10/06/06 16:50:21
500get!
501:名無し三等兵
10/06/06 17:41:44
てか篭城策が愚策となるような城ばかり作る日本ってどうなのよ?
502:名無し三等兵
10/06/06 17:48:13
そもそも城郭というもの自体、
援軍が来るまで持ち堪えるための防御施設。
だから援軍が来る当てが無いのに、
最初から篭城すること自体が城郭本来の目的からして間違っている。
503:名無し三等兵
10/06/06 17:49:52
>>502
いや同時代でも中国の山海関とか、
単独で圧倒的大軍を撃退できる城もあったじゃん
504:名無し三等兵
10/06/06 17:55:01
>>503
つ 小田原城
日中ではそもそも動員できる労働力も
守らなければならない面積も違うわけで……
505:名無し三等兵
10/06/06 18:49:19
>>503
山海関なども基本的には、
周辺の部隊駐屯地や後方からの増援がくるまで食止めるための砦。
日本の小田原城も、総構になっているが、
単に食止める時間をより長く出来るためにしているだけに過ぎない。
506:名無し三等兵
10/06/06 19:08:12
>>505
山海関の守備軍は単独で清の大軍を阻止しているが・・・
そもそも明は城外では明国全軍で戦っても清には手も足も出なかった訳で。
明らかに城の防御力による撃退だよ
507:名無し三等兵
10/06/06 19:35:47
大坂城は砲撃戦に対応していない、旧時代の城郭ですしね
508:名無し三等兵
10/06/06 21:21:25
>>506
単に明の精鋭が山海関に集中していただけ。
509:名無し三等兵
10/06/06 21:35:02
>>508
そういう誤解は昔良く見られたが、
今では山海関に駐屯している部隊の規模はそう大きくなかったことが分かっている
清代の宣伝と異民族支配への恨みから、李自成を必要以上に悪く評価する事が行われており
その風評の1つとして「主力が山海関で戦っている時にガラ空きの背後を流賊が襲った」というものがあっただけ
510:名無し三等兵
10/06/06 21:40:51
山海関を含めて、万里の長城の構造では、
後方に大規模な兵の駐屯地が付属している。
つまり後方より増援が駆け付けることが前提になった構造になっている。
また、山海関が女真族の軍に陥落した(厳密には守将の呉三桂による投降)のは、
すでに後方(北京)が李自成によって陥落させられておりさらなる大兵力の増援が期待できず、
ドルゴンによる別働隊も迫ってきているため、
完全に包囲されて窮地に陥る危険性が明白であったからだ。
511:名無し三等兵
10/06/06 21:44:02
>>509
それは呉三桂が一時李自成対策のために、
帝都防衛の任に就いていたからだったからだ。
後に満州軍対策のために、
大軍を率いて山海関に戻っている。
512:名無し三等兵
10/06/07 02:04:25
>>501
攻城戦の場合、当然ながら攻撃側にイニシアチブがある。
城を落とせる自信があるから攻城軍は動く。
後詰が到着して解囲されるとか、情勢がとても攻城戦を続けられない状況になって撤退ということはあるが
単純な攻城戦で撃退する事例は攻撃側が攻略の見通しを誤るか戦場で下手を打たないと発生しない。
513:名無し三等兵
10/06/07 02:43:30
つ 上田城
514:名無し三等兵
10/06/07 09:13:01
>>513
それは上田城云々より真田昌幸の天才的戦術眼によるものだよ。
城自体は大したことないもの。
515:名無し三等兵
10/06/07 22:09:30
大阪城も秀頼がヘタレて堀埋めなきゃ後詰め無しでも年単位で持ったろうさ
長期間の篭城で家康の武威が持たずに地方大名が次々撤退→なし崩しに和睦を狙ったんだろうから
篭城自体は間違いではない。
秀頼が実は鬼島津とか上杉呂布並に強いとか言うなら話は別だが
>>507
あえてマジレスするが
当時の砲撃なんて威嚇レベルだからそもそも対応する必要すらない。
砲撃が要塞にとって驚異になったのは近代に榴弾が開発されてから
それより前はカタパルトのがよっぽど脅威
516:名無し三等兵
10/06/07 23:06:19
>>515
講和前に坑道が総構直下まで掘れていたから、そこに火薬置いて爆破させ、
突入口ができその年の内に、総構は陥落していたでしょうな
中枢部に砲弾が飛んでくる心理的衝撃は計り知れない
ああいうのは戦略爆撃の様なもので、篭城というストレスが溜まる中で、
ああいうことをされると士気に重大な影響を受ける
城郭の中でもっとも弱い箇所は人の心
517:名無し三等兵
10/06/08 00:12:45
>>516
隧道掘っても陥落しなかった城はいくらでもある。
隧道だけで陥落とか言うのはいくらなんでも暴論。
士気が多少下がっても籠城戦じゃあんまり意味ないべ
下手すりゃ壊れる大筒の分赤字。搦手であって主攻ではない。
大阪じゃ首脳陣の士気が下がるというしょうもない状態だったから効果あったが
518:名無し三等兵
10/06/08 01:38:20
つうか城攻めでの坑道作戦は古今まともに成功した試しがない
近代に入ってからでさえ殆ど成功していない
519:名無し三等兵
10/06/08 08:42:29
>>517
曲輪というのは一部が破られれば、全てが突破されるもの
何いってんの?
包囲戦で士気ほど重要なものはない
>>518
具体的な統計を教えてください
520:名無し三等兵
10/06/08 10:29:30
野田城は坑道作戦で水の手を断たれてしまったよね
火薬仕掛けるよりもこっちの方が現実的だね
水が豊富な大坂城には効かないだろうけど(´・ω・`)
521:名無し三等兵
10/06/08 11:54:40
>>518
古代ローマやギリシャでは結構成功しているんじゃないか?
522:名無し三等兵
10/06/08 15:13:36
昔はそういう点で探知技術とか未熟だったんだろうな……。
中世の頃は坑道を掘られても、防衛側も穴を掘って壁に
耳を押し付けたら、攻撃側の坑道掘ってる音が聞こえて
くるから、大体どこらへんから穴を掘ってるのかを判別して
撃退したなんて言うけれど。
最近ではペルーの大使館人質事件で坑道が活躍したけど、
あれももともとの火力は攻撃側が優勢で、ただの奇襲の手段と
して活用しただけだけど。それでも人質にほとんど死者が
出なかったのは犯人が人質に感化されて人質を殺すことを
ためらったからで、ペルーの事件が語源となってリマ症候群とも
言われているね。
523:名無し三等兵
10/06/08 15:35:13
毛利水軍みたいに川をさかのぼって兵糧を運び入れてくれる援軍が居れば大阪城は無敵だった。
524:名無し三等兵
10/06/08 20:50:15
>>519
そもそも坑道堀ったからって突破されるとは限らないわけだが・・・
位置ずれてたり気づかれて水流し込まれたり失敗例は枚挙に暇がない
だから暴論と言ってるわけだ。
>士気低下
おいおい
「長期間の篭城による士気低下」じゃなくて「大砲による士気低下」だろ今の話は。
525:名無し三等兵
10/06/08 20:53:30
>>523
毛利水軍が味方のままな程豊臣の武威が残ってれば
そもそも戦争にならんかったよーなw
526:名無し三等兵
10/06/08 21:38:17
>>524
既に後は火薬を積むだけの状態であったとある
そうだよ、大砲を一方的に中枢部に打ち込まれたら士気が低下するのは当然
人は仮にそこにいなくても、後方に安全な場所があるというだけで落ち着くもの
527:名無し三等兵
10/06/08 23:00:07
>>526
その結果大阪城から10m横が吹き飛んでも不思議はないわけで
もしくは威力不足で何も起きない
今の工作技術なら兎も角戦国時代だぜ
坑道掘っただけで城が落ちるならみんな掘るよ
528:名無し三等兵
10/06/08 23:07:27
>>526
大阪方にも大砲はあるんだが・・・
529:名無し三等兵
10/06/08 23:51:54
>>527
佐渡や甲斐から坑道掘りの専門家を呼び寄せています
>>528
数も性能も比較にならない
何しろ木砲を用いていた位だし
530:名無し三等兵
10/06/09 00:56:08
てかこの時代の坑道は爆破じゃなく石垣を崩すためじゃなかったっけ?
531:名無し三等兵
10/06/09 09:02:02
坑道に設置した火薬で櫓や塀を壊したり、石垣を崩すのが目的とある
532:名無し三等兵
10/06/09 14:56:10
爆破成功した例を聞いたことがないな
あるのか?
533:名無し三等兵
10/06/09 15:37:05
一発で大成功というのは無くても、砦の一部を壊したりとかはあるんじゃないのかな。
534:名無し三等兵
10/06/09 16:44:36
火薬を使わんでも基部を壊して倒壊させるのは可能だろ?
535:名無し三等兵
10/06/09 17:23:42
>>534
日本家屋は礎石の上に立っているだけだから、チト難しい
536:名無し三等兵
10/06/09 17:30:20
>>549
木製の砲だって安くて軽いから馬鹿にしたもんでもない
どうせ命中精度なにそれうまいのな時代だし
537:名無し三等兵
10/06/09 18:35:25
>>536
発射薬を少なめにしないといけないので威力も足りない
家康が大坂方から打ち込まれた砲弾を手に取って見て、この重さで土俵を貫通しなかったなら
これは木砲だと断じたという話がある
538:名無し三等兵
10/06/09 19:48:15
大阪城へ行ってきた。やけにジョギングしてる人が多いなあ。
ボランティアのガイドさんや各階の資料展では、
徳川側は外国から調達した大砲が100門ぐらいあって
炸薬が入ってないので砲の威力としてはあまりなかったけど
24時間うって大阪方を眠らせないという心理作戦だったそうで、
命中率悪すぎだけどたまたま淀君の近くに当たったのが幸いしたと。
疑問なのは大阪方も大砲を買い付け、米も何もかも日本中から根こそぎ買い占めて
徳川方が兵糧や暖房にすら苦労して裏切りがでないか心配するほどだったようだけど、
真田幸村とかの名将は大砲対策しなかったのかって事。
ほかにも大阪方が講話に乗った理由はあったけど、あの一撃が大きかったかなあと。
まあ2次元の戦いが3次元になって、急に対応も難しいとは思うんだけど。
539:名無し三等兵
10/06/09 20:52:12
>>532
そうなんだよな。聞いたことがない。
540:名無し三等兵
10/06/09 22:16:11
>>537
嘘くさい話だなw
というか撃たれることと音が問題だからあんまり威力は関係ない。
そもそも榴弾開発前じゃ実質的な攻撃力は鉄砲以下だしな
541:名無し三等兵
10/06/09 23:36:51
>>540
一級史料『駿府記』の記述です
後、木砲は一・二発撃ったら使い物にならなくなる
移動しなければならない攻撃側なら兎も角、防御側なら砲火力が貧弱な理由
に挙げられる(by宇田川氏)
人員殺傷と構造物破壊を何で同列に考えているの?
