11/10/14 09:17:46.10
>>405で挙げられてる大屋圭吉氏
昭和二十年に入ってからの話
半田工場の会議室に呼ばれて
>軍用機開発物語◇2「月光から天山 そして彩雲へ」大屋圭吉の243ページ末から244ページ
> 翌日から私が搭載図を、
> 一、前記の前後の魚雷抑え(溶接製)と胴体屋さんに内部部材補強
> 二、抱締索関係
> 三、プロペラ抑え
> 四、深度調節装置
> 五、方位調節装置
> 六、雷撃照準器の取り付け
> に分けて、 (略)
徹夜態勢で部品図と補強図を作って空廠へ届け、
部品は空廠で作れないとのことで
その後10機単位の部品を作って(回数不明)空廠へ送付したのは確実だと
ただその後半田工場も空襲をうけ部品が作れなくなった、と記してる