テンプレート・・・より酷い李王朝より大名の支配下のが楽だもんなぁ
どうやりゃあそこまで酷い施政を引けるのやら
277:名無し三等兵
10/12/16 00:32:47 En5rfnYU
秀吉は豊かな朝鮮の何が欲しかったんだろうね?
278:名無し三等兵
10/12/16 00:44:07
釣りにマジレスすると明への道
279:名無し三等兵
10/12/16 01:00:30
>>275
実際どんくらいいたわけよその日本軍側に立って戦った朝鮮人の数ってのは
女真族を攻撃したときの話とか個々の話じゃなくて全体の話ね
280:名無し三等兵
10/12/16 01:22:20
>>279
漢城に集結した日本軍のおよそ1/4は朝鮮人だな。
281:名無し三等兵
10/12/16 08:38:27
実は日本に期待してた朝鮮人も少なからずいた
戦うとなるとそう多くはいないけどね
282:名無し三等兵
10/12/16 10:03:41 En5rfnYU
あれ、陶芸かなんかで、朝鮮役時に日本に渡ってきた人の子孫がいなかったっけ?
283:名無し三等兵
10/12/16 17:42:21
朝鮮に憧れた大名が無理やり陶工を拉致して連れ帰ったんだろ。
284:名無し三等兵
10/12/16 17:49:20
子孫の陶工は、韓国の取材レポーターに同胞認定されて、オレは日本人だ!と
切れてたけどな。(・∀・)
285:名無し三等兵
10/12/16 18:07:51
職人を馬鹿にする風習のある貧困国家と、職人を尊敬し高級で雇う大国のどっちに住みたいかは自明の理だな
ましてや国民や愛国なんて概念がなかった時代
286:名無し三等兵
10/12/16 22:43:53
我が民族が一丸となって豊臣秀吉の邪まな野望を打ち砕いた歴史的戦争に裏切り者がでてはいけないんだよォ!
287:名無し三等兵
10/12/16 23:49:17 Tg8WdaHg
>>286
打ち砕いた……? 砕かれたものなんてあったっけ?
288:名無し三等兵
10/12/17 00:51:26
朝鮮民族の自尊心はいつも現実の前に砕かれます
289:名無し三等兵
10/12/17 00:59:31
だが何度でも蘇るから問題ない
290:名無し三等兵
10/12/17 04:12:54
>>287
秀頼の天下は砕けたと思う。
他にも要因はあるけど。
291:名無し三等兵
10/12/17 12:22:22
秀頼は関係ないぞ
可愛いから離れたくないって言うのは関係してるが、それだけだ
292:名無し三等兵
10/12/17 14:25:12
内政に力を入れてたらってこと。
293:名無し三等兵
10/12/17 18:03:32
内政の問題じゃないし
あの時期の秀吉じゃ下手にいじると悪化させるのがオチだべ・・・
294:名無し三等兵
10/12/17 19:44:36
豊臣政権は朝鮮侵略の失敗によって崩壊したんだな。
295:名無し三等兵
10/12/17 20:06:10
朝鮮出兵の失敗との因果関係ってなんぞ?
ろくな損害もでてないし、戦費は有り余ってるし
296:名無し三等兵
10/12/17 20:42:35 2/SrFjS7
秀吉直属の家臣団の分裂を招いたことだろう。
297:名無し三等兵
10/12/18 00:03:50
唐入りと崩壊は関係ないでしょ
298:名無し三等兵
10/12/18 00:41:21
ありゃ秀次粛清が原因だろ
一回体制整えた物を自分で壊しちゃったんだから
299:名無し三等兵
10/12/18 00:49:50
家康も秀次が粛清された時点で天下取りの青写真が見えてきたんだろうね。
秀吉の生前はネコ被ってたけど。
300:名無し三等兵
10/12/18 01:11:36
>>298
秀長早世も誤算だったろうけど、ただでさえ少ない一門衆を粛正しちゃまずいよな。
あと秀秋も豊臣姓を名乗らせて分家にしとけばよかったのよ。
まぁ、秀頼かわいさでさっぱり先が見えてなかったんだろうが。
301:名無し三等兵
10/12/18 05:44:59
>>300
一門衆の粛清が問題というより、移譲した有能な政権中枢幹部毎まとめて粛清しちゃったのが・・・
302:名無し三等兵
10/12/18 06:41:21 gNReqoJt
って、ことは朝鮮兵の強弱に関わらず、秀次粛清で日本側は遅かれ早かれ自滅する運命だったってことだね。
303:名無し三等兵
10/12/18 07:14:09
豊臣天下のままでもすぐ引き上げただろうからあんまり関係ない
秀吉以外誰も興味ないし
304:名無し三等兵
10/12/18 12:53:53
>>215
規制食らったので遅レス
城番制は例えば諏訪原城の様に東三河衆が交代で行ってたりしており譜代限定とは言いにくい
城持衆はまた別のものだし
後、小池進などは大番は伏見城などの交代制から大番役との類似でその名が付き、秀忠が
将軍就任の為に上洛したときの「当代記」の記事以前には大番の名は見られないとしているが、
それは間違いで「慶長記」にしっかり大番の名がある
ちなみに煎本増夫は武田氏の軍制に「大番六備」があり、そこから大番の名が付いたのでは
としている
305:名無し三等兵
10/12/18 14:40:14
秀吉が生きていようが、敗戦は明らかだったからな。
早々に崩壊したと思う。
306:名無し三等兵
10/12/18 15:05:30
膠着状態で崩壊する要因がないが・・・
日本側は補給も届くし(というか届く場所までしか進んでない)、増援はまだいるし、豊臣家はまだまだ戦費もある。
むしろあのまま長期にわたり戦争が続いた場合余裕の無くなった明が引き上げる可能性のが高い。
もっとも、誰もかれもやる気がないので朝鮮全土占領しても明征服令をのらりくらりかわした挙句、秀吉が死んだ瞬間に撤収するとおもうが。
307:名無し三等兵
10/12/20 03:49:44
日本に勝算は無かったが、秀吉がおっ死んだので戦争は終わった。
308:名無し三等兵
10/12/20 05:20:03 tA7+tqo2
統治を含めた勝算はないな
一向宗の僧なんかを使えば可能かも知れないけど
309:名無し三等兵
10/12/20 09:24:33
といっても敗戦続きの明側に勝算があるようにも見えんがな。
310:名無し三等兵
10/12/20 19:56:05
日本軍に攻め立てられれば必ず敗走
攻めてみると毎回打ち崩せずに援軍到着
日本軍の隙を突いた・・・ような気がしてもあっという間に穴を塞がれて結局負ける
補給は来ないし、敵の城を一個も落とせない
こんな状況じゃ士気もあがらんべ。
止めが絶対優位の筈の撤退戦で水軍が陸上部隊相手に海戦で壊滅
島津が強かったのか明水軍が弱かったのか・・・
311:名無し三等兵
10/12/20 20:51:23
明の副将に朝鮮の大将、その他将軍が大勢討たれれば
統制は出来ず、士気も下がり、そりゃやられるわ
312:名無し三等兵
10/12/20 20:53:50
まぁ、相手が弱かったんでしょう
313:名無し三等兵
10/12/20 23:09:28 rawdoeb+
鬼上官、鬼石蔓子、あとなんだっけ?
314:名無し三等兵
10/12/20 23:24:11
大馬鹿の秀吉の末路を見た真の天下人家康公は
及ばざるは過ぎたるより勝れり
と遺訓を残して泰平の世を築いた
東照宮の眠り猫は猫さえも眠っていられる悠久の天下を祈願したものである
315:名無し三等兵
10/12/20 23:41:44
太平洋戦争になだれ込む末路を見るに、秀吉の外征論が正しく
徳川の鎖国が間違っていた事が分かるわけだな
316:名無し三等兵
10/12/20 23:46:42
秀吉恩顧武将とか言うが、小姓組等以外は別に恩なんか無いんだよな。
信長が死んでから薄汚い策略で天下を盗んだだけだしな。
こういう野心だけの成り上がり屑ってのは結局世の中に混乱をもたらすんだよ。
周囲にこういう奴がいたら早めに芽をつみ取ってしまうが吉。
317:名無し三等兵
10/12/20 23:51:20
おっと朱元璋の悪口はそこまでだ
318:名無し三等兵
10/12/21 01:23:35
成り上がりの人は人間不信に陥りやすいからね
319:名無し三等兵
10/12/21 09:38:07
成り上がり屑の秀吉の妄想から侵略が起こったからな。
国内統治に専念した朱元璋の方がはるかにマシだと思う。
320:名無し三等兵
10/12/21 10:48:27
おっと誇大妄想から日本にむやみに攻め込ませて壊滅したフビライと忠烈王、世宗の悪口はそこまでだ。
321:名無し三等兵
10/12/21 17:59:00
フビライは自分の力を高く見積もり過ぎた挙句、DQNそのものの挑発的な国書を寄越すというアホを晒したからな・・・
漢人のだれか止めなかったのか・・・
322:名無し三等兵
10/12/21 22:55:20
蒙古襲来って朝鮮出兵で言えば、釜山で朝鮮軍に上陸阻止されて
2ヶ月海の上で漂っているところで台風って感じだろ。情けなさすぎる。
323:名無し三等兵
10/12/21 23:06:03
それは侍として生きていけない程の汚点になるなw
武士最強とか口が裂けても言えそうにない
324:名無し三等兵
10/12/23 01:10:57
>>322
そう考えると急にフビライが雑魚な気がしてくる
325:名無し三等兵
10/12/23 01:50:48
アレキサンダー「奴は我々4天王の中でも一番の小物」
326:名無し三等兵
10/12/23 05:30:05
変な頭してる上に弱いとか度し難い武士(笑)
327:名無し三等兵
10/12/23 12:57:31
いくら支那・朝鮮(笑)より強いからって、当たり前過ぎて何の自慢にもならんよな。
328:名無し三等兵
10/12/24 23:05:20
>>325
後の二人は誰なんだ?w
329:名無し三等兵
10/12/24 23:09:36
<丶`∀´> もちろん広開土大王と世宗大王ニダ
330:名無し三等兵
10/12/25 00:05:51
どちらも日本人をコテンパンに叩き潰したところは共通点があるな。
331:↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
10/12/25 00:12:39
幸せ回路作動中
332:名無し三等兵
10/12/25 00:59:29 HWwdfeAB
このスレも日本人の幸せ回路みたいなものだろ
333:名無し三等兵
10/12/25 16:53:32
幸せ回路ではなく客観的事実ですがなにか
334:名無し三等兵
10/12/27 00:29:00
好太王碑とか展開が一切不明なのにコテンパンとかよく断言できるな。そもそも最初の戦い?では戦闘に至ってすらないのに。
朝鮮では対馬の弱小豪族に蹂躙され日本に平謝りする事を叩きのめしたと言うのかもしれないが・・・
335:名無し三等兵
10/12/27 02:16:34
なにせ戦局を全く好転させることができなかった李舜臣が「救国の英雄」
として持ち上げる国だからなぁ。
336:名無し三等兵
10/12/27 02:41:17
訂正
なにせ戦局を全く好転させることができなかった李舜臣を「救国の英雄」
として持ち上げる国だからなぁ。
337:名無し三等兵
10/12/27 16:43:39
ソースは忘れたけど、海の(実際には陸海問わず)英雄のいなかった朝鮮出身の兵士の指揮高揚の為に、
一番マシな戦績で当の朝鮮人にも忘れられてた李舜臣を東郷提督が苦心して発掘したって逸話があるらしいからね
338:名無し三等兵
10/12/27 18:39:04
東郷はそんな暇じゃねぇよw
探したのは総督府の下級の役人か、雇われ朝鮮人だろう。
339:名無し三等兵
10/12/27 23:29:54
それ以前に日本も明治以前にまともな海の英雄がいないじゃん。
日本では発掘すらできなかったんだなw
340:名無し三等兵
10/12/27 23:45:25
別に日本は英雄に困らないから、わざわざ海まで探しに行く必要性がそもそもないって言う。
341:名無し三等兵
10/12/28 00:04:21 XLnYfhUv
日本の海の英雄と言えば、源義経だろ
342:名無し三等兵
10/12/28 00:14:08
撤退戦だからさほど評価されてないが島津の中央突破、明・朝鮮首脳陣皆殺しは何ら戦果を上げられなかった李よりも余程名提督と呼ばれるに相応しいんじゃないか?