542:名無し三等兵
10/06/10 02:09:33
坑道爆破作戦は第二次大戦あたりでドイツが1回だけ食らった以外には
ちょっと成功例が記憶にないなぁ・・
それも通常の攻勢でドイツ軍がほぼ無力化されていたから防げなかっただけであって。
543:名無し三等兵
10/06/10 10:14:40
あと旅順要塞の攻略ぐらいかな。
544:名無し三等兵
10/06/10 19:53:09
>>541
大阪方の場合は木砲は数を用意しやすいと言う利点がある。
まぁ単に足りなくて急増したんじゃないかとおもうが
>人員殺傷
別に同列にしてないし構造物の破壊でも微妙なわけだが…
当たった場所は壊れるけど穴は小さいし、破壊力もない
大手門みたいな特に分厚い箇所じゃ壊れるかすら微妙って程度の存在なわけで
545:名無し三等兵
10/06/11 00:15:18
大阪方が講和に応じたのは兵糧が乏しくなったからじゃね?
546:名無し三等兵
10/06/11 00:25:29
そんな記述あったっけ?
事前に周辺地域の兵糧買い占めてたと思うけど・・・
547:名無し三等兵
10/06/11 00:38:00
>>545
家康が破格の条件で和睦を申し入れたからじゃね?
548:名無し三等兵
10/06/11 01:31:01
>>547
外堀を埋めるなんて条件、後から攻めるために決まっているのに何で受けたんだろうな。
秀吉も信長も律儀に約束を守るほうだったから、勝手に勘違いしていたのか。
天下人が嘘つかないだろうとか。
549:名無し三等兵
10/06/11 07:19:53
>>548
プロファイリング的に言えば、そもそも戦う前から圧倒的な戦力差なのに
それでもやってみなけりゃ分からないとにかく戦争だーとか言って強い方に
挑発的に仕掛ける人間は、戦略的な後先考えない講和に乗ってしまうもの。
牟田口みたいなもんだ。
大体そういう点で分からないという意味では、外堀を埋められた後も豊臣方は
浪人をかき集めたりして徳川側を刺激するようなことばかりやって、結局
大坂夏の陣を招いたりしていること。
550:名無し三等兵
10/06/11 09:02:34
>>548
埋められたら掘り返せばいいじゃないと考えた。
時間を稼げば家康は寿命に達すると考えたw
551:名無し三等兵
10/06/11 18:05:44
講和で堀を埋めるというのも儀式的なもので、
ほんのチョット埋めるのが恒例なのに徳川は人を動員して埋めちゃった
ちゅーか、豊臣がえっ、マジ!?って慌てて抗議して話し合いの間に
内堀の方まで埋めてなかったか?
552:名無し三等兵
10/06/11 18:12:18
>>551
内堀も埋めましたがなにか?w
553:名無し三等兵
10/06/12 00:46:07
そもそも大阪方は淀を人質として出しときゃそれでよかった話な訳で。
家康の寿命はもうあと僅かだったんだし
554:名無し三等兵
10/06/12 02:42:23
だからこそ徳川がそんなもんで手を止めるわけがないだろう
555:名無し三等兵
10/06/12 03:06:31
>>553
片桐且元がそう進言したら謀反の疑いをかけられた。
大野治長がそう進言したら「且元の言ったことと同じではないか!」と怒られたw
556:名無し三等兵
10/06/12 08:48:03
堀を埋められた後で恭順しておけば良かったのに、まだ戦う気満々でいたんだから、
夜郎自大としか言いようはなく。
557:名無し三等兵
10/06/12 16:11:49
恭順しても許す気は無いのが丸わかりだからだろ
徳川時代になってから潰された大名家を考えてみろよ
ただ味方が誰かすら分からないのに戦ったのは夜ry
558:名無し三等兵
10/06/12 18:01:28
穏便に恭順した元主君の家を取りつぶすのは流石にマズイので、
家自体は潰さずに石高削りまくって僻地へ転封と思われ。
559:名無し三等兵
10/06/12 23:23:47
福島家も結局残った激減だけどw
560:名無し三等兵
10/06/13 00:03:57
あの段階で穏便に恭順は無理でないか?w
豊臣家がそれなりの名家でもっと小さければ可能だろうけど…
561:名無し三等兵
10/06/13 18:07:50
大砲の一斉射撃が始まったその日から、正式な講和交渉が始まりました
562:名無し三等兵
10/06/13 19:07:08
>>560
家としての歴史は浅いが、官位は最強クラスだし前の天下人と織田家の血を引いているから相当な家柄じゃん。
まあ夏の陣の後に秀頼が臣下の礼を取って淀君を人質出し、浪人は追放、国替え&減封にも応じる
みたいに全面降伏すれば徳川のメンツも立つし、首洗って潔く従った相手にそれ以上やるのはどうよ?
って感じにもなったろうが、徳川に金玉握られるような選択肢はプライドと恐怖で飲めなかっただろうな。
563:名無し三等兵
10/06/13 19:09:55
すまん、夏じゃなくて冬の陣だった。
564:名無し三等兵
10/06/13 20:53:41
>>562
徳川の執拗さをなめちゃいかんw やりすぎな位だw
豊臣はどこまで行っても成り上がりだろう。当時の官位は金と力さえあればもらえたんでハク付けでしかない。関白じゃなくて将軍になってればまた違ったんだろうけど
仮にも主君だったので徳川も配下にもしにくい。
565:名無し三等兵
10/06/13 22:04:57
徳川が秀頼の転封がなって豊臣の大坂城を手に入ってたら誰が主になったのだろうか
やはり家康が、ヒャッハー、ついに豊臣も下して天下事業完成だぜ!って主になったのかな
566:名無し三等兵
10/06/13 22:53:53
豊臣家→四国2国に転封
島津→対馬に転封
毛利→松前に転封
コレくらいやらないと明治維新が怖いw
567:名無し三等兵
10/06/13 22:54:04
>>565
史実と同じ城代
568:名無し三等兵
10/06/13 23:25:22
>>567
城の格が豊臣の大坂城>>>徳川の大坂城だから
誰か入らざるえないんじゃね?
569:名無し三等兵
10/06/13 23:32:06
>>568
>城の格が豊臣の大坂城>>>徳川の大坂城
その根拠が解らない
570:名無し三等兵
10/06/14 12:14:15
>>566
減封は無理じゃね?
大阪65万石から転封するのだから僻地なら100万石は無いとつりあわない。
571:名無し三等兵
10/06/14 14:22:43
>>570
でも初期の頃はそういう減封とか当たり前のようにやってるだろ?
572:名無し三等兵
10/06/14 20:33:08
>>564
意外と元主君筋を配下にするってのは多いよ。
信長は斯波を家臣にしてるし、秀吉も秀信を傘下の大名として扱ってる。
元主家を厚遇するのは自身の度量の大きさを誇示するのにうってつけだからね。
573:名無し三等兵
10/06/15 16:28:44
豊臣家って織田家と違って官位的に厄介じゃね?
関白になれる家柄なので、なんかの拍子で関白になっちゃったら将軍より偉いことになっちゃう。
574:名無し三等兵
10/07/16 21:11:05
?
575:名無し三等兵
10/07/17 19:34:40
ID出さずに空揚げするチンカス
いい加減に消えねえかなあ
576:名無し三等兵
10/07/18 04:47:53 9l6VUEmL
大坂城に徳川家の者を入れるだけで、本拠地は動かさないでしょ。
そんな事やったら大坂>江戸と認める様なもので、体面がわるいし。
577:名無し三等兵
10/07/18 10:11:47 rJnSS2oy
>>573
官位昇任は家康秀頼秀忠の序列が守られていたから、厄介だな
秀忠が後から追いつくとしても秀頼と同格ということに。
仮に豊家が臣下の礼を執っても、客将の扱いで他の大名とは別格だったろうね。
578:名無し三等兵
10/07/18 12:29:14
その状態にするには影響力が大きすぎるな
天皇関連の予算を全部払うことにして実質天領にでもするとか
579:名無し三等兵
10/07/19 13:54:38
今年も7月16日~18日に京セラドーム大阪を本拠地とする
オリックスバファローズが、福岡ソフトバンクホークス3連戦で
集客企画として「大坂夏の陣」を開催しました。
夏の陣は大坂城軍の負け戦やし、筑前福岡藩との戦いとなると
勝負は見えとるやないか、
大坂の一般住民に多大な犠牲者が出た「夏の陣」を
カネ儲けイベントとしてやるのはまずいのとちゃうか、
ちゃんと慰霊はしとるんか・・・
・・・というオリックスファンの懸念通り、
「大坂夏の陣」では甲冑風デザインのユニフォームを着た
オリックスが3連敗、予想通りの落城w
580:名無し三等兵
10/08/02 11:09:52
「大坂夏の陣」企画で3連敗したオリックスは
憑き物が落ちたようにw次の試合から8連勝。
581:名無し三等兵
10/08/02 15:42:55
宇治川防衛策
582:名無し三等兵
10/08/02 16:58:11
豊臣家は公家になって家名残しても苦労するだろうなあ
2万石のぐらいになって天皇より所領多いじゃねーかってのもおもしろいけど
583:名無し三等兵
10/08/02 17:59:25
高家じゃなく摂関家筆頭として、
豊臣家を残しておけばよいものを。
584:名無し三等兵
10/08/02 18:12:48
近衛家が死力を尽くして抵抗するだろうな
585:名無し三等兵
10/08/02 18:44:16
近衛前久が豊臣秀吉の父親ということになっているから、
豊臣家は近衛家一門になっているから、
別に近衛家が抵抗することはない。
(近衛前久の子になることによって、
豊臣秀吉は関白に就任できることになった。)
586:名無し三等兵
10/08/02 19:41:43
>>585
その後、摂関職を豊臣家の独占にされて前久の子、信尹は軽く気が触れて一時薩摩に配流されている
五摂家、特に原因を創った近衛家にとって摂関職の復帰は悲願であっただろう
587:名無し三等兵
10/08/02 20:12:22
>>586
しかし、家力としては九条家に圧され始めているのだから、
むしろ豊臣家を守り立てて牽制する方策も近衛家としてはあるわけだが。
588:名無し三等兵
10/08/02 20:21:27
近衛信尹が勅勘を蒙る羽目に陥ったのは、
朝鮮征伐の折に近衛信尹が渡海しようとしたからじゃなかったか?
