10/10/28 22:09:06
>>しかし「作家赤城毅」としては、落ちたときに錆びた釘を踏んづけて破傷風になっちまった
>>これは「運が悪かったんだよね…」としかいえん
それは完全に違うだろ。
赤城の「中の人」大木毅は1989年から1995年まで以下の論文を発表している。
* 「ドイツの対米開戦―その研究史」『史苑』49巻1号(1989年)
* 「ドイツの対米開戦(1941年)―その政治過程を中心に」『国際政治』91号(1989年)
* 「ドイツと『関特演』」『軍事史学』25巻3・4合併号(1990年)
* 「独ソ戦の性格をめぐって―もうひとつの歴史家論争」『西洋史学』169号(1993年)
* 「フリードリヒ・ハックと日本海軍」『国際政治』第109号(1995年)
* 「『藤村工作』の起源に関する若干の考察」『軍事史学』31巻1・2合併号(1995年)
* 「独ソ和平工作をめぐる群像」近代日本研究会編『年報・近代日本研究17 政府と民間』(山川出版社, 1995年)
当然、ホロコースト否定論などの「歴史修正主義」についても一般人より知る立場にあった。
にもかかわらず作家荒巻義雄の下で文筆修行、修正主義のロジックを踏襲して1996年に単行本デビュー。
知識のない小説家志望が「荒巻が何を主張しているか知らずに従った」のなら「運が悪かった」で済むが、
大木毅=赤城毅の場合はまったくこれに当てはまらない。
荒巻の主張内容を吟味できる知識と立場にあって、なおそれに迎合したのだから、責任は回避できないよ。