10/08/14 11:53:09 sw6/c2q3
多くの参謀がインパール作戦に反対していたように思われていますが、実際には、反対されたのはアッサムへの更なる侵攻に対してだけであり、
インパールの攻略自体は誰も反対してないし、無謀などとは考えていませんでした。
最も強硬に反対した南方軍の稲田参謀副長も、反対したのはアッサムへの更なる侵攻と、険しい山岳の北から攻める31師団の鵯越が無理だと
いう点だけで、インパールの攻略自体には全然反対していません。
道路が整備された南から主力をインパールに向けるべきというのが稲田参謀副長の考えです。
意見が対立したのは3個師団のうちの31師団の侵攻ルートに関してだけなのです。
しかし実際には31師団は予定通りコヒマをほぼ占領し鵯越作戦は成功しています。英軍も日本軍主力は南から攻めてくると考えており、
北の背後を衝かれた英軍は一時パニックになっています。現実には31師団が最も活躍し、コヒマで多くの物資を捕獲し2ヶ月は物資には困りませんでした。