589:名無し三等兵
10/08/02 20:38:25
>>587
近衛家は活動的な面が強い上に尊王の気質も強い、どちらかというと日和る九条家一党(二条・鷹司)が
豊臣家に近づいても、このままでは最大の汚点を残す近衛家がそっちへ行くとは思えない
>>588
その前に関白相論で秀吉を関白職を取られた上、豊臣家に摂関職を独占されたことによる精神的ショックが
其の様な行動に走らせたと思われる
590:名無し三等兵
10/08/02 20:57:50
>>589
根拠の無い強引な推論ですな。
>>587-588が客観的に見て妥当な推論。
591:名無し三等兵
10/08/10 16:50:09
易京の戦い>坑道
592:名無し三等兵
10/08/20 23:39:44
>>590
同意
593:名無し三等兵
10/09/03 21:22:40
瀬田川防衛
594:名無し三等兵
10/09/04 14:16:33
冬の陣で一旦講和をせずにいたとすれば、何日粘れたんだろうか
595:名無し三等兵
10/09/04 15:18:37
年内に総構を爆破されて陥落、そのまま落城か内郭で持ちこたえるかは微妙だけど
春を迎える前には落ちるかと
596:名無し三等兵
10/09/04 17:42:55
>>595
その前に寄せ手側の諸大名が破産すると思うが。
597:名無し三等兵
10/09/04 17:50:18
大阪方が買い占めて徳川方は食糧不足どころか、
寒くて燃料がなく、武器入れる箱まで燃やして暖をとっていた(NHK)ようだから、
どちらに転んでも分からんなあ。
598:名無し三等兵
10/09/04 18:37:42
女を城郭にいれてなければ
まだまだ大坂方も粘れただろうしなあ
599:名無し三等兵
10/09/04 18:51:55
>>597
その辺は大阪方が周辺の食料などをかき集めたからで、家康が兵糧の移送を命じているので
一時的なものと思われる、何しろ大坂を攻囲して半月程度の話しだし
600:名無し三等兵
10/09/04 19:43:34
>>599
お前は兵站の維持を軽く見すぎている。
そもそも「兵糧の移送を新たに命じている」ということ自体、
所定の作戦が狂って来ている事の証で、
兵站の維持から見て決して楽観できない現状である。
601:名無し三等兵
10/09/04 19:57:23
>>600
命じたのは11月28日なので事前の準備
602:名無し三等兵
10/09/04 20:06:38
>>60
そんなのは事前の準備ではない。
603:名無し三等兵
10/09/04 20:19:55
599はただの夏厨
604:名無し三等兵
10/09/04 20:44:00
>>602
問題が表面化してから慌てて指示したという話ではないという意味なのだが
605:名無し三等兵
10/09/04 20:50:02
11月28日なので問題が表面化してから慌てて指示したという話だ
606:名無し三等兵
10/09/04 20:58:40
>>605
兵隊を送るのにインフラが手一杯でできなかっただけかと
607:名無し三等兵
10/09/04 21:00:40
兵隊を送るのにインフラが手一杯でできなかったというだけで、
事前の準備に失敗している。
608:名無し三等兵
10/09/04 21:03:07
具体的には?
まだ兵が大坂に着陣してから1ヶ月もたっていない時点での話
普通は先に兵を送ってその後に、兵站というのが基本で、物資が不足というのは
その間の事なのでこれは基本的に不可避な出来事
609:名無し三等兵
10/09/04 21:21:43
「普通は先に兵を送ってその後に、兵站というのが基本」とは、
軍事的に根本的に間違っている。
610:名無し三等兵
10/09/04 21:45:19
まだ599が暴れてるのか
611:名無し三等兵
10/09/04 22:53:55
>>609
兵站部隊を先に送ってその後に戦闘部隊送るというのが論外
後方兵站司令部は既に京都所司代という形で常設だし
612:名無し三等兵
10/09/04 23:38:39
作戦的にはどっちも並行して進めていかないとダメだろ
ただ、家康は豊臣の軍を自由にさせず
大坂城に押し込める大軍を送り込むのを優先させたのかな
>>611
久々の戦、しかも大軍相手なので兵站司令部の処理能力がオーバーフローになったっぽいな
613:名無し三等兵
10/09/05 02:07:18
京都所司代は兵站司令部じゃありませんw
治安維持機構の一部です
614:名無し三等兵
10/09/05 09:00:50
戦闘部隊を先に送ってその後に兵站部隊送るというのが論外
後方兵站司令部は既に京都所司代という形で常設のくせに、
後から物資を新たに輸送している体たらく。
615:名無し三等兵
10/09/05 09:50:48
>>614
一応、軍需物資(大砲・鉛)を事前に購入してたとは言え、10月に交渉決裂で開戦、
11月半ばに戦闘が始まり、12月より攻囲戦、12月半ばに休戦というハイスピードな
展開なので一時的に兵站へ無理が生じるのは当然
616:名無し三等兵
10/09/05 13:58:51
「展開なので一時的に兵站へ無理が生じるのは当然」というレベルなのならば、
そもそも戦端を開くこと自体間違っている。
交渉の時点でかなりの譲歩をこちら側から打ち出して、
開戦を先延ばしにしておく必要がある。
617:名無し三等兵
10/09/05 14:09:49
そんな事したら更に浪人が流入したり、部隊訓練されたり、食料を買い占められたりと碌な事がない
この場合は拙速を感受しつつ、早期に包囲・封鎖する方が正しい
618:名無し三等兵
10/09/05 15:12:21
>>617
「金持ち喧嘩せず」の鉄則を理解せよ。
理解していれば、「更に浪人が流入したり、部隊訓練されたり、食料を買い占められたり」しても、
何ら問題が無い。
619:名無し三等兵
10/09/05 16:44:30
>>618
それは喧嘩ふっかけてきた大坂方に言って
620:名無し三等兵
10/09/05 16:46:03
>>619
お前は「金持ち喧嘩せず」の鉄則を
全く理解していない。
621:名無し三等兵
10/09/05 18:57:04
では説明していただけますでしょうか
622:名無し三等兵
10/09/05 19:05:49
>>621
自分で独学で学べ。
623:名無し三等兵
10/09/05 19:12:45
>>622
なんだ、ただのゴミか。
624:名無し三等兵
10/09/05 20:09:42
>>623
なんだ、ただのゴミか。
625:名無し三等兵
10/09/11 20:50:48
>>618-
みんな、ただのゴミだ。
626:名無し三等兵
10/09/13 21:10:50
>>625がもっともゴミ。
627:名無し三等兵
10/09/23 18:33:11
>>596
正論だね。
628:名無し三等兵
10/09/23 18:55:30 ZWtv2nYU
まるで人がなんたらかんたら
629:名無し三等兵
10/09/24 02:16:32 XGuRGBQy
冬の陣じゃ明らかに家康軍側は兵糧不足に陥っている
家康は秀吉信長ほど兵站を理解していなかった
和睦を急いだのが家康側なのも当然だろう
豊臣側重鎮にもうすこし知恵者がいれば和睦を拒否しただろう
家康側は撤退せざるをえなかった
その後の展開も変わっていただろう
630:名無し三等兵
10/09/24 07:48:31
>>629
一時的なもの以上
631:名無し三等兵
10/09/24 07:55:45
>>630
>>600以上。
632:名無し三等兵
10/09/24 08:55:19
>>631
軍とは巧遅より拙速をもってなるべし
633:名無し三等兵
10/09/24 17:57:20
>>632
軍(戦闘部隊と兵站)とは巧遅より拙速をもってなるべし
634:名無し三等兵
10/09/24 18:50:14
>>633
何が言いたいの?
635:名無し三等兵
10/09/24 19:18:24
>>599が池沼ってことだ。
636:名無し三等兵
10/09/24 19:44:21
お前らが豊臣の兵馬の全権持ったとして就任時期次第で勝てそう?
637:名無し三等兵
10/09/24 19:46:32
>>635
兵站大事と言って、それに少しでも外れるのは無知・無能というのは
形を変えた参謀本部作戦課参謀(硬直した思考)だよ
638:名無し三等兵
10/09/24 19:47:26
そもそも、まず豊臣方の勝利条件ってなんだ
どこまでやれば勝ちになるんだ
単純に大坂に寄せてきた敵勢を打ち破った程度じゃ終わらんはずだが
639:名無し三等兵
10/09/24 20:01:26
>>636
土下座外交する
640:名無し三等兵
10/09/24 20:18:48
>>638
取り敢えずお家滅亡危機である大坂に押し寄せる軍勢の撃破が第一の勝利条件で
641:名無し三等兵
10/09/24 20:40:10
>>637
一時的なものと言って、それに少しでも外れるのは無知・無能というのは
参謀本部作戦課参謀以上に遥かに硬直した思考だよ
642:名無し三等兵
10/09/24 20:57:39
>>641
つまらん
643:名無し三等兵
10/09/24 21:19:22
とにかく大坂方は徳川方を撃退して撤退させれば、
それで勝利条件が達成されるからねえ。
>>596氏の指摘は客観的にみて正しい。
644:名無し三等兵
10/09/24 21:28:21
>>640
とりあえずかぁ
夏の陣じゃどう転んでも史実以上の結果は出んだろうから冬の陣で考えるとしても
戦国全盛期ごろの軍と比べて両軍に共通する行軍能力の低下を見ると
たとえどんだけ練った作戦案があったとしても、それに沿って行動できるかっつーたら相当怪しいだろう
結局、双方共に予想しない地点・時間での遭遇戦が頻発しての消耗戦、って史実夏の展開そのままになる気がするなぁ
ひたすら篭城して寄せ手諸大名の動揺・破産を待つのがなんだかんだでベターだったんじゃないか?
史実ではそうなるまえに大坂が根負けしちまったけど
そこをどうにか乗り切って、強攻に1・2度耐えて見せれば粘りきる目も出てくるかも
645:名無し三等兵
10/09/24 21:52:44
>>644
>ひたすら篭城して寄せ手諸大名の動揺・破産を待つのがなんだかんだでベターだったんじゃないか?
史実通りの最初からの篭城策は完全に否定されている。
やはり>>168さんの述べるように、
瀬田川防衛策をとって縦深防御に徹して遅滞戦術をとるべきであった。
646:名無し三等兵
10/09/24 22:01:08
瀬田川防衛策って良く聞くけどさ
それじゃ、真南にいる紀州浅野&姫路あたりに集結してから押し出してくるだろう西国諸大名に対する手当てはどーすんのって
ずっと疑問に思ってるんだが
最低でも背後の浅野をなんとかしてしまわんことには、落ち着いて京周辺を征圧しに行くことすらできんのじゃないか?