ただ水軍ですらない上に、日本じゃ弱い方という問題ががががが
343:名無し三等兵
10/12/28 02:54:20
李舜臣自身は有能な人物だと思うがその才能を発揮したのが当時技術ではのごく沿岸部でしか使えない水軍という
微妙な分野だったのが残念な点だな結局当時の戦争は陸で勝てなきゃなんにもならん
344:名無し三等兵
10/12/28 03:09:19
まぁ、李舜臣はフツーに良将(朝鮮レベルでは名将)だと思うが、23戦23勝とか
世界4大提督の一人とか喧伝するのでかえって胡散臭くなってるな。w
しかし、実際には釜山を一回攻めたことはあるもののあっけなく敗退してる李舜臣が、
日本側の補給路を遮断して戦局を左右したという巷説はいいかげんどうにかならん
ものかね。
345:名無し三等兵
10/12/28 03:14:09
>>343
李舜臣も陸で戦ったら、あっけなく敗死してる可能性が高いと思うが。
李舜臣は鳴梁以外は日本側の数倍の戦力で戦ってるからね。
346:名無し三等兵
10/12/28 18:02:04
他の朝鮮人じゃそれでも敗走するから、まぁ朝鮮の基準では名将だろうねぇ・・・戦果といい末路といい世界的には愚将だが・・・
347:名無し三等兵
10/12/29 19:50:37
なんで朝鮮で最も優れた将軍だった李舜臣は朝鮮出兵最後の明らかに優位な戦いで死んだの?
功を焦ったとか?
348:名無し三等兵
10/12/29 20:56:55
>>347
まぁ、南ウリナラでの聖将扱いとは裏腹に、実際には出世欲が大分強かったみたいだから、
やはり欲をかきすぎたんだろうな。
講和がなったのに主戦論を唱えて小西勢の封鎖を続けたものの、救援に来た島津勢基幹の
日本船団を迎え撃つことになり、さらにはその島津勢が順天の小西勢とは異なり予想外に
精強で戦意旺盛なもんで押しまくられて、本来は軍監として朝鮮水軍につけられたのであろう
鄧子龍を乱戦の中で死なせてしまった以上、もはや自分が生き延びても失脚確定だし、
あとはもう死ぬしかないでしょ、ってカンジ?
349:名無し三等兵
10/12/29 23:05:22
日本の火縄銃はそんなに評判が良くなかったらしい。
趙士禎が『神器譜』(1598年から1603年以降にかけて成立)を執筆する。
それによれば?密銃(ろみつ)銃(オスマン帝国の銃)を第一等に推し、ついで西洋銃(ポルトガル銃)をあげている。
350:名無し三等兵
10/12/29 23:21:03
ネトウヨがよく話題にするオスマン帝国に鉄砲を輸出していたという話は本当なの?
351:名無し三等兵
10/12/29 23:45:30
>>349
『神器譜』っつーのは、日本の火縄銃に対抗できる兵器を探し求めて書かれてる訳なんだが。w
最近出た『東アジアの兵器革命』(久芳崇/吉川弘文館)が良著なんで読んでみ。
352:名無し三等兵
10/12/30 07:42:43
戦国末期での鉄砲数は
353:名無し三等兵
10/12/30 07:50:19
皆さんも知っての通り、日本が一番
オスマンに輸出とは知らないが、日本で作られた鉄砲が輸出されていた事は確か
日本で鉄砲が高く売れると分かった商人達は、鉄砲を多く仕入れたが
再び日本に来る頃には鉄砲が大量にあり驚いたって話がある
んで作り過ぎて要らない分を輸出したと
354:名無し三等兵
10/12/30 13:26:16
「へうげもの」は良かったなあ
「恩賞が欲しければ朝鮮を死守してりゃいいじゃん」
まさに至言w
355:名無し三等兵
10/12/30 17:08:03
ろみつ銃ってどんな銃?
356:名無し三等兵
10/12/31 16:41:01 sdIKgAbe
当時の日本が火薬を生産できなかったって本当?
だとしたら、どういうマジックがあったのやら…
357:名無し三等兵
10/12/31 17:12:23
国内だと硝石の製造が半端なく手間暇がかかったらしい
ただ、大阪の陣が終わった頃には火薬の大量需要がなくなったから、
せいぜい鉄砲衆の頭とか猟師が使う分が行き渡るには国産だけで十分だったとかなんとか
358:名無し三等兵
10/12/31 17:48:07
硝石輸入した
359:名無し三等兵
10/12/31 22:30:46
硝石ってハーバー・ボッシュ法ができるまでは大規模な天然の鉱山って
チリぐらいにしか無かったんじゃなかったっけ?
360:名無し三等兵
11/01/01 05:30:42
>>356
国内生産はできた。
でも消費が多くなったから各大名は確保に苦労している。
硝石の輸入は一部大名にとって有力な補充手段。
361:名無し三等兵
11/01/01 13:23:02
まあ材料が屎尿ですから
362:名無し三等兵
11/01/01 16:18:07
白川郷での生産量が毎年約2tで、天草の乱において大坂まで急送した話が、当時の文献に残されている。
戦国時代が続いており、本気になって取り組んでいれば、土硝法でもかなりの量を確保できたかも知れない。
ただし白川郷の場合、
①“結”と呼ばれる強固で抑圧的な総合扶助組織があった。
②その扶助組織の本に特有の合掌造り集落が成立し、家内工業的な養蚕とそれによる“蚕の糞”入手できた。
背景があるから、戦国から安土桃山時代にかけて、他の地域でも同じことが出来たと断言するのは微妙だが。
363:名無し三等兵
11/01/01 16:19:47
あと需要が逼迫してくると、弾の鉛もタイから輸入していたらしい。
364:名無し三等兵
11/01/06 02:39:40 r55u7pKL
丁酉再乱で再び我が国を侵略した倭国は
罪のない我が国の人民を大量に拉致し倭国に奴隷として送った。
この倭国の犯した犯罪行為は世界史に類を見ない卑劣な蛮行であり、
このような蛮行を行った倭国が拉致問題などを持ち出して
我が国に言いがかりをつける権利などあるはずがない。
本当に我が国と和解がしたいのならば跪いて謝罪するのが道理である。
このような中、優秀な我が民族は李舜臣提督のもと鳴梁海戦で
世界最初の鉄甲船である亀甲船を用いて果敢に戦い
倭水軍を殲滅し、世界史に燦然と輝く大勝利により制海権を掌握した。
これにより倭国の愚劣なる野望は打ち砕かれ、倭賊は倭城に閉じこもることしかできなくなった。
だがこれも優秀な我が民族の火砲の攻撃により、倭城は次々と陥落し
倭国の犯したこの犯罪戦争は、我が民族の優秀性を証明する大勝利となって終結した。
365:名無し三等兵
11/01/06 02:48:12
はいはい面白い面白い
次
366:名無し三等兵
11/01/06 02:52:35 y+sPCqcP
秀吉遠征で日本へ引連れられて来た朝鮮人はもう日本に400年以上も住み暮らして。日本人の中でも名門だよね。
367:名無し三等兵
11/01/06 14:01:50
そんなこと言ったら平安時代に渡来した唐人は超名門ですがな
368:名無し三等兵
11/01/06 17:22:20
>>364
>倭賊は倭城に閉じこもることしかできなくなった。
倭城なんて言い方は当時無かった。
倭巣窟とか倭土窟と言え!
369:名無し三等兵
11/01/06 23:54:00
>>364
>だがこれも優秀な我が民族の火砲の攻撃により、倭城は次々と陥落し
どこの倭城が陥落したんだ?
370:名無し三等兵
11/01/07 00:27:10
朝鮮人の脳内
371:名無し三等兵
11/01/07 12:57:34 5qBW/N2o
>>368
順天倭城及び蔚山倭城で倭軍を撃滅した。
順天市公式ホームページ
URLリンク(japanese.suncheon.go.kr)
>権慄が導く陸軍 3 万 6 千 , ジンリン , 李舜臣が導く水軍 1 万 5 千兵力が 倭城を始じめ 島 などを行き交って 倭軍を撃滅した.
