11/03/27 12:25:46.94
もうなんかイタリア空軍がすべての害悪に見えてきた
ろくに陸軍と共同作戦を取らない、陸海の予算をがっぽり持っていく
929:名無し三等兵
11/03/27 12:30:49.07
戦前戦中はまだしも、戦後30年以上たっても空母保有にいちゃもんつけてるんだよね>イタリア空軍
ドゥーチェが空中艦隊()笑とか言い出したから、図に乗っちゃったのか
930:名無し三等兵
11/03/27 16:16:25.98
ヘタリア人て何で生きてるの?
931:名無し三等兵
11/03/27 18:10:47.12
イタ~リア~!
932:名無し三等兵
11/03/27 20:07:37.97
【レース直後1分の馬上インタビューで被災者を気遣うデムーロは神】
インタビュー:
この勝利をどんな言葉で表現されますか?
デムーロ
信じられない、信じられないよ。
今朝からずっと、日本人被災者(注)のために熱心に祈りをささげてきたんだ(ここで男泣き)
それでもドバイワールドカップを勝つなんて信じられなかったでしょう。
信じられないよ。本当にありがとう。(イタリア語)
I love you, Japan.
(注)英語 Japanese who don't be there
直訳 日本にいない日本人
意訳 there=Japan つまり、日本にはもういない日本人=被災者の婉曲表現
表彰式でも喪章を掲げるデムーロ神の馬上インタビュー
→4分30秒から URLリンク(www.drf.com)
デムーロは神!!!!!!!!!!!!!
933:名無し三等兵
11/03/27 20:28:28.20
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
934:名無し三等兵
11/03/28 01:08:29.32
>>926
石油が湧かないんじゃなくて、備蓄そのものがないんだよ
艦隊を自由に動かせないくらいにな
>>929
戦前、少なくとも1930年代初頭には空母の設計自体は行われているし
その後も何回か近代的な空母設計含めて行われている
しかし空軍法やイタリア本土不沈空母論等といった存在によって
悉く否定されてしまった
まぁ、あったとしても燃料馬鹿食いする空母をちゃんと扱えていたかは疑問だが
ところで空軍法には1937年に制定されたという話と1923年に制定されたという二つの
二通りの話を読んだんだが、どっちが正しいの?
935:名無し三等兵
11/03/30 00:53:57.86
イタリア本土というか、シチリアが不沈空母に見えたのは分からんでもない
936:名無し三等兵
11/03/30 06:28:11.96
地中海の戦いで三野先生はタラント奇襲は海軍の怠惰だってあっさり切り捨ててるけど、本来本土防空は空軍の担当だろうに…
それに空軍の防空網がザルだったから度々敵機が侵入してきたんだろうしな
つか空軍は海軍の燃料まで掻っ攫って行きやがって…
937:名無し三等兵
11/03/30 09:18:40.53
イタリアの勝利の為、ヒトラー総統を輸入しましょう
938:名無し三等兵
11/03/30 09:44:27.44
海軍軽視、空軍重視の傾向は変わらないじゃないですか!
やだ──!
939:名無し三等兵
11/03/30 21:13:45.61
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
940:名無し三等兵
11/03/31 01:49:14.32
しかし華のある航空部隊、陸海軍より断然人気あるせいで空軍の悪口ってあんま見かけないね
941:名無し三等兵
11/03/31 08:27:00.58
それは何処の国でもそうではあるまいか
例外は…イギリス空軍?w
942:名無し三等兵
11/03/31 08:45:33.43
>>914
ベネデット・ブリンのところに、両方とも当時の火薬の不安定性によるものとか書いてあったとオモタ。
イタリアでは現在も公式にはオーストリアの破壊工作で犯人が裁判にかけられた事になってるとか。
943:名無し三等兵
11/03/31 17:17:03.03
つかオーストリア・ハンガリーとイタリア海軍の正面きっての艦隊決戦って見てみたかったなあ
両軍とも艦隊戦じゃなくて破壊工作で主力戦艦が沈んでいるのが何とも…
944:名無し三等兵
11/03/31 17:58:46.25
人間魚雷とか正攻法じゃなくて搦め手が好きだよな
945:名無し三等兵
11/03/31 20:12:30.48
>>940
陸海軍は歴史があるからエピソードも思うところもあるけど、空軍は新しいからじゃない?
946:名無し三等兵
11/03/31 20:14:37.91
ヘタリア人は生まれながらの敗者
947:名無し三等兵
11/04/01 20:22:51.21 0ojNPwcR
そうはいっても空軍は善戦してるんだがな
まあ、生産機少なすぎだが
948:名無し三等兵
11/04/01 22:39:34.21
第一次大戦のイタリアでの勇猛果敢な人
下位春吉の『大戦が生んだ伊國の二勇士』より
一本脚の志願兵 エンリコ・トーチ
十四歳で海軍に入隊。就学三年の後、エマニエル・フィルベルトに乗艦し
八年間勤務後、満期除隊。
その後、不幸にも機関車事故で左足を失うも
強健な彼は、体育・労役に健常者にも引けはとらなかった
また、諸種の器具を勘案し特許をうけ、狙撃兵歴史館に56種が展示されている
また、特許のためにパリ万博で金牌、仏国政府からも十字勲章を授与されている
1911年には、自作の自転車でフランスからノルウェーまで巡歴し
1913年にアレキサンドリアからスーダンまで南下したが、英国官憲に阻止される
そして、第一次大戦が勃発し、陸軍省に志願兵を出願するも
「一本脚のお前が出ずとも、まだ二本足の者が沢山いる」と追い返されるも
三度出願し、三度目に精神病者として家庭に引き渡される
思い悩んだトーチは、妹の作った三色旗だけを持ち、前線に走り
チエルビニヤーノの第三軍司令部におしかけ、アオスタ公エマヌエル・フィリベルトに直訴し
狙撃兵第三大隊に迎えられた
1916年8月4日、モンファルコーネの一二一陣地を苦戦40時間の後奪われ
トーチは、狙撃兵第三・四・五大隊と共に先頭に立ち突撃し、塹壕にて戦死した
後に、モンテファルコーネの戦死者を葬った墓地には、『エンリコ・トーチ墓地』と名づけられ
ローマのボルタ・マジョーレ近くの生家の街は、『エンリコ・トーチ街』と名づけられた