仮にも40万石近い大大名、本気で動員かけりゃ1万前後は集められるだろうし
これが周辺の小大名と合同して大坂城の背後で蠢動するようなことになれば目も当てられんことになると思うんだが
浅野や西国諸勢が積極的に動き出す前に家康本隊を叩けりゃいいが
そんな安易な決戦指向に家康が乗ってくるとも思えんしね
647:名無し三等兵
10/09/24 22:14:16
> 戦国全盛期ごろの軍と比べて両軍に共通する行軍能力の低下
ローマ軍ばりの猛訓練を施して何とかならんのか
648:名無し三等兵
10/09/24 22:17:53
>>647
徳川方諸大名=そんなことに使う金がもったいない
豊臣方=時間が無さ過ぎてどうにもならない
649:名無し三等兵
10/09/24 22:27:08
徳川方で遅いのは島津くらいなもんでしょう
650:名無し三等兵
10/09/24 22:41:35
紀州については、雑賀などの土豪を動かせば良いし、
西方面は湊川で防衛すれば良い。
何よりそこで完全に防ぎきれるのが前提ではなく、
あくまでも縦深防御による遅滞戦略の一環として行う戦略である。
651:名無し三等兵
10/09/24 23:00:07
でも冬のときは長晟本人が大坂に出張っている状態で一揆起きても普通に封殺されてたよね? >紀州
浅野全軍を張りつけにせざるを得ないほどの規模で動かせるのかどうかは、やってみんと分からんとしか言えないんじゃないか? そんなもん計算に入れて動いていいのか?
そもそも、どのタイミングで動かすのか? 動いたのを見てから京へ行くのか? 動いてくれるのを前提にして行動するのか?
どう転んでもギャンブルには違いなかろうし、外れたときのリスクがでかすぎるんじゃないか
でー……そもそも遅滞防御戦闘って、あの時点の豊臣軍の行動力で成立し得るのか?
半年後の夏の陣、しかも大坂近辺においてすら、豊臣軍は行軍関連で混乱しまくってるのに
京を確保して瀬田に布陣、その後遅滞防衛戦闘をしつつ機を覗うとか
どこでどんな齟齬を来たすか分かったもんじゃないだろう
湊川で守る、っつってもそれだけの兵力を分派したら、その分徳川本隊へ当たる数が少なくなるし
最悪、湊川・瀬田周辺で主力が拘束されているうちに、大和方面から一手に迂回されて紀州勢と合同し……なんて展開もありうるだろうし
出戦策は正味、ただでさえ博打なのにそれをさらに悪化させるだけとしか思えんのだわ
当たればリターンは大きいし、一気に家康を討ち取って大勝利という展開も、何か間違えば起こりえるかもしれないが
生き残るのを最優先にするなら採るべき策ではないと思うんだよなぁ
652:名無し三等兵
10/09/24 23:22:31
夏の陣を見てみると大坂方の動きの方が、
徳川方よりも手際がよく機動力がある。
やはり縦深防御による遅滞戦略が大坂方にとって最適。
653:名無し三等兵
10/09/24 23:24:57
ナム戦時の海兵隊のように八週間の即席訓練で
浪人共をシゴキ上げて殺人兵団を編成しよう!
654:名無し三等兵
10/09/24 23:27:20
>>652
天王寺・岡山を指しているならあれは後がないバンザイ突撃
655:名無し三等兵
10/09/24 23:28:04
徳川のどん百姓め!淀殿を敬うと言え!
こうですか?
656:名無し三等兵
10/09/24 23:47:19
>>654
それは違う、撤退戦をよく見てみろ。
657:名無し三等兵
10/09/25 00:11:52
>>656
道明寺・誉田の戦い?
あれは徳川方が疲労困憊して動かなかったから、
何しろ10時間も戦闘行動をしていたから
658:名無し三等兵
10/09/25 08:24:12
>>647
>>648
この時代の訓練が具体的にどんな物だったのかがよく解らん。
659:名無し三等兵
10/09/25 08:51:30
>>657
もっとよく夏の陣を考察しろ。
見当違いのことばっかり言っているぞ。
それ以前に日本語読解能力が、
お前にあるのか疑問だが。
660:名無し三等兵
10/09/25 09:03:27
>>659
単にお前が具体的に言わないのが悪い
661:名無し三等兵
10/09/25 16:37:13
>>660
つまり君は勉強不足というわけですねw
662:名無し三等兵
10/09/25 16:39:45
>>661
いいえ、あなたの説明不足が原因です
5W1H位はご存知でしょうに
663:名無し三等兵
10/09/25 16:48:27
>>662
いいえ、あなたの勉強不足が原因です
5W1H位はご存知でしょうに
664:名無し三等兵
10/09/25 17:02:51
>>663
だからそれを示してくださいと言っているのですが?
具体的にどこの戦場で、どの様な時に、豊臣方の誰が、何で、どの様に徳川方より優れた行軍の
撤退戦を行ったのですか?
665:名無し三等兵
10/09/25 17:30:26
>>664
だからそれを自分で勉強しろと言っているのですが?
具体的にどこの戦場で、どの様な時に、豊臣方の誰が、何で、どの様に徳川方より優れた行軍の
撤退戦を行ったかをね。
666:名無し三等兵
10/09/25 17:33:20 konVeAHJ
>>665
何だ知らないのか、相手して損した
667:名無し三等兵
10/09/25 17:37:04
>>666
何だ只の池沼か、相手して損した
668:名無し三等兵
10/09/25 19:47:24
たまにまともそうな流れになったと思ったら一晩でこれだ
669:名無し三等兵
10/09/25 20:07:31
>>653
家康の豊臣討伐令・片桐らの大坂退去が共に10月1日
それに前後して浪人衆が続々入城し、例えば真田は10月9日に九度山を脱出して大坂に向かっている
で、家康の駿府出発が10月11日
16日以降、近在の諸将が続々と伏見城に到着し
家康も23日に二条城入り
その後秀忠率いる本隊の到着を待って、11月15日に大坂へと向かっている
ちゅーわけで、8週間という時間すら大坂方には与えられておりましぇん
つーか、速攻出戦・宇治瀬田に出る策に決したとして
タイムスケジュール的にはむっちゃくちゃ厳しいような
伏見を攻囲しつつ宇治川沿いに防衛線を引いて家康を待ち受けるとかいくらなんでもジョークが過ぎるしな
670:名無し三等兵
10/09/25 20:34:18
>>669
いや充分だろ。
足りない兵力は現地の食い詰めたものを傭兵として雇えば良いし、
伏見城は要害ではなく、居館程度の防備だし。
(関が原前哨戦で簡単に落城しているし。)
大坂方は極少数の兵力で、
総構もある要害の郡山城を短期間に落城させている。
瀬田川での防衛が不可能という方がジョークに過ぎる。
671:名無し三等兵
10/09/25 20:45:00
>>668
それもこれも>>644があまりにもDQNだったのが元凶だ。
672:名無し三等兵
10/09/25 20:52:04
>>671
具体的用例を引いて答えろよと詰められて
それをせずに相手を馬鹿の勉強不足とののしるやつもDQNレベルでは全く劣ってないがな
673:名無し三等兵
10/09/25 20:55:16
>>672
要求されている具体的用例なんて予備知識として必要なものだと詰められて
それをせずに相手を馬鹿の説明不足とののしるやつはDQNレベルでは至高のものだ。
674:名無し三等兵
10/09/25 20:57:05
>>670
部隊単位の練兵がゼロの状態ではただの烏合の衆
後、伏見城が簡単に落城とはどういう認識?
675:名無し三等兵
10/09/25 21:00:01
当時有り触れて食い詰めている浪人達を「練兵がゼロ」とはw
676:名無し三等兵
10/09/25 21:00:36
>>670
史実から見ても妥当な考察ですな。
677:名無し三等兵
10/09/25 21:03:59
>>670
簡単に、って2000で4万の攻撃に10日ちょい耐えてみせりゃ充分だろ……
関ヶ原当時よりはこじんまりとした形に再建されているとはいえ
数日持久すれば各地から続々と援軍が集まってくるのが見えている状態で簡単に落とせるもんか?
大坂方に大規模出戦の気配があるなら、当然伏見の防衛準備・兵力の集中も前倒しになるはずだし
つーか、真田の大坂入城から一週間足らず
開戦決定の日から考えても二週間ちょいの時間しか無いわけで
そんな短時間で寄せ集めも良いところの浪人衆をどの程度統制の取れた軍隊に化けさせられるもんかね?
個人戦~小規模戦闘までならまだしも、全軍の統制だった行動が必須の長躯侵攻・攻城そして野戦陣地の構築と
そこまで手際よく寄せ集めの軍団が動けるとは到底思えんよ
678:名無し三等兵
10/09/25 21:07:10
>>656の言っている様に豊臣方の諸部隊は手際の良い動きがしているからねえ。
諸部隊間の情報伝達に少々問題があるようだが、
それは徳川方も似たようなものだし。
679:名無し三等兵
10/09/25 21:10:03
>>677
伏見なんかで篭城はしないだろう。
>>670氏の言ってるように篭城用の要害じゃないのだから。
武装が貧弱な民衆の暴動のような一揆勢じゃないのだから。
一旦近江へ撤退する方が最適。後からくる大軍に合流する方がよい。
680:名無し三等兵
10/09/25 21:15:44
>>675
当然、個人の練度と部隊の練度は全く別次元の話
681:名無し三等兵
10/09/25 21:16:25
瀬田川防衛策否定厨は、
何より瀬田川防衛そのものが成功することを
前提している点が問題だ。
真田信繁の「その見込みが無いときに初めて城に立て籠もって戦う」という
発言が示すように、あくまで防衛が失敗することが折込済みの
縦深防御による遅滞戦術をとるという案が実像だ。
682:名無し三等兵
10/09/25 21:17:38
>>680
当然、個人の練度と部隊の練度は当時としては連関している話
683:名無し三等兵
10/09/25 21:19:49
七手組やらから下士官クラスを送り込めば部隊は結構運用出来ただろうが
アイツら平時は城内で遊んでたから、人材もノウハウもなかったんだろうなぁ
684:名無し三等兵
10/09/25 21:24:34
>>683
徳川方の動員された兵力なんて、
世代交代されていて実戦経験の無い連中の兵力になっていたんだっけ。
実戦経験の無い連中が馬をそのまま戦場に乗り入れようとして、
老兵に叱られたりとか。
豊臣方の場合は、腕の覚えのある熟練した浪人が中心だったから。
(そもそも実戦経験無い奴なんて、
後方任務ならともかく前線任務に雇われようとしないだろう)
685:名無し三等兵
10/09/25 21:25:05
んーで、何よりも疑問なのは
とりあえず、紀州浅野は特大の一揆で動けず、寄せ集めの浪人衆もうまいこと統制取れた動きを見せ、伏見の防衛準備も整わず
初動はうまく運んで、家康の到着前に無事京周辺の制圧に成功、近在の敵勢を追っ払い
宇治・瀬田に出て防衛線を引くことができたとして、それからどうすんの? ってことなんだが
京を落とせたとなれば、そりゃあ政治的には大得点だが
家康・秀忠の率いる徳川の野戦軍は全く無傷で、遅くとも11月始めには近江に集結するという状況で、
名のある大名家が豊臣方に靡くかって言えば、そりゃいくらなんでも無理が過ぎるだろ?