長編記録映画『月下の侵略者』
URLリンク(www.alpha-net.ne.jp)
>蔚山倭城では、倭軍が全滅。
>>370
良心的日本人も認めていることだ。
別冊歴史読本『合戦絵巻・合戦図屏風』朝鮮軍陣図屏風
文 杉山 巖(東京大学大学院博士課程)
>また豊臣軍が築いた「倭城」も次第に陥落したため、同年秀吉の死を契機に日本軍は撤退した。
372:名無し三等兵
11/01/07 13:07:08 5qBW/N2o
韓国国定教科書に書かれている正しい歴史認識
URLリンク(members.tripod.com)
>3年間にわたった会談は決裂し、再び倭軍は侵入してきれた。これ対して朝鮮軍と明軍は倭軍が北上するのを稷稜山で防ぎ、南方へ撃退した。このとき李舜臣は倭軍を嶋梁へ誘導して一大反撃を加え、大勝利をおさめた。
>陸地と海で再び惨敗を喫した倭軍は、次第に戦意を喪失して敗走しはじめた。朝鮮水軍は逃走する倭船数百隻を露梁の沖でさえぎり、最後の一撃を加えた。李舜臣はこの最後の戦闘で壮烈な戦死をとげた。露梁大勝を最後に7年間にわたった戦乱は終わりを告げた。
>倭乱でわれわれが勝利をおさめることができたのは、わが民族がもっていた潜在的力量がすぐれていたためである。
>わが民族は身分の貴賎や男女老若を問わず、文化的な優越感に満たされて自発的な戦闘意識をもっていた。こうした精神力が国防能力に作用して倭軍を撃退させることができる力になった。
>そして東アジアの文化的後進国であった日本は、朝鮮から活字、書籍、絵画、陶磁器などの文化財を略奪し、多くの技術者と学者等を拉致していった。これとともに朝鮮の性理学も伝えられ、日本の文化発展に大きな影響を及ぼした。
韓日両国は、この正しい歴史認識を共有しなければ、両国の歴史和解は達成されず、日本はアジアで孤立し続ける。
373:名無し三等兵
11/01/07 13:28:41
実際日本は敗戦したんだしな。
朝鮮民族の底力を味合わされたな。
374:名無し三等兵
11/01/07 16:09:30
ヘタクソな釣りだなw
375:名無し三等兵
11/01/07 17:55:36
>>372
うわー、スゴいな韓国
これじゃ「学問」じゃないよプロパガンダじゃないか
かわいそうに。こんな劣悪な教育しか受けさせてもらえないのか
376:名無し三等兵
11/01/07 18:19:53
歴史的事実としては露梁海戦で明朝鮮水軍を殲滅し海峡を突破して小西行長を救援してるんだけどね
あの国は間違った知識が常識になってるんだな
377:名無し三等兵
11/01/07 19:53:30
自分の気に入らない史書は捏造ニダで済ませる連中だからな
好太王碑なんて憎きイルボンに勝った誇らしい証拠でもあるのに、「日本に支配されていたのが気に入らない」から捏造だと根拠レスに主張してたし
378:名無し三等兵
11/01/07 19:57:23
秀吉の朝鮮征伐より資料が山ほど残ってる第二次大戦の記録すら自尊心の為に捏造してる国だからなぁ>ウリナラ
379:名無し三等兵
11/01/07 20:14:19
そりゃ、クローン細胞も捏造するわ
380:名無し三等兵
11/01/08 10:13:12
秀吉が米寿まで健康だったら勝てたな。
撤退の2年後には日本全土で天下分け目の大勝負してるくらいだし。
国内兵力で足りないなら海外から傭兵雇うとか、大型高速の帆走戦艦を買うとか、
秀吉の黄金を持ってすればいくらでも打つ手はあるし、
米寿まで元気だったら秀頼を十分育成する時間はあったろう。
明の消耗が史実よりよほど酷くなろうから、遼東半島上陸作戦とかもできたかも。
381:名無し三等兵
11/01/08 12:38:42
あの調子で米寿まで生きてたら、五大老含むほとんどの大名が切腹させられて統治階級が壊滅します・゚・(つД`)・゚・
382:名無し三等兵
11/01/08 15:44:29
誅殺されるのは家康くらいのもんだろ。
戦死する大名は何名かでるかもしれんが。
383:名無し三等兵
11/01/08 16:01:23
>>382
家康の狸ぶりは相当だからなぁ。
どうなんだろう?
信用していたような気もする。
ただ、秀頼のこと頼みまくり・・・。
家康は狸というより、自分の立場がよくわかっていて、それに忠実で最大限の努力をしてるだけかも。
秀吉が死んだ時の立場に忠実な行動は天下取りだからな。
五大老と五奉行の権限は逆にしておくべきだったとは思うけど、実施出来たかなぁ。
384:名無し三等兵
11/01/08 16:55:20
>>382
秀次切腹の時点でもうヤバい感じだろ
多分、計算で家康のみとかできるアタマじゃなくなってる
アルツハイマーか錯乱か、いずれにせよ疑心暗鬼でスターリンみたいになってたかと
>>383
家康は信用できないと思ってたからこそ、自分の寿命が尽きる時に、もう神頼みな感じで
「お願いします殺さんといて子供を」という意味での「おひろいをお頼み申す」だろ
あるいはもうダメだとあきらめたかもしれんな
385:名無し三等兵
11/01/08 17:10:33
>>384
信用できないけど、謀略で殺す決断ができない程度だったんじゃろ。
踏ん切りがつかなかった。老いたな藤吉郎。
ボケ老人に決断ができない事を攻めても仕方がないが。
386:名無し三等兵
11/01/08 17:39:20
信長は天下取り目前の状況で、譜代の功臣を次々と粛正あるいは追放して行った
それで光秀にやられたのを秀吉は見てたから、その辺慎重になったんだろう
そうこうしてる間にボケちゃって、間違えて秀次と行政官吏を粛清しちゃった、と
387:名無し三等兵
11/01/08 17:47:02
単に秀頼体制を磐石にしたかったんだろ?
それで世間崩壊させてりゃ世話ないが
388:名無し三等兵
11/01/08 18:02:24
>>376
>歴史的事実としては露梁海戦で明朝鮮水軍を殲滅し海峡を突破して小西行長を救援してるんだけどね
>あの国は間違った知識が常識になってるんだな
概ね当たってるけど少し違うよ
事実は悠々と日本船団が凱旋帰国する際に明・朝鮮水軍が停戦を破って背後から襲撃してきた
結果韓国の英雄とやらの首を取って敵船団を殲滅したというのが正解
389:名無し三等兵
11/01/08 20:19:19
>>388
>概ね当たってるけど少し違うよ
>事実は悠々と日本船団が凱旋帰国する際に明・朝鮮水軍が停戦を破って背後から襲撃してきた
>結果韓国の英雄とやらの首を取って敵船団を殲滅したというのが正解
正解どころか全く違うな。今日日のゆとりはこんなモンなのかね~
事実は、いったん停戦交渉を成立させて撤退しようとした順天の小西軍を、李舜臣の横槍で心変わりした
陳?率いる明・朝鮮水軍が海上封鎖。そしてそれを知って救援に向かった島津勢基幹の日本左軍による
急造水軍と待ち伏せ迎撃した明・朝鮮水軍との間に起こったのが露梁海戦。
日本側の撤退で戦闘は終結したが、明・朝鮮水軍も被害甚大。特に陸同様先鋒を命じられた鮮水軍は
戦闘開始前の潜伏地まで押し戻されてズタボロ、主将の李舜臣は島津兵の一斉射撃を受けて戦死。
ただし李舜臣の遺体は陸に戻ってる。
この海戦に関しては、輸送船団を背後から襲ったとか李舜臣は魚のエサとか、どうもnayukiあたりが
元ネタと思われる誤知識を鵜呑みにして披露しているアホ多し。 (・∀・)
390:389
11/01/08 20:27:55
おっと脱字。
× 陸同様先鋒を命じられた鮮水軍は
○ 陸同様先鋒を命じられた朝鮮水軍は
あと書き忘れたけど、小西軍は封鎖が解けた隙に南海島北側の戦闘海域を避け
島の南側を大きく迂回して脱出。
小西が挟撃すれば明・朝鮮水軍を殲滅するのも不可能ではなかっただろうが、
長らく包囲下にあったから、もうそれだけの戦意は残ってなかったんだろうね。
391:名無し三等兵
11/01/09 00:42:51
敵の援軍や伏兵を警戒したんじゃないか?
392:名無し三等兵
11/01/09 04:50:47
>>391
戦闘の銃砲声を聞いて、順天から露梁方面へ早船を出して状況を
概ね把握した上で脱出しているので、やはり戦意はなかったものと思われ。
まぁ、陸戦だと籠城しているところに援軍が来たら、城内からも呼応して
打って出るというのが定石なんじゃね?とも思うが。
しかし露梁海戦は、順天の窮状を見過ごせないとして別に指揮命令関係に
あるわけでもないのに自発的に救援に向かった日本側の島津始めの
諸将は名誉を重んじ義侠心に厚いよな、と思わせるいいエピソード。
特に第2次晋州城戦あたりの明・朝鮮側の対応と比べるとね。
393:名無し三等兵
11/01/09 05:53:42
>>392
やはり、十分に勝算があったからこそってのもあるだろね>>救援
明朝鮮は、日本が強過ぎて救援に言っても焼け石に水だと知ってたんだろうし、小出しにしていったことが結果的に軍の早期崩壊を先延ばしにでき、太閤の病死という僥倖をえた
394:名無し三等兵
11/01/09 08:46:28
>>389
それも全く違うな、他人をアホ呼ばわりして間違うのが一番恥ずかしい
事実は一斉射撃の後も李舜臣は生きており日本水軍を押し返す
その後戦況が日本水軍に不利になり日本先鋒島津主力が逆に観音浦に押し込められ多数が座礁
李舜臣はそれを追っかけ南海島を攻めようとしたが陸側からの正確な射撃により死亡
日本の海戦不利、陸地を頼れば有利をこの戦争も逸脱していない
日本水軍は小西の脱出を情報として得たわけでもないのに、部下を見捨て逃走、航路を制される
のち救出に動くが明朝鮮水軍の合間を縫ったコソコソとしたもの
朝鮮水軍の被害が多いのは明朝鮮水軍の揚陸侵攻作戦が唯一成功している戦いだから
小西行長は明朝鮮が優勢だったため背後をつけなかったと考えるのが普通だな
陳リンは戦果を盛り信用に値しないものもあるが南海島の敗残兵狩りは状況からみてあったとみていい
395:名無し三等兵
11/01/09 09:16:40
ちょっとまて全部キムチ史観じゃんそれw
396:名無し三等兵
11/01/09 09:44:17
>>390
それは一切合切を満載した
戦闘用の艦隊じゃないから。
397:名無し三等兵
11/01/09 10:04:28
>>394
どこの史料にそんなことが書いてあるの?