宇治川沿いに両軍が睨み合い、戦線が膠着した状態になったとしても
西国諸大名の軍勢がいずれ集結して播磨から摂津へとやってくるわけで……
それが分かっている状態で、徳川本隊も宇治川防衛線を無理押しすることは無いだろう
東西2方向、悪くすれば紀州を入れて3、最悪徳川方が余剰兵力を用いて、大和方面に一手を裂いて4方向に有力な敵勢を抱えた状態で
縦深防御による遅滞戦術とやらがすんなり成立し得るのか?
それぞれの戦線に部隊を派遣して、地形と内線の利を活かすとしても
それってつまり夏の陣で敗退したのとまるで同じような展開じゃねーの?
686:名無し三等兵
10/09/25 21:31:32
>>685
>それってつまり夏の陣で敗退したのとまるで同じような展開じゃねーの?
それは万歳突撃しか方策が無かったからだろう。
大坂城が丸裸で要害じゃなくなっているんだから。
そもそも縦深防御による遅滞戦術を理解しているのか?お前は。
縦深防御による遅滞戦術とは万歳突撃を否定するのも重要な要素だ。
687:名無し三等兵
10/09/25 21:33:24
まあ、何より粘って長く抵抗して徳川方が兵站面で瓦解させて、
撤退させるのが縦深防御による遅滞戦略の最大の目的だからね。
688:名無し三等兵
10/09/25 21:45:50
>>687
発掘調査から豊臣時代の大坂城にはトーチカ城のものが
周辺に配置されていたりなど、かなり強固な縄張りで防御施設が作られていたらしい。
だから、より簡易的な防御施設を周辺に作る時間稼ぎをするためにも、
最初から篭城するのではなく、縦深防御による遅滞戦略をとるべきだったろうね。
また、大坂城の真骨頂は浮城化させることができる点もあるのだから、
早期に篭城して引きこもってしまっために、
その処置が不十分で後に徳川方による対策によって
浮城化が一定の効果しか発揮できなかった点もある。
689:名無し三等兵
10/09/25 22:06:47
冬の陣で現将軍による大坂城強襲案が採用されていたら
690:名無し三等兵
10/09/25 22:07:25
>>686
いや、だからさー
敵が一方向から来るのであれば理解できるんだ
河川・隘路等の地形障害、あるいは野戦陣地などを活かして、
決戦を急ぐのでなく粘り強く戦って時間を稼ぎ、
情勢の変化(この場合は徳川方諸大名の金蔵の底が見えるまで粘るか、有力大名家の心変わりを待つか……)を待つってのは
問題なく成立しうるとは思う
ただこの場合、最悪3方だの4方だのに有力な敵勢を抱え込む状態だぜ?
近江から進出してくるだろう徳川本隊以外の敵にどう対応するつもりなのか、あんたの言ってることが全く分からん
だいたい、まず直近の大敵になるはずの浅野に対してすら、土豪を扇動して云々なんて史実で失敗した策を持ち出されても正味納得のしようがない
例えば、徳川本隊と豊臣本隊が宇治川沿いににらみ合ってる状態で
秀忠にでも誰にでも良いけど5・6万の大軍を率いさせて、大和経由で大坂に流し込むとか、そういう手をとられた場合、
目の前に家康本隊を抱えた豊臣主力に、対応できるだけの手が果たしてあるんかいな
なんだかんだあって、最終的に、主力を温存したまま大坂城まで引くことができたとしても
後は史実の結末を少し時期遅らせてなぞるだけになるんじゃないのか?
仮に史実より一月二月敗戦を長らえさせ得たとしても、その程度の時間で徳川の金蔵が空になるとはとても……
兵站面での瓦解を狙うっつっても同様に
京という兵站ステーションを失ったとはいえ、何方向かに分散している軍を養うのは、一点に集中している大軍を養うよりずっと容易なわけでさ……
691:名無し三等兵
10/09/25 22:12:20
> 秀忠にでも
ダメ、絶対!
692:名無し三等兵
10/09/25 22:15:41
>>690
>大和経由で大坂に流し込むとか
基本的に隘路になりますし、
大坂方に有利な状況ですね。
693:名無し三等兵
10/09/25 22:33:12
>>692
いや……だから
基本的に隘路になるっつっても、その隘路で守る兵力をどっからどうやって捻出すんのか! って話だよこれは
5万6万に対して1万2万でも防げます、ってそんな無茶な話はない
また、3万4万と配置換えを行うのであれば今度は京方面の防衛線が怪しくなる
さらに言うなら、当然大和路方面の防衛準備は、京周辺におけるそれよりも手薄になっていなければおかしい
そもそも、遅滞戦術云々は、防衛線を敷いた地域・拠点に対して相手が押してきてくれなきゃ成立しないだろ
その地点へ、徳川側が全軍でもって攻撃を仕掛けなければならない、という状態ならばまだしも
徳川方には他に侵攻ルートがあり、他に行動している有力な友軍があり、総数でも倍かそこらの優位に立っている
ならば、一手をもって豊臣主力を瀬田の線で拘束、他方から一手を迂回させて大坂への進出を図る、ってのが徳川方の採りうる妥当な手段じゃないか?
大和路でなくとも、時間はかかるけども琵琶湖をぐるりと回って西岸から京を狙うか
戦後処理の問題は大きくなるだろうが、西国諸大名に対する動員を強化して播磨から摂津へ大部隊を送り込むか
もちろん兵力の分散は大きくなるけど、全部同時平行で行ってもいい
兵力の優越を活かした多正面作戦で攻められた場合に豊臣方にまともに対抗する手段はあるのか、って話
694:名無し三等兵
10/09/25 22:38:58
>>693
それくらいの充分な兵力はあっただろう。
雇った浪人の使える武将ですら何人も居ただろう。
695:名無し三等兵
10/09/25 22:49:27
>>694
だろうだろうっておい
総数10万VS20万ってのが冬の陣における共通認識じゃないのか?
3路4路から多正面作戦を仕掛けてくる20万相手に、10万でどう縦深防御を成立させるのか具体的に言ってみろよ
初動でそれぞれに兵を分散させ、各地で防衛線を引く、という手段もあるにはあるが、
その場合、紀州勢・西国勢それぞれが、対峙した豊臣勢を拘束しつつ
徳川本隊が大和路防衛線か瀬田の防衛線かのいずれかに兵力を集中、数任せにぶちぬきにかかってくるのも目に見えてるだろ
またそれやった場合、初動でうまいこと京周辺を制圧し得るのか、って新たな問題も孕んでくるし
まさかナポレオンよろしく、内線の利を活かした各個撃破戦術でとか言い出すなよ
いままでの防御的な主張から180度転換も良いとこだぞ
696:名無し三等兵
10/09/25 22:55:14
各個撃破戦術といっている時点で、
縦深防御による遅滞戦術を全く理解していないw
697:名無し三等兵
10/09/25 22:56:34
話すり替えんなよ
多正面から進出してくる20万を10万でどう防ぐのか具体的に言って見ろ、っつってんだよ
698:名無し三等兵
10/09/25 23:00:28
>>697
充分、人材と兵力がある。
それに攻撃側が守備側の二倍程度では心許無い。
699:名無し三等兵
10/09/25 23:11:33
だーからその充分とやらを具体的に、初動の動きから防衛線を張る大まかな地域と兵力くらい述べてみろっつってんだよ!!
総数では倍でも、局所的に3倍4倍の優位を作ることもそれこそ充分に可能だ
攻撃側は、防御側に対して戦略的イニシアチブを握ってるんだからな
例えば大和路から6万、播磨から7万で攻め入られたとして、
京周辺にいる主力・大坂の守りにいる残余をどう動かして縦深防御を成立させる?
例えば初動から大和路に3万程度、摂津・播磨国境の要地に2万程度の兵を配して守りを固めさせていたとして
ならば京付近にいるのは、大坂城の守りに1万程度は残したとして残り4万そこそこだ
家康率いる10万越えの大軍相手に、数任せに殴りかかられてどうにかできる兵力差か?
地形を利した遅滞防御をうたってみたところで、圧倒的多数の前に押しつぶされるのが関の山だろうに
700:名無し三等兵
10/09/25 23:12:43
>>697が話すり替えに必死w
701:名無し三等兵
10/09/25 23:14:12
>>699は地の利の脅威を甘くみて理解していないw
702:名無し三等兵
10/09/25 23:25:24
史実の大坂方の攻撃力と徳川勢のヘナチョコぶりを見ると
10万vs4万で決戦なら十分チャンスはありそうに見える
703:名無し三等兵
10/09/25 23:36:10
だーーーーーーーーーかーーーーーーーーらーーーーーーーーーーさーーーーーーーーー!
地の利を得、充分な兵力で守る堅固な縦深陣地を構築しえたとして
そこをスルーされて別方面からの進出を図られるか
あるいは地の利による優位を帳消しに出来るくらいの数的優位を徳川方に得られるか
そのような状態に陥った場合、どう行動して防御を成立させるんだ、っていうんだい!
>>702
つーてもさ、確かに兵力差の割には際どい局面になりつつも、最終的に豊臣方は総崩れになっとるわけだし
それにこの場合、決戦っていうよりも攻城戦だろ
豊臣方は川に沿って守る、それを準備万端整えて攻める徳川方という形勢で、
夏の陣最終局面であったような、真田隊による家康本陣への突撃だとか、それに類似したような状況が現出される余地は、
よっぽど徳川方の誰かがトンチンカンなことをしないかぎり起こり得無いだろう
704:名無し三等兵
10/09/26 00:03:43
●信繁速い!殺人バファロー兵法に秀頼仰天
●信繁豪弾15発!秀頼公家康撃ち指令
●ド迫力の豊臣新助っ人信繁、陣地崩し任せろ
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●淀殿唸った!“猛将"信繁が重成殺した
●淀殿不敵!007歓迎、信繁の弱点探して
705:名無し三等兵
10/09/26 09:08:26
豊臣方は総崩れの最大の原因が、
バンザイ突撃だというのが>>703には理解できていないらしい。
>>661氏、>>698氏達の言っていることが極めて正論である。
706:名無し三等兵
10/09/26 09:57:30
これほどあからさまな自演も久々に見た
707:名無し三等兵
10/09/26 10:18:24
とりあえず、大坂の陣について言いたいことがあるなら最初に、「大日本史料」の
対応箇所を読んでからにしろと言いたい
ネットがあれば無料で閲覧できるんだ、文句はあるまい
708:名無し三等兵
10/09/26 13:45:04
>>660=>>703のようなこれほどあからさまな自演も久々に見たねw
709:660
10/09/26 13:58:22
>>708
違うわ、この無知が
710:名無し三等兵
10/09/26 14:22:22
>>709
お前、もういいよw
711:660
10/09/26 16:23:06
なんだ、早速逃げたか
712:名無し三等兵
10/09/26 16:32:15
なんだ、早速>>660が糞無能レスしたか
713:660
10/09/26 17:07:22
お~いお猿さん、同じこと何度もやって面白いかいw
714:名無し三等兵
10/09/26 17:28:23
お~いお馬鹿さん、同じように何度も馬鹿にされて面白いかいw
715:660
10/09/26 17:43:42
>>714
今度はオウムか、動物園だなこりゃ
716:名無し三等兵
10/09/26 17:50:24
オウム返される池沼w
717:660
10/09/26 18:06:18
>>716
自分自身のことよく解っているじゃん
718:名無し三等兵
10/09/26 18:33:35
>>717
自分自身のことよく解っていないほどキチガイじゃん www
719:660
10/09/26 18:55:13
>>718
うん、良く御理解しておられる
720:名無し三等兵
10/09/26 19:18:18
>>719
うん、良く御理解しておられる
721:660
10/09/26 19:47:30
>>720
うんうん、良く御理解しておられる
722:名無し三等兵
10/09/26 20:38:26
>>721
w
723:名無し三等兵
10/09/27 03:55:10
もうウザイからどっちも消えろ
オウム返ししかできない低脳の煽り合いも見飽きたわ
724:名無し三等兵
10/09/27 08:49:11
どう考えても、オウム返されるやつの方が低脳w
725:名無し三等兵
10/09/29 14:03:41
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726:名無し三等兵
10/10/02 06:03:11
さーて次回の大阪の陣は
・秀頼、秀忠と小学生レベルの煽りあい
・家康、胃が痛む
・真田丸、シーシェパードを蹴散らす
の3本です。
727:名無し三等兵
10/10/02 06:27:15
もし家康が冬の陣前に死んでたらどうなってた?
728:名無し三等兵
10/10/02 13:33:57
だから最後は家康の命だけを狙ったわけで
729:名無し三等兵
10/10/18 19:14:31
宇治川での防衛が一番妥当だったわけだな。
730:名無し三等兵
10/10/18 19:19:21
>>704>>735
ゲキワロ
731:名無し三等兵
10/10/21 00:59:24
一条殿に匹敵する軍才のやつがいるな
732:名無し三等兵
10/11/04 19:20:44
?
733:名無し三等兵
10/11/04 21:00:48
軍とは巧遅より拙速をもってなるべし
734:名無し三等兵
10/11/04 21:07:37
会戦が開始される前に勝敗が決しているのが大規模戦闘の常
735:名無し三等兵
10/11/04 21:23:44
>>734は一件玄人っぽいが素人の見かただな
736:名無し三等兵
10/11/04 22:32:10
倍くらいの戦力差なら、戦術でそれを引っ繰り返した例は幾らでもある
737:名無し三等兵
10/11/04 22:42:58
タイムスケジュール考えたら
冬の陣で10月上旬に京~宇治勢田へ出陣とか絵空事も良いとこにしか見えんがね
738:名無し三等兵
10/11/04 23:08:38
まぁ、でも俺らよりダンチで経験のある浪人集が主張してた訳だし
739:名無し三等兵
10/11/04 23:19:16
>>736
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし
740:名無し三等兵
10/11/04 23:48:37
>>739
いやいや
下馬評不利の中で勝った将は勝つための手を打った上だからこそ
勝ち目が見えたときに逃さず勝利の女神が微笑んだのだよ
741:名無し三等兵
10/11/05 00:55:22
勝つ為の策を全く生み出せなかったのに
伝染病やらの発生で勝手に敵が自滅した例もあるけどな
742:名無し三等兵
10/11/05 04:43:29
>>740
敵失がない限りランチェスターは覆せない
743:名無し三等兵
10/11/05 13:02:36
>ランチェスター原則
敵失云々の事柄ではないんだが
744:名無し三等兵
10/11/05 22:17:41
同じスペックが前提だから脳みそに差があったら通用しない
745:名無し三等兵
10/11/16 20:48:56
大坂冬の陣で徳川方で出陣していたのに、
何故か大坂夏の陣では豊臣方で出陣するとは、
増田長盛父子は一体何がしたかったんだ?
746:名無し三等兵
10/11/16 22:59:51
やはり恩ある自分は豊臣の為に死ぬべきだ
って考えじゃなかろうか
こうゆうの結構あるよ
親子揃っては珍しいし、その結果は取り潰しじゃなかったかな
747:名無し三等兵
10/11/17 08:02:31
そもそも増田長盛の行動が、
関が原の西軍の敗因の遠因になっていたのではなかったか?
関が原で西軍が勝利していれば・・・
748:名無し三等兵
10/11/17 12:56:42
>>747
>関が原で西軍が勝利していれば・・・
ふっ、隠し兵力4万を忘れたのかね。
749:名無し三等兵
10/11/17 17:38:02
>>748
家康の屁タレ次男はどうなんだ?www
750:名無し三等兵
10/11/17 22:05:57
秀康がどうしたって?
751:名無し三等兵
10/11/18 09:55:47
まあ、家康の次男・三男は屁タレだがwwwww
752:名無し三等兵
10/11/18 21:21:01
>>749
いや、その、何と言いますか、背水の陣をひくため、わざと遅刻させたんですわ
753:名無し三等兵
10/11/20 16:51:08
スレ違いになるけど、秀康ってヘタレだったのか?
754:名無し三等兵
10/11/20 17:27:33
>>753
屁タレだろ、秀吉の息子だったくせに
豊臣の恩を忘れて徳川と豊臣の調整・執り成しすらやろうとすらしなかった。
755:名無し三等兵
10/11/21 14:29:42
真田丸
756:名無し三等兵
10/12/02 16:24:38
水野勝成のテンションの高さはガチ
757:名無し三等兵
10/12/05 12:30:02
会戦が開始される前に勝敗が決しているのが大規模戦闘の常
758:名無し三等兵
10/12/05 13:13:01
事前に勝敗が決しているなら
刻々と入る情報を処理する参謀本部は仕分け対象だなw
759:名無し三等兵
10/12/05 17:32:12
戦略で全てが終わるなら戦術なんか要らんじゃん
760:名無し三等兵
10/12/06 17:54:23
>>756
渡辺了もそうだな。
水野勝成の方は運良く敵を駆逐できる状況がそろっていたが、
渡辺了の八尾での戦闘以外は運に見放され、
手痛い被害を受けているね。
尤も、水野勝成も部隊としては甚大な被害を受けており、
伊達政宗から諌められてなかったら、
真田勢あたりに討ち取られていても可笑しくない。
761:名無し三等兵
10/12/11 22:19:26
宇治川防衛策が一番妥当。
762:名無し三等兵
10/12/12 00:57:48
>>761
実戦経験の無い連中が反対していますw
浪人は信用できないそうです。
(だったら呼ぶなよなぁw)
763:名無し三等兵
10/12/12 14:45:28
つうか、浪人側も「大将に積極性がない。これでは徳川と戦えぬ」
とか言って出てく振りして主導権を得るとかすればいいような気が
764:名無し三等兵
10/12/12 14:48:41
とにかく、淀君が問題。
秀頼さえ出陣してれば、かなり戦略に幅が出てくるのだが。
秀頼直属の優秀な旗本勢の大軍が使われず、
そのまま目立った動き無く壊滅してしまったし。
765:名無し三等兵
10/12/12 14:52:30
淀君は後世の後付だろう
所詮母親が戦に口出しすることはないと思う。
おそらく普代の連中が好き勝手言ってたんだろ。
766:名無し三等兵
10/12/13 21:04:49
>>764
夏の陣で七手組が信繁に続いて家康本陣を襲撃していれば、家康の首級挙げられたろうに。
そうなれば秀忠は戦場離脱し、引き分けにはこぎつけられたと思う。
767:名無し三等兵
10/12/13 21:13:41
片目の人の口元が歪むのが見える
768:名無し三等兵
10/12/13 21:33:52
翌年、そこには元気に秀頼に土下座する正宗の姿が!