明史の露梁海戦で、李舜臣は明将の陳リンの命令で一緒に出動した明のトウ子龍が窮地に陥ったところへ救援に行って更にやられるという最後を迎えている。
398:< `∀´ >
11/01/09 10:14:09
李舜臣の役割は補給路攻撃・Uボートみたいなもんだろ。
正規軍と艦隊決戦する力も度胸も無い、後方撹乱テロゲリラ
399:名無し三等兵
11/01/09 10:30:27
実際にはそんな役目すら果たさず、逃げまわってただけだけどな
400:名無し三等兵
11/01/09 10:40:33
こらこら、あんなでも救国の英雄なんだから、あんまりけなすんじゃないよ
逃げ回ってたんじゃなくて、転進を続けていたんだよ
401:名無し三等兵
11/01/09 10:49:03
出来る範囲で出来ることをやり続けた良将
402:名無し三等兵
11/01/09 11:37:59
いや、それ普通の将だから
突撃玉砕厨しかいない大戦期の日本軍がおかしいだけだから
403:名無し三等兵
11/01/09 13:05:25
>>402
パラオ、硫黄島を代表例に、陣地構築とド根性の持久防御で、装備と弾薬で圧倒的に優越する米軍を苦しめ続けたぞ
突撃玉砕は最後の最後、弾薬が尽きた段階での話だから
つか、そんなことも知らんのになぜ軍板に・・・?
404:名無し三等兵
11/01/09 13:50:50
>>403
その前に水際防衛で散々ボッコボコにされたのは無視ですかそうですか
405:名無し三等兵
11/01/09 16:00:24
水際防衛でいつ突撃したんだよw
406:名無し三等兵
11/01/09 16:05:21
>>401
あの不毛のウリナラで、とりあえず艦艇群を維持しておいただけでも大したもんだよ
陸戦見るに、人材だって無きに等しかったろうに、普通の将なら初期段階で通常戦闘を複数回試みるうちに包囲殲滅、ってのがオチだ
「朝鮮にまだ水軍が残ってる」と日本に意識させるだけでも、十分プレッシャーにはなるからな
それにしてもホントに、愚連隊の群れだなウリナラ軍・・・あれでマトモなことやれって、そりゃカワイソウッてもんよ
407:名無し三等兵
11/01/09 16:05:26
403にレスしただけで、そもそも島嶼戦の話はしてないぞ
408:名無し三等兵
11/01/09 16:57:53
>>394
時系列も戦場地理も滅茶苦茶だぞ。(・∀・) 観音浦は主戦場の露梁海峡より
西だということをサッパリ理解していないのが実に痛いな。
>>396
要素としてあるかもしれんが、それは島津他の救援軍も同じだからなぁ。
409:名無し三等兵
11/01/09 20:51:06
>>372
ぶっちゃけ、「民族の優越」ばかりを連呼してて、客観的な、学問としての視点がほとんどなく、方向性は違えどマルクス主義者と同じにおいがして大変キモいのだが、
仲間内でそんなこと言うと糾弾されてしまうので2ちゃんで本音を吐く在日のオレですw
みんなゴメンw
410:名無し三等兵
11/01/09 23:11:03
中国と日本の押し競饅頭に5000年も挟まれてれば精神も歪むわなぁ
411:名無し三等兵
11/01/10 14:14:48 u8cIDxJq
皇太子の結婚記念日は縁起でもない日だった
URLリンク(s1.shard.jp)
豊臣秀吉が催した醍醐の花見の宴が行われた日だった。
412:名無し三等兵
11/01/11 18:51:18
李舜臣がどの時点で死亡したかははっきりしてはいない。
だが明水軍が南下し挟撃に移るまでは指揮を執っている。
その後から海戦終了時までの期間の内いつ死んだかが不明なだけ。
>>394はまだ分からないが>>389は明確に間違いだな。
ん?これも同一人物なのかな。
この海戦は当初から明・朝鮮水軍が南北からの挟撃を考えていた。
そのため戦地は初めから海峡ではなくそこを抜けた広い西の海域。
つまり時系列も戦場地理も滅茶苦茶なのはむしろ>>408
大体「突破」という言葉が勘違いを生む。「突破」とすれば
・なぜ樺山は小西に伝令を送らないのか?
・なぜ後続部隊は撤退することになったのか?
・なぜ樺山達は船を失うことになったのか?
という疑問を持ってしまう。「突破」よりも「敵水軍に攻撃に絡め取られた」の方がまだ適当だろう。
そもそもこの戦争を日本の勝ちにしてしまう無理がある
・小西から連絡もなく家来も座礁したのになぜ日本水軍は退却したか?
・なぜ樺山は観音浦から移動しなければならなかったか?
・なぜ堂々と船団で救出してやらなかったのか?
・なぜ少数の船を往復させて救出する方法を取らなければならなかったか?
・なぜ小西は遠回りの迂回をして逃走したのか?
矛盾だらけだ。
明朝鮮水軍の勝ちとした方が整合性がある
順天和城を再封鎖しに行かなかったのは単に島津の方がネームバリューが高かったから
日本水軍はおとりになって島津敗北をプレゼントしに行ったわけだ
413:名無し三等兵
11/01/11 19:26:38
>>384
そういう面も含めての「健康」と言ったつもりなんだけどね。
秀吉の言動の異常については尿毒症だったという説もある。
秀吉が心身ともに健康なら、秀次には秀頼誕生により後継者から外されたお詫びの意味もこめて、
徳川幕府で言う御三家か制外の御家のような形で大大名として存続させたろう。
414:名無し三等兵
11/01/11 19:31:25
>>412
包囲に失敗した挙句に指揮官皆殺しでどこに勝った要素があるんだ?
415:名無し三等兵
11/01/11 20:15:12
>>412
妄想と想像で得々と語ってもな~
国会図書館のライブラリで日本戦史タダで読めるんだからさ。
その地図や史料くらいちゃんと確認しろよw
露梁海戦要図
URLリンク(kindai.ndl.go.jp)
中央近く、舟形2つが記されているのが観音浦な。主戦場の海峡口の遙か南西だよな。
李舜臣ノ戦死
URLリンク(kindai.ndl.go.jp)
朝鮮の同時代史料(乱中雑録)に”賊兵殊死血戦、勢不能支、乃退入観音浦”
日本勢の勢いを支えきれず、朝鮮水軍は観音補に退き入ったとしっかり記されて
いるわけだ。
島津本隊と海峡口で戦ったのは明水軍で、朝鮮水軍は島津先鋒に追い散らされたということが
よくわかるわな。
416:名無し三等兵
11/01/11 20:24:04
>>412
どうやって戦闘中に相手が島津だって理解すんだよ?
417:名無し三等兵
11/01/11 23:05:53
(キュピーン)
イ・スイシン「この感じ・・・島津か!」
418:名無し三等兵
11/01/12 00:21:38
>>417
こらこら、オレの赤い彗星をキムチ臭くするんじゃない
キムチが赤いのとこれとは話が別だ!
しかし、勝ち負けはその戦闘における戦略目標達成の可否で考えないと。
日本側の意図は小西隊の撤退支援、明側はその阻止が目標なわけだから、そこから考えると「日本の負け」とはどうしたって言えないような・・・
しかも、なんか長々と高説ぶってくれたのに、結局戦場地理間違ってるわけ?
朝鮮征伐全体で捉えるなら、戦略目標達成できなかった日本の負けと考えるのは妥当だと思うけどな。ベトナムのアメリカと一緒だ
ベトナムのアメリカの死者5万、ベトナムの死者300万以上。だけど戦略目標達成できなかったんだからあれはアメリカの負けで正しいわけだ
419:名無し三等兵
11/01/12 01:08:21
朝鮮の防衛成功を持って戦争自体を明の勝ちというならまだしも
日本軍が作戦目的を100%果たし、一方朝鮮軍は作戦が完全に失敗したのみならず首脳陣がほぼ全滅した露梁海戦を明側の勝ちというのは
明恥ずかしすぎるだろ。まぁ戦果の捏造とかしてる時点で恥知らずだが
420:名無し三等兵
11/01/12 01:17:32
>>419
おっと、台湾沖航空戦の捏造を握りつぶした我が帝国海軍首脳部の悪口はそこまでだ
421:名無し三等兵
11/01/12 01:18:12
>>420
違った、「実際の戦果を握りつぶし」だったスマソwwww
422:名無し三等兵
11/01/12 01:58:38
なんで急に台湾沖航空戦が出てくるか意味がわからんが
現地部隊の無線報告通りの戦果のどこに首脳部が絡んでくるのか詳しく
423:名無し三等兵
11/01/12 05:15:51
>>422
マジで知らんのか?
1.無線報告を最初そのまま奏上し、陛下からお褒めいただいて祝賀パーティー開催
2.一方参謀本部では、「パイロットの技量と考えあわせ、これほどの戦果が出るものなのか?」といぶかり、再度、帰還した搭乗員に対する聞き取り調査を実施。どうやら戦果はさほど無かった模様と結論
3.壊滅させたはずのアメリカ艦隊が南下しているのを偵察機が発見
4.戦勝会が盛大に行われ、今更言い出せないと上層部は正確な戦果を報告せず。
5.国民、幻の大戦果に大喜び。アメリカの株は暴落し、海軍長官が「日本の発表はデタラメ」と声明を出して沈静化
6.陸軍、アメリカ艦隊壊滅したものとして作戦変更。ルソン島での迎撃方針をレイテ島での決戦に変更し、レイテ島への移動中にアメリカ艦隊によって撃破。
以上、リクエストにお答えし詳しく述べてみた
ウソの戦果発表で国民をだますのは、古今東西どの国家でも行うこと。ウソの戦果発表で軍がだまされたのは、有史以来、日本軍のこの例のみ
事実をきちんとおさえることは自虐でもなんでもない。こういうのを軍板住民レベルなら知っておかないと、かつてウソを流し続けて学生をだまして来た左翼をまったく笑えない。是非、今後この知識を生かして欲しい。
424:名無し三等兵
11/01/12 16:16:14
>>416
†
425:名無し三等兵
11/01/12 17:19:34
>>423
間抜けと捏造は別の話だ
スレ違いの長文貼らんでも知ってる
426:名無し三等兵
11/01/12 23:25:10
>>424
それは島津十文字のつもり?