769:名無し三等兵
10/12/14 00:12:36
会戦が開始される前に勝敗が決しているのが大規模戦闘の常
770:名無し三等兵
10/12/14 11:13:28
>>769
カンネーの戦いや赤壁の戦いは例外ですか。
771:名無し三等兵
10/12/14 16:04:59
カンネーはローマに対して兵力、練度、士気で劣勢
カルタゴが有利なのは左右の騎兵と己の知略のみ
この状況で包囲殲滅のパーフェクトビクトリーだからハンニバルが凄すぎる
772:名無し三等兵
10/12/14 16:09:48
結局秀吉は無理に天下をとりすぎた(あそこでしか天下とれないけど)
家康を毒殺、謀殺なんでもいいからとりあえず殺す必要があったが
人が良かったというのもあるだろうし
世間体を考えると出来なかった
もうそこで決着はついてるよ
国を2分する戦いになったら戦術で戦略には勝てない
773:名無し三等兵
10/12/14 17:49:30
>>772
というか、秀吉の警戒の対象は家康よりも
九州・中国などの西国に重点的過ぎたということもあると思う。
事実、幕末・明治維新を考えれば結果的には秀吉の警戒の対象は
間違ってなかったと言えるかもしれないが。
774:名無し三等兵
10/12/14 20:36:23
蒲生氏郷が生きてたら、家康抑えとしても有効に機能したのかな・・・
775:名無し三等兵
10/12/16 04:24:17
日本史とかって勉強する意欲なくすよね
誰がチョンマゲハゲ共のことなんか知りたいんだよ
アタシは日本史なんて興味ねぇし、そんな知識を頭に詰め込んだって無駄だと思ってる
どうせ歴史勉強すんならアマゾネスのこととか勉強したい
アマゾネスってのは女戦士だけの国のことだよ
女の理想郷だよね
こういう国の勉強なら糞つまんねぇ授業もいくらか有意義になるよ
776:名無し三等兵
10/12/16 22:00:34
>>774
微妙な気が・・・
777:名無し三等兵
10/12/16 22:31:22
越後に上杉、会津に蒲生、常陸に佐竹
秀吉の構想どうりガッチリ対徳川包囲網に見える
778:名無し三等兵
10/12/17 01:04:57
全員が気づいたら徳川方に居そうだけどな
家康の黒い腹的に考えて
779:名無し三等兵
10/12/17 16:36:53
大阪城の浪人は士気が高いと言われながらも、
当たらんが音が大きい大砲を昼夜撃ち続けて眠らせないようにして
(あと、定期的に大声やのろしを上げさせたり)
浪人の士気は寝不足疲労で相当に低下していたとNHKではあった。
淀殿近くへの直撃は単なる講話のきっかけに過ぎず、
厭戦気分も相当なものだったらしい。
食料・燃料不足で窮地に立った家康の、頭の良さが分かるエピソードだった。
息子さんはまあ政治家としては立派なわけで・・・
780:名無し三等兵
10/12/17 16:43:28
浪人衆は篭城に反対だったからな。
譜代も篭城がこんなに大変だとは思わなかったんだろう。
781:名無し三等兵
10/12/17 17:55:48
つうか、普代が癌だな
内通者も浪人より多そうな勢いだし
782:名無し三等兵
10/12/17 21:49:14
>>779
>当たらんが音が大きい大砲を昼夜撃ち続けて眠らせないようにして
(あと、定期的に大声やのろしを上げさせたり)
浪人の士気は寝不足疲労で相当に低下していたとNHKではあった。
後付け設定のような気もするけどな。
当時の総構の縄張りを考えるとそんなに効果があるとは思えない。
何より定期的に大声やのろしを上げる方がまず疲労困憊するが。
783:名無し三等兵
10/12/18 17:40:58
宇治川防衛策
784:名無し三等兵
10/12/18 19:16:19
伏見城があるから無理
785:名無し三等兵
10/12/18 19:20:29
伏見城など軽く落とせる。
786:名無し三等兵
10/12/18 19:53:43
当時の伏見城城番
城代…松平定勝(五万石)
在番…大番二組(十万石換算)
その他定番多数
とするから、少なく見ても五千程にはなる
数日持てば近隣から大名が押し寄せるのでこの間に落とすのは先ず不可能
787:名無し三等兵
10/12/18 20:45:49
そもそも伏見城は篭城用の要塞ではなく、居館程度の縄張り。
そして当時の伏見城はかなり縮小されて丸裸同然の状態。
また、大坂方は総構のある堅城である郡山城を容易に落としている。
そもそも>>784=>>786が池沼なのは、この前スレッドから何度も議論され、
「大坂方によって容易に伏見城が落城する」ということが結論が出ているのに、
それを理解していないところから来ている。
788:名無し三等兵
10/12/18 20:50:56
>>787
正論ですな。
789:名無し三等兵
10/12/18 21:28:20
>>787
規模的には関ヶ原の時の籠城範囲と同じで、兵力はこちらの方が多い
後、郡山城は戦う前に逃げている
790:名無し三等兵
10/12/18 21:32:12
>>789
規模的には関ヶ原の時の籠城範囲から縮小され、兵力でも大坂側の方が多い
後、郡山城は士気の盛んな守備部隊が頑強に抵抗している。
791:名無し三等兵
10/12/18 21:50:28
>>790
大間違い
関ヶ原の時の籠城範囲は本丸、西丸、三の丸、治部少輔丸、名護屋丸、松丸、太鼓丸で
これはその後の伏見城とほぼ同じ
兵力って出陣もしていないのに、出撃可能な数がよく判るな
郡山城についてはそんな話は初耳だね
792:名無し三等兵
10/12/18 22:04:27
>>790
大間違い
関ヶ原の時の籠城範囲は本丸、西丸、三の丸、治部少輔丸、名護屋丸、松丸、太鼓丸で
これはその時に規模縮小され伏見城とほぼ同じではない。
兵力って出陣もしていないのに、出撃可能な数がよく判るな
郡山城について知らないとはそんな話は初耳だね
793:名無し三等兵
10/12/18 22:09:36
>>792
大間違い
関ヶ原の時の籠城範囲は本丸、西丸、三の丸、治部少輔丸、名護屋丸、松丸、太鼓丸で
これはその後の伏見城とほぼ同じ
兵力って出陣もしていないのに、出撃可能な数がよく判るな
郡山城についてはそんな話は初耳だね
794:名無し三等兵
10/12/18 22:14:47
>>793
大間違い
関ヶ原の時の籠城範囲は本丸、西丸、三の丸、治部少輔丸、名護屋丸、松丸、太鼓丸で
これはその時に規模縮小され伏見城とほぼ同じではない。
兵力って出陣もしていないのに、出撃可能な数がよく判るな
郡山城について知らないとはそんな話は初耳だね
795:名無し三等兵
10/12/18 22:23:51
>>794
縮小されたのは御花畑山荘・徳善丸・大蔵丸の部分
796:名無し三等兵
10/12/18 22:40:00
つまりもはや丸裸同然ってとこだな。
797:名無し三等兵
10/12/18 22:48:51
>>796
本丸、西丸、三の丸、松丸、名古屋丸、治部少輔丸、四の丸等があるのに?
798:名無し三等兵
10/12/19 06:31:17
というかだな。
大阪方に即出戦の気配があると分かった段階で
伏見には相応の増援が入って当たり前だし
周辺諸大名の動員も早まって当然
平時の在番衆しか入っていない想定で伏見の守りを云々するのは馬鹿げてる
京都所司代が数万の大兵団の出撃を察知できないレベルの低脳で
戦略奇襲に成功すると強弁するのか?
また奇跡的にそうなったとしても、2・3日も保てば城側には援軍が続々到着するわけで
伏見クラスの城が、その期間すら持ちこたえられないとか、常識で考えてまずあり得ん
2000そこらの兵力で4万の攻撃に2週間耐えた実績のある城だぞ
799:名無し三等兵
10/12/19 09:19:42
>>798
実質的には4万も無いだろ。
それに既に議論で何度も既出だが、
瀬田川防衛策というのはそこで完全に敵を食い止めることを前提にしているわけではないzp。
800:名無し三等兵
10/12/19 14:02:52
>>799
真田の発言からしても、確かにそうだよな。
まずそもそも、関が原の戦いの時点で、
伏見城は西軍によって徹底的に焼き払われ完全に焼失してしまっているのだが。
801:名無し三等兵
10/12/19 14:46:03
日本の城の場合、跡地に野戦築城すれば8割方城としての役目は果たせそう
802:名無し三等兵
10/12/19 15:03:35
野戦築城では逆茂木や掻揚げの土塁を作ることがせいぜいで、
木の柵程度では一度の攻撃にしか耐えられない。
803:名無し三等兵
10/12/19 15:35:18
>>800
その後に徳川家の天下普請で復興されているのも知らないのか
天守まで再築されているんだが(寛永度に二条城に移築)
804:名無し三等兵
10/12/19 15:55:48
>>803
知っているが、かなり規模が縮小され乱造な作りだ。
大体、家康から見て京都での宿舎以上の役割でしかないのだから、
小規模で手の込んでいない城郭で当然。
二条城のように一揆勢のような暴動や間者の侵入を防ぐことができる程度のレベルの城郭で充分。
805:名無し三等兵
10/12/19 16:02:15
家康による伏見城の再建は、
計画段階からして規模縮小されている。
尚且つ、しばらくして再建を放棄して、
残りの資材は駿府城築城に使用されているわけであって、
大坂の陣時にはほとんど完成されてなかったのだが。
806:名無し三等兵
10/12/19 17:01:34
>>804
全国各地に廃城後の建物を移築したという記録がある大城郭なんだけど
それに伏見城は大坂城を徳川が手に入れるまでの畿内における統治・軍事拠点
>>805
慶長7年より天下普請を行い、以後9年、10年、11年と工事を行っていますが
後、駿府城築城に資材を使ったなんて話はない
金銀・荷物を移動しただけ
807:名無し三等兵
10/12/19 17:33:51
>>802
何言ってんだ? 一度の攻撃に耐えられるなら充分だろ
その間に四方から援軍が来る
だいたい
10月1日に両陣営手切れ
↓
10月8日に真田大阪入城
↓
23日に家康京に到着
というタイムスケジュールだ。大坂方の出撃は、どう早く見積もっても10日。浪人衆の編成に要する時間を考えればもっと後になるかもしれん
京の守りに不安があり、なおかつ大坂から大規模出撃の気配があるなら
京の守備隊も全力で陣地を構築して当たり前。
いや、そもそも、時間的余裕があるならば伏見に篭城する必要すらないか。
山崎あたりに出張って防衛線を引けばいい。
伏見の守りが薄いとか厚いとかの議論は本質的ではない。
問題なのは、大坂方の出撃させうる兵力で、京の南に構築されるだろう防衛線を抜けるかどうかだ。
808:名無し三等兵
10/12/19 18:58:10
>>807
一度の攻撃に耐えるだけでは一蹴される。
そもそもそれなら大坂方の策にのって、
宇治川で対陣する方が東軍側としても安上がり。
809:名無し三等兵
10/12/19 19:00:11
WIKI伏見城項目より
>駿府城の改築の為、翌1606年(慶長11年)頃には伏見城の作事も停止され、器材や屋敷も駿府城へ運ばれていった。
810:名無し三等兵
10/12/19 19:21:18
伏見城再建は、大名屋敷などの各大名の宿泊所を築造することから
先に始められているので、要塞としての設備の築造は二の次のようなんだが。
811:名無し三等兵
10/12/19 20:14:17
>>809
それ間違い
「当代記」には「金銀、段子、金襴以下諸財貨共」
「慶長見聞録案紙」にも「荷物長持以下」
屋敷というのは「当代記」文中の近習が畳や戸まで持っていった事を誤認したのでしょう
812:名無し三等兵
10/12/19 20:17:37
>>810
五年もあれば両者とも十分復興しています
813:名無し三等兵
10/12/19 20:56:02
>>811
なら、先にWIKIの記述を訂正して来いw
814:名無し三等兵
10/12/19 21:16:22
>>812
5年だけでは復興できていませんw
815:名無し三等兵
10/12/19 21:44:52
>>813
自分にそんな義務はないんだが
>>814
へー、秀吉の時は1年少しで完成したのに?
816:名無し三等兵
10/12/19 21:50:55
>>815
財力が違うし、何より家康にとって必要なのは>>804>>810にある通り。
それにwikiの記述を訂正する義務がお前にある。
817:名無し三等兵
10/12/19 22:16:39
>>816
具体的にどう違うの?