427:名無し三等兵
11/01/13 00:37:30
つまり島津はキリスト教徒だったんだよ!
428:名無し三等兵
11/01/13 01:02:57
鹿児島には今久留主(いまくるす)なんて姓があるから
案外関係あるかもしれん
表向きは轡だが
429:名無し三等兵
11/01/13 02:03:20
島津十字の起源は諸説あるらしいね
このサイトによる定説は昔からの御呪いが元というものだけど二匹の龍というのが島津氏自身の言い分らしい
元寇の時点ですでに使っていたそうなのでキリスト教由来の線は低いらしい
URLリンク(www2.harimaya.com)
430:名無し三等兵
11/01/13 02:30:17
どう見ても†だな
URLリンク(www2.harimaya.com)
431:名無し三等兵
11/01/13 10:13:39
元寇のころから島津家があったという事実にいまさら驚くオレ
432:名無し三等兵
11/01/13 14:44:13
頼朝の頃からあったぜ
433:名無し三等兵
11/01/13 14:59:02
結構な名家のわりにやることショボいのはなんなんだろうな
434:名無し三等兵
11/01/13 15:57:07
確か大名クラスの武家で鎌倉時代から江戸時代まで続いた家って、伊達、佐竹、島津くらいのモンだっけかな
高家や武将、旗本にまで範疇を広げればかなり増えるかも知れないけど、大名に限定すると意外と少ないね
435:名無し三等兵
11/01/13 16:12:30
細川、浅野、南部、山名、小笠原
436:名無し三等兵
11/01/13 16:19:03
上杉もそうじゃない?
437:名無し三等兵
11/01/13 16:32:00
毛利、相馬、有馬、三浦
438:名無し三等兵
11/01/13 17:04:48
武田はいつからだっけな
439:名無し三等兵
11/01/14 02:13:50
領地が変わらないのは島津だけ?
440:名無し三等兵
11/01/14 02:16:51
>>438
武田は戦国期にホロンびた
441:名無し三等兵
11/01/14 06:04:42
南部と相馬
442:名無し三等兵
11/01/14 08:32:00 DRbezo84
佐竹は一番古い名門だったと思ったけど?
たしか平安時代からじゃなかった?
443:名無し三等兵
11/01/14 08:33:11 DRbezo84
相馬もか。たしか将門の頃からだっけ
444:名無し三等兵
11/01/14 12:34:17
>>440
あ江戸時代までか
445:名無し三等兵
11/01/14 17:13:57
松浦
1069年から明治まで壱岐
446:名無し三等兵
11/01/14 17:16:08
清和より嵯峨のが古い
447:名無し三等兵
11/01/21 09:05:22 BrUB5CNB
豊臣秀吉は、朝鮮征伐の後、関東仕置と同じ措置をとるつもりだった。
かの折、徳川家康に関東、織田信雄に東海地方への移封を命じたように、
遠方にして不毛の僻地、朝鮮半島への移封を命じるつもりだったのだ。
関東仕置の際、家康は移封に従ったが、信雄は逆らって改易されている。
家康が朝鮮転封の命に逆らえばその時点で改易または討伐の口実になる。
秀吉からすれば、自身の存命中に、禍根である徳川家を潰す好機である。
448:名無し三等兵
11/01/22 01:53:32 xC75KaZZ
信雄が転封に応じて家康の旧領引き継いでたら歴史は違ったな。
449:名無し三等兵
11/01/22 06:28:57
考えると、明治に作られた家康裏切り者イメージって、秀吉も大恩ある信長の一族を有楽斎以外はほぼ無力化してるからあまり変わらんレベルだよな
450:名無し三等兵
11/01/22 17:33:25
徳川家康がそもそも明治時代に裏切り者のイメージが創られたという根拠は?
当時(明治42年)、雑誌の「全世界英雄番附」で東洋の歴史上の人物の人気
アンケート投票の結果、徳川家康は3位にランクされてるけど?
負のイメージが創られてたら3位は有り得ない。
1 豊臣秀吉
2 チンギスハン
3 徳川家康
4 西郷隆盛
5 北条時宗
6 始皇帝
7 諸葛孔明
8 源頼朝
9 伊達政宗
10 織田信長
451:名無し三等兵
11/01/22 17:47:52
訂正
雑誌の「全世界英雄番附」→雑誌に「全世界英雄番附」という項目で
452:名無し三等兵
11/01/22 18:48:28
>>450
信長が10位で頼朝より下か
しかも北条時宗、西郷隆盛が上位に来てて意外だ
しかし、全世界なのに東アジア人しか無いのな
453:名無し三等兵
11/01/22 20:02:41
東洋編と西洋編で分かれてる。
454:名無し三等兵
11/01/22 20:54:26
>>452
信長が大きく評価されたのは昭和からだと思ったし、
戦前なら元寇はラッキーで勝てたなんてウソを吹き込まれておらず、
純粋な実力で勝ったっていう事実がちゃんと教えられてたから、
この明治期のアンケ内容はおかしくないと思う
455:名無し三等兵
11/01/30 21:21:22
元寇はモンゴルの判断力が低すぎるしなぁ
事前の外交の失敗といい、2回目で何も学んでなかったところといい
456:名無し三等兵
11/01/30 21:31:25
ベトナムでもベトコンのゲリラ戦法でボコられてるし、元軍って、たまたま戦った相手が弱いとこだらけだったってんじゃあ・・・
457:名無し三等兵
11/01/31 22:12:42
あれだけ広大な地方を制覇したんだから弱くはないだろう
どうも情報戦にあまりにも弱すぎるようだが
458:名無し三等兵
11/02/01 01:50:47
天に愛される大モンゴル帝国皇帝の俺様が日本の王に手紙を贈るぜ。
俺が思うに、チンケな国はご機嫌伺いに来るもんだよな?
ましてや俺様は世界の支配者だぜ!
遠くの国でも俺様を恐れてる位だ。
俺が皇帝になった頃、雑魚の朝鮮人共を踏み潰し属国にしてやったぜ。
それはてめぇらも知ってると思うけどよ。
お前ら、昔から中国に朝貢に来てたよな?
なんで俺の所には来ねぇんだよ?
てめぇは世界情勢が理解できてないのか?
仕方ねぇから手紙だしてやった。
俺の子分にならねぇなら、攻めこんでやるぜ?
せいぜい自分の立場をよく考えるんだな!
(注 原文とは多少異なる場合があります)
この手紙を阿呆みたいな常備兵力抱えた軍事国家に送りつけるどうなるでしょうか?
459:名無し三等兵
11/02/01 03:18:16
しかし、あれだけの常備兵力抱えてたら、並の国家なら軍事費で財政がパンクして潰れるところだが、やはり宮廷とか後宮とかアホなもん抱えてなけりゃなんとかなるもんなのかな?
460:名無し三等兵
11/02/01 07:37:36
維持費は自己資金だから。
当時の武家は長男総取り的な相続じゃなかったせいで火の車
だから戦後の褒賞要求に必死になった。その混乱が後の政権崩壊の引き金になってる。
461:名無し三等兵
11/02/01 10:25:06
戦後の褒賞要求が引き金になったという割には、元寇で活躍した主力の九州武士
たちは鎌倉幕府の滅亡時大人しく、元寇にほとんど関係のない関東武士や畿内の
悪党が大暴れだったのはなぜだろう?
462:名無し三等兵
11/02/01 11:40:03
>>461
そこなんだよオレが不思議なのは
はじめは、「2回の元寇で元は国を傾かせたが、日本の鎌倉幕府と時間差はあったが刺し違えたといえる」と思ってたんだが
で、最近気付いたんだが、元は元寇からほどなくして明に追い出されてるよな?
これ、寒冷化の影響で中国での作物収穫が落ち込み、モンゴル高原で遊牧民が飢えちゃって軍事力が維持できなかったのが原因らしい
で、この寒冷化は世界的に起きていて、カイロで雪が降ったり、テムズ川が凍ったり、収穫が落ちて人間の体力が落ち、ペストで1/3減らされてんだよな
これが日本に起きなかったはずは無いと思うんだ
463:名無し三等兵
11/02/01 22:07:07
>>458
素晴らしく平和友好的な内容ですね!
黙殺した鎌倉幕府は外交政策の失敗を犯ましたね。
464:名無し三等兵
11/02/01 22:20:26
リアルにそれを言い出しかねないあたり自称平和主義者は怖い
鳩山とか
465:名無し三等兵
11/02/02 18:29:59
>>463
どっからどう読んでも脅迫じゃねーかw
こんなクソ脅迫を正面から蹴飛ばして、軍事でも正面から蹴飛ばした鎌倉幕府はまともな仕事してるよ
466:名無し三等兵
11/02/02 19:40:35
朝貢=属国と勘違いしてた・・・って事はないな、実質独立国みたいな朝貢国あるし
467:名無し三等兵
11/02/02 20:10:56
>>466
朝貢=属国であってるよ
臣従姿勢とるわけだから
それを嫌がってベトナムは反乱起こして、ベトコン殺法でモンゴルを撃退した
468:名無し三等兵
11/02/02 21:54:46
>>467
形式的に属国ということにしてもらってる国と本物の属国の話ね
というか朝貢じゃなくて過剰な物資供出じゃね?
469:名無し三等兵
11/02/03 00:51:03
>>466
1. 高麗みたいな目にあわないと言う保証はどこにも無いこと
2. 御家人が忠誠を誓っているのは鎌倉殿であり、幕府としてはミカドの他の何ものにも臣従するわけにはいかなかったこと
3. 質素倹約質実剛健の軍人集団であり、一戦もせずに服従する必要は全く無かったこと(事実、2度目の元寇の前にフビライは再度使者をよこしている。一度目で見事に撃退していた日本はまったく動じることはなかった)
470:名無し三等兵
11/02/03 00:58:46
>>469
モンゴル側の話な
471:名無し三等兵
11/02/03 01:07:33
元が要求してきたのは日本が属国になること
書状の中で元は高麗との関係を「君臣」の関係とか「藩国」とか言ってんのよ
すなわち高麗は属国って意味ね
その上で日本も同様になれと促してる訳でね・・・
それを単に「通商を求めてきただけ」とが言うのは捏造歪曲の類
最近の一部の学者やマスゴミはリアルに>>463のようにしたがってる訳で呆れるわ・・・
ついでに三別抄をやたらと強調して「日本は韓国のおかげで助かった!」
みたいなニュアンスを漂わせる。
本当のところ高麗王朝は攻めてきた側で、三別抄はその反乱軍に過ぎないんだけどね
他にも高麗がわざと船を沈みやすく作ってくれたから嵐が来たとき元軍が壊滅した
「やっぱ日本は韓国のおかげで助かった!」みたいな・・・w
このあたりの状況は文禄慶長の役の捏造歪曲と相通じるものがあるわな
472:名無し三等兵
11/02/03 01:39:32
>>471
そんなひどい捏造、マジで信じてるマスコミはないだろさすがに
473:名無し三等兵
11/02/03 03:38:16
13
474:名無し三等兵
11/02/03 10:37:30
>>472
知恵袋とか見てみると結構この手の捏造が流布してる印象受けるなぁ。
NHKの前やってた「日本と朝鮮半島」とかいうクソ番組も元寇の勝利は
「三別抄のおかげ」と強調しまくってて歴史に政治思想思い切り注入
してる感じが露骨だったし。
日本と朝鮮半島
URLリンク(www.youtube.com)
475:名無し三等兵
11/02/03 18:27:27
し か た が な い じ ゃ な い 朝 鮮 人 だ も の
やるお
金玉握られた売国奴と朝鮮人と本物の馬鹿しか居ないから日本がこんなにグダグダになったわけで
476:名無し三等兵
11/02/05 20:08:07 OXctHQgK
元冦の話はともかくとして、
朝鮮役は義軍の働きで
撤退せざるをえなくなったということでFA?
477:名無し三等兵
11/02/05 22:03:14
義軍の力は小さかったね
やはり明軍の力で押し戻したってのが正解
478:名無し三等兵
11/02/05 22:49:58
義軍って結局、訓練も受けてない下級貴族が私兵率いて好き勝手やってただけだから大して役に立つとは思えないな
日本側の文献でまともに触れられてないし
479:名無し三等兵
11/02/06 03:13:17
秀吉が長命で日明講和が成立し朝鮮南部3道が割譲されていたらその後の歴史はどうなったのかな?
480:名無し三等兵
11/02/06 09:59:40
謝罪汁!賠償汁!の大合唱だろ
現実と変わらんなw
481:名無し三等兵
11/02/06 11:01:04
南北分断は日本のせいニダ
482:名無し三等兵
11/02/06 11:02:05
>>481
あれ、当時の大統領が言ってたもんなあ
ひっくり返ったわ
483:名無し三等兵
11/02/06 11:06:16
>>479
日明清が3すくみになったおかげで
意外と明の寿命が延びるかもしれない
484:名無し三等兵
11/02/06 11:19:38
明「朝鮮半島やるから助けて」
日「どーれ」
485:名無し三等兵
11/02/06 11:35:07
明は属国なんて助けるから滅びたんだよ
早々に娘を秀頼に嫁がせていれば助かった
486:名無し三等兵
11/02/06 12:24:14
>>485
自分のとこの将軍が反乱するまでは予想できても、まさか裏切って女真族と組むとは思わんじゃないの
487:名無し三等兵
11/02/06 13:03:54
秀吉はリアリストだから南朝鮮を割譲で獲たら大国の明とは交易で実利を得て台湾やルソンやシャムや馬来やジャワに進出したんじゃない?
釜山港は直轄領、忠清北道全羅道に伊達、慶尚道忠清南道に徳川、済州島に小西や高山らキリシアン大名を移封したら国内は安定する。
まあ伊達や徳川が抵抗したら滅ぼす大義名分になるし一石二鳥。
488:名無し三等兵
11/02/06 13:29:36
>>487
>秀吉はリアリスト
それが天竺まで行くってかw
489:名無し三等兵
11/02/06 13:33:21
貿易大国の日本になってたら経済面でも基礎技術の面でも充実してるだろうけど
帝国主義の時代とか開国してる分苦労しそうだな
490:名無し三等兵
11/02/06 13:39:55
台湾は良いとして、フィリピンとか東南アジアに行きたい大名が何処にいるんだ
自分ならそんなとこに領地貰っても行きたくないわ
491:名無し三等兵
11/02/06 13:40:16
>>486
こ れ は ひ ど い
>自分のとこの将軍が反乱するまでは予想できても、まさか裏切って女真族と組むとは思わんじゃないの
李自成も呉三桂も当て嵌まらない
492:名無し三等兵
11/02/06 14:20:59 uZCgGmjw
>>490
単純に3毛作出来る東南アジアは石高だけみたらウハウハ
南蛮交易を押さえられるし山田みたいにシャムに骨を埋める武将いるくらいだし
493:名無し三等兵
11/02/06 18:38:59 y2BtKsGV
秀吉が当初はインドまで征服しようとしてたというのは史実?
どうもうそ臭いような。
そりゃいけるとこまでいってやると思ってたかも知らんが本当にインドまで?
朝鮮南部を領有しようとしてたのは確実だが、
インドとなると秀吉が一代で征服できる相手じゃないわ。
494:名無し三等兵
11/02/06 18:54:37
>>493
単なる物の喩えっしょ。当時の世界観としては、日本・唐・天竺の三国ってのが
慣用句としてのセットだから。 (朝鮮は含まれていないのがポイントだね)
495:名無し三等兵
11/02/06 20:08:04
>>494
明の統治プランをぶち上げるなど本気の様である
正気とは思えんが
496:名無し三等兵
11/02/06 20:21:33
>>495
具体的でないからプラントは言えない。
結論、秀吉のプロパガンダ。
497:名無し三等兵
11/02/06 22:24:46
当時実戦経験があり長期遠征が可能な兵力は世界的に見ても日本と明が百万でダントツ
遠洋航海術とガレオン船さえコピー出来れば明を征服できたら世界制覇は一代でも可能
ルソン→ジャワ→ゴア→カラチ→ジブチ→アレキサンドリア→ローマ→マドリッド世界制覇達成
498:名無し三等兵
11/02/06 22:59:06
無理だろ
現地勢力を取り込みながら進軍しないといけないのに
499:名無し三等兵
11/02/07 02:19:33
>>498
数十万の軍勢いてもマヤもインカも数百馬と数千の兵力で短期間で壊滅
異文化間の戦闘などそんなもの
500:名無し三等兵
11/02/07 02:28:20
>>493
朝鮮南部の領有なんて最初は考えてない
明に攻め込むから通行させろと言った
あの半島が不毛の地だということはやはり知っていたようだ
501:名無し三等兵
11/02/07 07:50:49
>>499
無茶苦茶特殊な戦闘じゃねーかw
そんなもん参考に戦争おっぱじめたら確実に負けるわw
502:名無し三等兵
11/02/07 09:11:57
そもそも最初から各大名の戦意が最低だったから仕方ない
戦国期において要求された兵士数に対する水増し申告が一番酷かったと言われるのが、この朝鮮征伐だし
朝鮮て聞いただけで萎える時代だったんだろうなw
あと「朝鮮にもののふ無し」って言ってるから、情報としてチョンがヘナチョコなのが判ってたってのも間違いない
当時の絵巻物には手甲脛当て以外の武具は一切身につけずに衣服のみwで両刀を携えて進軍する様子が描かれてる
ようするにジャージ着て戦争みたいなノリ
これら以外にもチョンが弱かったって記述は各家中家人文献に見られるのでガチ
「そんな必要もないくらいのほったて小屋なのに、火を放って山中に逃げ込んだままなので戦にならない」
「(現地の伝染病にかかって)昏睡状態にある奴の寝首を掻くような卑劣な獣のような輩しかいない」
こういうのがチョン評価
しかも半島には梅毒なんかもあったから「こんな場所からは一刻も早く帰りたいってみんな言ってるよ」的な記述が多数
おもしろいエピソードだと、明が出ばってくる前の暇な時期に流行った虎狩りに纏わる話
加藤か島津か失念、家中の某(姓は判明してたかも)が見回り中に虎に襲われたんだけど、
子猫みたいに振る舞ったり、じゃらしたりして眠った隙に逃げてきたって話
もう背中なんかボロボロで涙ながらに上記の説明をしたんだとw
同輩からは「お前スゲーな!www」って一躍ヒーロー
「お前の話おもしろかったから褒美を取らすwこのラッキーガイめ!w」って何か貰えたらしい
>>498
組織、個々共に戦力レベルが違い過ぎる
戦闘だけなら余裕、事実そうだったわけで
この後、倭兵と聞いただけで戦意喪失って書かれてるし
いまでいうところの完璧なPTSD
何しろ明兵には経験したことなかった戦闘なんだから
四指が飛ばされてミトンみたいになってる手とか、そんなのまだましで
肘から先、膝から下が綺麗になくなってる多数の負傷兵なんてのを連中初めて見せられたんだぜ
拷問で見たことのある奴はいても戦闘では無かったろうな
そりゃあパニくるわ
503:名無し三等兵
11/02/07 13:16:55
槍と鉄砲で指斬り飛ばすわけ?
504:名無し三等兵
11/02/07 13:29:29 BpCOhYU3
まあシナの武器って基本的に打撲系だから
日本みたいに日本刀がスパッて斬れるのは初めて
あと鉄砲がむちゃくちゃ多い
多分世界中のマスケット銃の半分は日本にあっただろな
505:名無し三等兵
11/02/07 16:30:31
日本刀みたいな「斬る」事に特化した刀剣類は世界でもまれだもんね
平均的な刀剣類は「叩き割る」とか「裂く」って感じの効果だし
でもまあ硬い甲冑にもある程度有効で多少は刃こぼれしてもなんとかなるから、
実は後者の刀剣類の方が戦場では信頼性や耐久性で好まれるんだけどね
506:名無し三等兵
11/02/07 16:36:42
>>505
実験では銃弾すら歯こぼれなく斬れる日本刀は斬る突く分には信頼性高い
ただ大量生産しずらく血糊で4、5人斬れば斬れなくなる
507:名無し三等兵
11/02/07 17:03:52
>>506
そこんところが剃刀刃の泣き所だね。だから実際にスペアの刀を複数本携帯してた武者も多いし、
剣豪将軍で有名な足利義輝も、襲撃された時に複数の抜き身の刀を近くの畳に刺してスペアとしてたし
整備性の悪さや使いにくさ込みでもなお殺傷力の高い刀を愛用し、
雑兵クラスの兵でも訓練に余念が無かった武士の執念には恐れ入る
508:名無し三等兵
11/02/07 17:16:18
>>507
槍使った方がよかったんじゃないのか?>>よしてるさん
509:名無し三等兵
11/02/07 19:12:48
>>508
槍や戈は雑兵の武器で武士は基本的によしとしない
510:名無し三等兵
11/02/07 19:25:08
槍働き、7本槍、朱槍
刀で斬りこむとか自殺志願者だけだろ
511:名無し三等兵
11/02/07 19:46:39
部屋の中で槍は使いにくいんじゃないか?
512:名無し三等兵
11/02/07 20:05:59
>>509
日本丸や蜻蛉切を雑兵が持つのか
超豪華装備だな日本の足軽
513:名無し三等兵
11/02/07 22:31:24
>>512
足軽大将なら日本刀だろな
長槍組、薙刀組、弓組、鉄砲組の基本足軽4組
514:名無し三等兵
11/02/08 00:20:04
足軽大将なら好きな武装使うんじゃね?
・・・・薙刀隊?
515:名無し三等兵
11/02/08 02:04:39
>>512>>513
槍は上から下まで全員持ってる基本装備
取り回し難い接近戦になれば普通に太刀が使われた
護身用の飾りなんて珍説が流布しだしたのは最近の話
というよりも明らかにチョンとインチキ親韓学者が日本をディスる目的で盛んに広めてる
当時の戦いにおける作法みたいなことは、そうした指南書の中に記してある
足軽大将クラスの武将には専任の槍持ちが居たし、それで一塩付けたらまた槍持ちに戻すなんてことを本当にしてた
この後、太刀で切り付けて傷を負わせた敵なんかには衛星みたいに付き従う共の者が脇差で首を掻切った
また戻り鐘の音がして陣地に帰るまでは決して下馬はしない、これ基本
なのでこうした偉い兜首の人は基本的に命を落とすことは希
ただし、武功を常とする者や立身出世を狙う輩には戦闘中絶えず的にされた
しかもそうした奴が「ウオーッ!~殿と御見受け致す!いざ参る!」ってな感じで来たら、逃げるのも背中を見せるのも御法度
絶対に本人が一塩付けなきゃならないから超大変
実際これを繰り返されて取られる人もいたわけ
だからこそ当時、平八郎伝説とかを疑ったりディスったりする奴は皆無
敵味方、目の当たりにした人もいる中で異論の類が残されてないってのは、実は結構信用度の高いものだってこともそこから判る
516:名無し三等兵
11/02/08 02:12:11
|∀・).。oO( 一荒れしそうだなw
517:名無し三等兵
11/02/08 03:21:38
先ずは鉄砲や長弓による遠距離戦
その後騎馬突撃や歩兵集団戦は長槍による横隊突撃が基本
乱戦になれば長槍より取り回しが利く太刀の出番
取っ組み合いの格闘戦には脇差しの出番
518:名無し三等兵
11/02/08 03:24:03
日本は負けたでOK?
519:名無し三等兵
11/02/08 03:25:53
うん、みっともないくらいの惨敗でOK
520:名無し三等兵
11/02/08 03:56:47
朝鮮征伐
太閤の寿命に助けられた明、日本の足軽の足袋から唐辛子に目覚めた朝鮮料理
明はバカ朝鮮救けに行かなければ国を失うことも無かった
日本の兵站から見て不毛な朝鮮経由だと精々北京が最大進出点
おそらく北京手前の山海関万里の長城を抜くことは出来ない
明は開封当たりに大本営を構えて向かい会えばいいだけ
521:名無し三等兵
11/02/08 04:23:42
なんかネトウヨが火病ってるな
522:名無し三等兵
11/02/08 06:01:35
>>499
日本人は何もせずに現地人をバタバタと大量に感染死させて社会を混乱させる病原体と自身を守る抗体を持っていないのでミリ。
523:名無し三等兵
11/02/08 07:24:56 7/zuBSEk
韓国海軍は日本や中国など周辺国の安全保障上の脅威に対処するため、
4,000トン級の原子力推進潜水艦(SSX)数隻を2012年以降に実戦配備する方案を、
秘密裏に且つ積極的に推進している事が判明した
URLリンク(www6.atwiki.jp)
524:名無し三等兵
11/02/08 12:27:44
>>520
しかし支那王朝としては冊封体制をやってる以上は、
たとえどんな無能でも子分を見捨てる選択肢は選びたくても選べないだろうし、
日本の大陸進出の意図が明確な以上はわざわざ自国領の開封まで引かずとも、
他国の狭い半島で封じ込めに専念した方が楽な気がする
525:名無し三等兵
11/02/08 14:17:27
太閤秀吉が家康くらい長生きしたか、秀頼が産まれず秀次がちゃんと豊家政権を引き継げてたら朝鮮征伐はどうなったかな?
あと5年くらい半島で合戦してたらチョン人はほぼ絶滅か満州に移住してるんじゃないかと思う。
日本は徳川上杉伊達を主力とする東国軍団が無傷で後詰めしてるし、海戦の勝利で海上補給線も安定してるから太閤秀吉の寿命以外に撤退理由がない。
ただ大国明も長期派兵だと兵站の不安はあるものの国力から見て継戦能力は当時世界一だと思う。
また、日本軍の攻勢にも前線で無理に支えずナポレオン戦争や二次大戦のロシアの様に縦深陣地を構えて水原、漢城、開城、平壌と策源地を後退させながら迎撃戦を行えばよく、最悪は鴨緑江まで下がれば戦線は立て直せる。
故に戦争は朝鮮半島を舞台に長期化するだろな。
526:名無し三等兵
11/02/08 14:51:34
明に長期戦は厳しいだろう
対して日本まだまだ余力を残してる状態
豊臣がその気になれば、その莫大な金をもって緒大名を支援して更に動員をかける事も可能
527:名無し三等兵
11/02/08 14:59:38
>>523
秘密裏w
528:名無し三等兵
11/02/08 15:10:05
>>526
交戦中は兵糧消費は高くなる果たして日本軍の長期継戦は可能か?
15万の兵力を渡洋攻撃させるなど近代戦でもかなり難しい
17世紀にそんなこと出来たのすら信じかたい
元寇の様に海岸線に張り付き船舶を拠点にするのですら最高でも数ヶ月が限界
529:名無し三等兵
11/02/08 15:34:15
現地での徴収・収奪・略奪も補給の内でしょ
530:名無し三等兵
11/02/08 15:34:17
明は兵站線の概念でなく長征のための物資集積を行い遠征し物資が枯渇すれば本国に撤退する戦略
当初兵站線を無視し進撃した日本軍には明軍は有効だったが、
朝鮮南岸に陣地を築き物資集積した日本軍にはなすすべなく撤退せざるを得ない
531:名無し三等兵
11/02/08 16:03:33
九州関東と大軍を動員した実績はあるが、確かに兵糧は厳しいかもしれん
それに元寇は攻めに来たは良いが、海岸線を維持するのがやっとで、そこを拠点にするしか無かったんだよ
進展も見られず最終的に撤退してるしね
532:名無し三等兵
11/02/08 17:18:34 Q70Xc7AJ
>>529
不毛の半島が抗日に一番貢献したのかw
533:名無し三等兵
11/02/08 17:30:14
豊臣政権は朝鮮水軍を殲滅し大明水軍だけになった慶長戦役では朝鮮南岸から内陸部へ5里置に城塞を築いて相互支援させながら進軍する計画。
534:名無し三等兵
11/02/08 19:59:44
>>532
まあ実際そうだろうな
大名からしたら貰っても嬉しくない土地だし
535:名無し三等兵
11/02/08 20:00:53
>>533
>慶長戦役では朝鮮南岸から内陸部へ5里置に城塞を築いて相互支援させながら進軍する計画。
ソースは?
536:名無し三等兵
11/02/08 20:38:37
>>526
そういや、あんだけの大いくさやった割には、豊臣のカネ蔵は余裕だったな・・・
537:名無し三等兵
11/02/08 21:33:16
そりゃ、ツケは配下に回したからな
538:名無し三等兵
11/02/08 22:43:31
全部払ってもまだ金余りってぐらいあったけどな
539:名無し三等兵
11/02/09 00:11:47
>>537
封建制度だから戦費は元々各々持ち
戦地まで兵糧輸送など任務分担しただけ
負担が軽くなり昔よりマシ
540:名無し三等兵
11/02/09 03:08:15
>>525
それには明の側に武装や戦術においてのエポックメイキングでもない限り、攻めては大損害で撃退される予定調和の繰り返し
全滅するまでそんなことを繰り返すはずもなく、その前に内部分裂やクーデターが起こるわ
太閤の死によって救われたと自分達で自覚するほど痛めつけられていた中で継戦のifなんて当時の明には絶対ない
むしろ日本側というか、諸候にもう少し堪え性さえあったら明の土下座は確定してたよ
五大老の意見の一致をみれば、ちゃんと性根を入れた戦に変わったんだろうけどな
それこそ家康が真っ先に太閤様御前に勝利を捧げんとか言って、積極的な姿勢でも見せてれば皆本気出したはず
何しろ駿府殿残して国を空けた状態とか、秀吉から信任の厚い他の諸候からすればそっちの方が余程戦場
そうした個々の思惑含めた後願の憂いの中で、しかも他国で戦なんてやればあんな感じでグダグダにもなるわ
541:名無し三等兵
11/02/09 04:46:25
アホが名胡桃城攻めて北条攻めの口実あたえなければ秀吉は天皇から倫旨を受けて勅命として朝鮮征伐を前倒しで始めていただろう
諸大名の国力減衰を目的に伊達北条徳川毛利島津前田上杉の七大大名家を主力に渡洋攻撃をさせただろう
上手くすれば徳川や北条や伊達の領地の大部分を朝鮮や明に転封出来る
542:名無し三等兵
11/02/09 05:37:24
後金でも抜けなかった山海関どうやって抜くわけ?
543:名無し三等兵
11/02/09 05:53:07 ODHqP/e8
大砲がありますが、なにか?
544:名無し三等兵
11/02/09 11:15:56
大砲なら山海関の方が多いだろ
545:名無し三等兵
11/02/09 12:53:09
>>542
旅順から天津か威海衛か臨錙に九鬼 脇坂 加藤嘉等の水軍で上陸作戦を行い山海関はスルーパス
日本軍の補給線は名護屋→対馬→釜山→木浦→熊川→仁川→南浦→旅順
陸路より海路を進む方が兵站は楽だ
朝鮮南岸から西岸の諸海戦で明朝鮮連合水軍は壊滅している
陸路山海関に迫る頃には渤海黄海は日本水軍の庭だろう
546:名無し三等兵
11/02/10 08:00:04
史実で何でそれやんなかったの?
547:名無し三等兵
11/02/11 23:57:19
全羅道の制圧が出来なかったからムリポ
548:名無し三等兵
11/02/12 09:05:26
当時の山海関には西洋製ーーオランダだったかな?ーーの大砲があり、伝統的な騎馬軍の後金は苦戦した。
一方で日本には国内に30万丁もの鉄砲があり、わずかだが大砲の運用も始まり、火力では比すべくもない。
例えば一武将の石田三成は、関ヶ原の戦いにおいて、自軍6千人に3千丁の鉄砲と6門の大筒を配備してる。
それと日本の大鉄砲(抱え大筒)、特に50匁辺りから上の物は、国外ではふつう大砲として扱われる物だ。
30匁でも口径は2センチを越え、現在の感覚では、重量・用途・破壊力ともに対物(対戦車)ライフルに近い。
549:名無し三等兵
11/02/12 15:23:43
朝鮮に行ってた部隊は何丁の鉄砲と何門の大砲装備してたの?
550:名無し三等兵
11/02/12 17:44:54
おおよそ推測するに3万丁のマスケット銃は半島に持ち込んでいたと思われる
551:名無し三等兵
11/02/12 17:51:41
>>548
大砲はシナが本場だろ
552:名無し三等兵
11/02/13 04:02:56
意外なことに、明は世界的にも早い段階で大砲の量産化に着手しており、これはマウリッツにも負けてない。
ただし精度が低かった上、仏狼器(子母砲)だったらしく、実戦にはオランダの鋳造砲の方が重用された。
それと「当時30万丁」は多すぎだ、実際には関ヶ原の時点で6万丁だし、三成は領国に国友村があったから。
それでも半数が銃兵というのは、スペインのテルシオ以上の密度だし、6000人ならテルシオ二個連隊に相当する。
これが一国の王ではなく、一大勢力ですらない、嫌われ見下された一武将の戦力なんだから恐れいるよ。
553:名無し三等兵
11/02/13 04:36:11
>>552
一大勢力の家康は何丁?
554:名無し三等兵
11/02/13 08:30:49
八丁味噌
555:名無し三等兵
11/02/13 14:15:10
武士だけで30万丁は多過ぎるけど、農民兵も使う訳だし
結構な数が城に配備してあるんだろう
関ヶ原って言っても多くは自領に残ったりしてるし、それで6万丁ならまぁまぁだ
556:名無し三等兵
11/02/13 15:17:54
>>552
仏狼器ってカートリッジ式の大砲だっけ?
密閉技術の精度が低かったこの頃のカートリッジはエネルギーロスのデメリットが、
速射性のメリットを上回ってたんだよね
557:名無し三等兵
11/02/13 15:57:47
>>550
じゃあ30万じゃなくてMAXでも3万じゃん
558:名無し三等兵
11/02/13 17:31:07
その意味が分かって書いてるのか?
ヨーロッパ全ての鉄砲と、同じだけの数が半島に集まっていたんだが。
ちなみに、当時の世界で、鉄砲の半数は日本にあった計算になる。
559:名無し三等兵
11/02/14 07:56:10
日本30万(50%)
ヨーロッパ3万(5%)
あとの27万(45%)はどこ?
総数分らなきゃ計算出来ないはずだから、当然把握してるんでしょ?
560:名無し三等兵
11/02/14 12:16:31
1600年時
日本:推定60000丁
うち関ヶ原の戦いで50000丁を使用
ヨーロッパ諸国合計:推定30000丁
その他合計:30000丁
(内約:トルコ及びアラブ諸国、中国及び東南アジア、朝鮮、南米他)
なお戦国時代末期には、日本国内に30万丁とも50万丁有ったと言われているが、ソースも色々あって断言できない。
俺は少なめかつ、ほぼ確実な数字として「関ヶ原の戦いの時点で総数6万丁、うち合戦に使用されたのが5万丁」と書いている。
561:名無し三等兵
11/02/14 15:01:15
1543年:2丁
鉄砲伝来
1600年:6万丁
関ヶ原の戦
1615年:30万丁
大坂の役
562:名無し三等兵
11/02/14 19:05:13
夏の陣(1615)、多く見積もっても両軍で25万人だぞ
563:名無し三等兵
11/02/14 20:16:54
>>562
この時期は豊臣家の挙兵に誘発されて一揆が頻発したので、対策として結構いろんな大名が警備のために他地域に残置されていた。
その部隊に鉄砲が無いはずがないので、30万丁はいきすぎとしても28万丁はあったんじゃね?
564:名無し三等兵
11/02/14 20:58:34
これで何度目だよ?
俺は「妥当・確実なのは、1600年の6万丁。関ヶ原の戦いで使われたのが5万丁」
そう書いてるじゃん。
戦国末期に30万丁としたのは、もとは外国の学者じゃなかったかな?
ただ関ヶ原の戦いでも、全てが動員された訳ではない。当然、大坂の役でも国許に
残された分はあったと考えるのが妥当だろうな。
565:名無し三等兵
11/02/14 22:14:38
戦国末の日本には30万丁の鉄砲があって、それは世界の鉄砲の50%を占めた
って話自体はよく聞くんだが出典を詳しく教えてくれ
566:名無し三等兵
11/02/15 00:35:47 9O8z+Qkb
関ヶ原に集結していた兵力は日本全体の一部にすぎない
567:名無し三等兵
11/02/15 01:10:30
シリアルナンバーとかねーのかよ。
568:名無し三等兵
11/02/15 01:31:52
日本には6万丁あって関ヶ原で5万丁あったとか
全国で東西に別れ合戦をしてた、この戦いの総称を関ヶ原の戦いだと思ってるおばかさんなのかな
569:名無し三等兵
11/02/15 01:47:38
悪いが>>564の考えは 絶 対 に間違っていると 断 言 出来る
何度も言って、なんかおかしいとは思いませんか
570:名無し三等兵
11/02/15 12:40:05
>>565
もっと少なく150000とか逆に、500000とか1000000なんて意見もあるぞ?
571:名無し三等兵
11/02/15 13:55:30
戦国時代、種子島 堺 国友村の主要産地だけで月産1000丁は超えていた
鉄砲が高価な兵器から足軽働きの普通の武器に
また各地の刀鍛冶で簡単に量産化できた
572:名無し三等兵
11/02/15 14:58:06
火縄銃 - WikipediaURLリンク(yomi.mobi)
ここでは戦国末期に50万丁となっているね。
573:名無し三等兵
11/02/15 18:46:15
火力ならオスマントルコが当時の世界一じゃない?
大砲だけで数千門は持ってるし日本よりはるかに強そう。
574:名無し三等兵
11/02/15 20:42:36
幾ら数千門あったって、殆どは鉄の弾を飛ばすだけでしょう
野戦じゃ使い難く、攻城戦でしか役に立たない
榴弾がどれだけ普及してたかだね
575:名無し三等兵
11/02/15 23:14:19
>>574
そうなんだよ。大砲がいくらあっても攻城用兵器としてしか使えなかった、投石機の強力なヤツという位置づけだったのを理解できず、大砲たくさんある=スゲエと考えちゃう人は意外と多い
オレも小学生の時そうだったし
576:名無し三等兵
11/02/16 08:48:47
>>575
大砲の効果は戊辰戦争の頃が移行期で、
銃に取って代わったのは日露や一次大戦の頃だからな。
りゅう弾もそうだけど、それ以前に照準できなきゃダメでしょ。
577:名無し三等兵
11/02/16 12:13:46
歩兵隊列を組まなかった戦国時代の日本はともかく、ヨーロッパでは三十年戦争当時から、野砲の重要性が認識されてたよ。
そもそも導火線式の柘弾なら、三十年戦争でも使われているし、ただの一発弾や散弾でも、歩兵隊列には恐ろしい敵だ。
578:名無し三等兵
11/02/16 13:58:19
あと時代にもよるけれど「オスマン・トルコの大砲は数千門」って、馬鹿言っちゃいけないよ。
ナポレオン時代のフランスなら、74門艦2ダースにフリゲートを加えて、艦砲1000門には届くだろう。
ずっと小さく少なくなるけれど、野砲だってかなりの数だろうし、要塞砲ならサイズも負けない。
しかしオスマン・トルコに“ナポレオン時代のフランス+イギリス並み”の火砲なんてある訳ない。
そもそも数ではなく、一発当たりの破壊力を求めたのが、有名な“ウルバンの巨砲”だ。
当時は弾道学が未発達で、同一箇所に当てられなかったから、一発でも当たれば良いサイズにした訳だ。
579:名無し三等兵
11/02/16 14:30:19
200年の時代差があるナポレオン時代の英仏の軍備を熱く語られてもなw
580:名無し三等兵
11/02/16 14:56:04
ナポレオン時代だと、誰かが大砲を作らなくちゃいけない。
200年前なら、砂漠から大砲が、ニョキニョキ生えてきたのにな。