それに家康の方は基本的に建物建て直すだけで良いんだけど
後、家康は駿府城に移るまでは江戸城より伏見城多くいたから
その意味でも防備を固めるのは当然
そんな義務はないがしたい奴がするのがウィキ
ヤレというなら金を出しな
818:名無し三等兵
10/12/19 22:48:56
>>817
>>804>>810参照。
又、
ウィキの記述が間違っていると思う奴に訂正する義務が発生するのがウィキ
819:名無し三等兵
10/12/19 22:56:46
いつからwikiは拘束力を持つ団体になったんだ・・・
820:名無し三等兵
10/12/19 23:02:36
>>818
間違い、リチャード・コックスによるとロチェスターの街より遥かに大きく、
その内部は非常に美しく、豪壮であるとある
821:名無し三等兵
10/12/19 23:10:13
>>820
つまり、城(要塞)ではなく家(居館)として凝った造りなんですね。
822:名無し三等兵
10/12/19 23:14:07
>>821
防御機能とは櫓と塀と門を建てることだから、城としても舘としても非常に美しく豪壮であるということ
城の石垣のみに館だけあってそんな感想抱くのはバカだけ
823:名無し三等兵
10/12/19 23:30:28
今の大阪城の話だが、欧米人が観光で訪れて
「これはCastleじゃなくてFortressだね」って結構言うらしい
824:名無し三等兵
10/12/19 23:59:41
単に西洋の城が要塞としての機能を持ってなかったってだけだけどな
日本の場合陣張りの概念を最初から持ち合わせていたので、わざわざ城と要塞を分ける必要がなかった
825:名無し三等兵
10/12/20 17:53:17
>>822
防御機能とは櫓と塀と門を建てることだから、城としてではなく舘としては非常に美しく豪壮であるということ
城の石垣のみに館だけあって防御機能があるそんな感想抱くのはバカだけ
826:名無し三等兵
10/12/21 19:07:17
伏見城:城主松平定勝、5万石 兵員 1300名。
二条城:大番組1組、兵員400名
程度と推測されますが、夜間勤務は当時の慣習で全兵員の一割程度と考えられます。
10月1日夜間奇襲をかければ130程度の兵員しかおらず、伏見城は城内進入路は五箇所、
守備兵は多くとも一箇所20名程度、手間取りもしないと思います。伏見城に大番組
が常駐していたと言う記録はないと思います。
827:名無し三等兵
10/12/21 21:37:31
伏見城は1606年以後再建中止されて、
事実上廃城化されているからな。
828:名無し三等兵
10/12/22 14:57:24
>翌慶長7年(1602年)6月には藤堂高虎が普請奉行に起用され、同年末頃にはほぼ再建がなり、
>その後も作事は続けられたが、駿府城の改築の為、翌1606年(慶長11年)頃には伏見城の作事も停止され
1602年の段階で基本完成し、その後4年間増改築が続いていたと書いてあるようですが。
829:名無し三等兵
10/12/22 17:22:14
基本完成=居住空間(大名屋敷など)完成
830:名無し三等兵
10/12/22 21:22:34
>このころより大坂城に移っていた大名屋敷が伏見城に戻ってきたが、関ヶ原の戦い直後に城下町は焼き払われており、跡地に東西両軍の大名に与えられたと考えられている。
大名屋敷は城下に作られたようですが
>同年御殿建設に伴い、徳川家康も本丸から西の丸に移り、更に二条城に移るが、本丸部分が完成する同年8月20日には伏見城に帰城する。新しくなった御殿で徳川秀忠の
>将軍宣下が執り行われた。
慶長10年(1605年)のことだそうですが、明らかに居住空間後回しにしてますが
831:名無し三等兵
10/12/23 18:04:24
>>830
居住空間が先のように見えるがwその記述ではw
832:名無し三等兵
10/12/23 19:41:50
>>831
1602年、(1年ほどの突貫工事で)城がほぼ再建
1605年、(将軍宣下のために)御殿建設
833:名無し三等兵
10/12/23 22:18:38
1602年、(1年ほどの突貫工事で)城がほぼ再建
↓
居住空間の再建w
1605年の御殿建設は豪華にしただけw
834:名無し三等兵
10/12/24 06:31:24
て言うか、
>再建は木幡山伏見城を踏襲されているが、弾正丸、大蔵丸、得善丸、御花畑山荘と呼ばれている北西部の曲輪群と
>それを取り巻く堀は放棄された
一部除いて元の城を再現しているようですが
835:名無し三等兵
10/12/24 08:00:01
突貫工事の意味が分かっておらんようだw
836:名無し三等兵
10/12/27 00:38:22
なんだかしらんが、突貫工事という言葉は城としての機能の有無に関係ないんじゃないか?
もう何が争点なのか俺には理解できん
837:828
10/12/27 01:43:06
>>836
828
御殿の整備を後回しにしていることからも、要塞としての城の機能を回復するために突貫工事を行ったのでは、ということです。
引用はすべてウィキペディアからですが、要するにウィキペを見た限りでも、伏見城が廃城同然なんてのは嘘っぱち、ただの大名屋敷だったというのも
嘘っぱちと言って差し支えないと言いたかっただけでして。
そこに居住空間太郎さんが絡んできていただけです。
838:名無し三等兵
10/12/27 17:28:33
>>836
御殿の整備を先にしていることからも、城館としての御殿の機能を回復するために突貫工事を行ったのでは、ということです。
引用はすべてウィキペディアからですが、要するにウィキペを見た限りでも、伏見城が要塞堅城同然なんてのは嘘っぱちであり、ただの大名屋敷だったというのも
正論と言って差し支えないと言いたかっただけでして。
そこに要塞堅城太郎さんが絡んできていただけです。
839:名無し三等兵
10/12/27 18:08:26
え、なにここ
840:名無し三等兵
10/12/27 18:47:12
低脳>>828を嘲笑するスレw
841:名無し三等兵
10/12/27 23:39:59
議論の内容は興味ないがレッテル張りは無能の証明だぞ
842:名無し三等兵
10/12/28 08:43:55
廃城後に福山城等に多数の櫓や門が移築されているから、伏見城は城郭として完工している
843:名無し三等兵
10/12/28 15:18:12
多数の櫓や門が移築されているからといって、
城郭として完工していたとは言えない。
ちゃちなものだから。
844:名無し三等兵
10/12/28 15:27:10
>>843
多数の櫓や門があるのにちゃちな城なのか
では後、何が必要なんだろうな
845:名無し三等兵
10/12/28 15:57:15
>>844
じっくり腰を据えた工事。
846:名無し三等兵
10/12/28 16:09:09
>>845
建築で抽象的な物言いは何も言っていないに等しい
847:名無し三等兵
10/12/28 16:23:29
>>845ほど具体的な指摘は無い。
848:名無し三等兵
10/12/28 16:36:55
>>847
固有名詞の無い文章が具体的とは笑わせる
849:名無し三等兵
10/12/28 17:37:05
URLリンク(wpedia.mobile.goo.ne.jp)
家康自身二条城を堅固にするなと指示している、理由は敵に乗っ取られた場合落とすのにてこずるかららしい。
伏見城も同じ理屈で余り堅固にしてないと思う。
850:名無し三等兵
10/12/28 17:42:28
>>849
普通は京と伏見のどちらかを選択して守る為、二条城を簡易にして伏見城を堅固にするという
考えになると思うのだが…
851:名無し三等兵
10/12/28 17:52:42
>>850
伏見城再建のとき堅固にしたとの記録ないと思う。家康は最悪二条城落とされると考えていたようだ、伏見城の兵力も千数百のようだし、
余り強固にする気なかったように思う。西方からの敵には膳所城、彦根城での対応考えていたと思う。
852:名無し三等兵
10/12/28 18:06:05
このスレっていつもこんなにアレなの?
853:名無し三等兵
10/12/28 18:50:36
>>851
普通に伏見城は堅固ですが
後、その千数百というのは関ヶ原の話?
膳所城・彦根城は譜代大名の城、伏見城は幕府の城、立ち位置が根本的に違う
>>852
瀬田川防御策が可能だと頑なに信じているのがいるので
854:名無し三等兵
10/12/28 19:48:53
頭固てぇなぁー
瀬田川の方に打って出るのは局面を流動的にするためだろ
855:名無し三等兵
10/12/28 19:59:11
前提として京を焼き、伏見城を落とすことを前提としているが
856:名無し三等兵
10/12/28 21:00:57
>>852
>>853みたいな池沼がいるからだよ。
伏見城は簡単に既に証明されているのに認めようとしないし。
そもそも伏見城が堅固だという根拠が何一つ無い。
857:名無し三等兵
10/12/28 21:11:02
だいたい、伏見城を要害にする馬鹿はいないだろうw
二条城と同じように居館程度の防御能力で充分。
当時の感覚では、本格的に居館+要害の要素を共に持たせるならば、
総構にしている筈。
険しい山城ならばともかく、総構もないのに要害の設計する合理的根拠を持たない。
858:名無し三等兵
10/12/28 21:29:39
>>828=>>853=>>855のキチガイさに呆れ果てるw
859:名無し三等兵
10/12/29 13:36:41
まともな意見すら出せないのに延々とレッテル貼りしてるだけの馬鹿は何がしたいんだ?
はっきり言って邪魔なんだが
860:名無し三等兵
10/12/29 14:02:35
>>857
URLリンク(ja.wikipedia.org)
「主な総構えの城」の項目を参照
>>859
話の通じる相手ではないので、専ブラあぼ~んが吉かと
861:名無し三等兵
10/12/29 15:51:48
>>859
>>860みたいなキチガイだからじゃない?
>>860の自分の持ってきた史料でさえ、
むしろ伏見城は堅固でない事が伺えるのにw
862:名無し三等兵
10/12/29 16:17:00
そもそも大名屋敷などが既に廃止され取り壊されているのに、
当時も「総構」とは笑えるw
863:名無し三等兵
10/12/29 18:27:41
結局のところ、宇治川防衛策が妥当だったという証拠しか出てこないわけだ。
864:名無し三等兵
11/01/01 11:04:55
瀬田川防衛策が最強!
865:名無し三等兵
11/01/01 15:11:29
>>864
10万の豊臣軍の内7万で宇治川に陣を敷き、3万の部隊を大阪城に待機さす。こうすれば徳川軍の部隊は東西に二分され、西の部隊は
大阪城の部隊に側面を衝かれる恐れがあり、播磨より西には進軍できない、又家康の命令も西に伝わらなくなり、西の幕府軍は死兵と化す。
東の部隊は10万前後と予想される、事実将軍宣下や秀頼との会見時家康の動員した兵力は10万前後、宇治川で決戦を行えば勝敗の
帰趨は不明、ただ、夏の陣での徳川本隊や譜代衆の弱体振りを見れば豊臣軍の圧勝と考える。徳川軍本隊や譜代衆は小牧長久手以後
まともな実戦経験が無く、九州、朝鮮、関ヶ原で実戦経験豊富な浪人衆の相手では無いと思う。
866:名無し三等兵
11/01/01 21:17:22
>>865
それは幸村達が進言していたなw
867:名無し三等兵
11/01/01 21:46:09
伏見城堅城厨が必死に堅城だと妄想で語っているけど、
仮に堅城で伏見城を豊臣方が落とせなくても、
伏見城に押し込めておくだけでも充分だろうに。
その間に朝廷への工作や京の物資を接収して大阪に運んだり出来るのに。
もっとも、郡山城のように伏見城は豊臣方に落とされるだろうけどね。
>>865
宇治川で対陣している間に、
各地の既存の寺院などを利用して、
大坂全土を陣地構築させておく時間稼ぎにもなるからね。
真田信繁の「その見込みが無いときに初めて城に立て籠もって戦う」
という発言にあるように本来の目的は、
徳川方に出血を強いる遅滞戦略が狙いだからな。
868:名無し三等兵
11/01/01 21:49:54
>>867
最終的に篭城戦になるにしても緒戦における縦深の確保は必須だからね
869:名無し三等兵
11/01/02 01:22:30
互いの意志疎通すら怪しい豊臣方が、C4I揃えた現在の軍事革命なみに効率良く戦力を運用出来る訳ない。
それが可能という前提であれば、あれこれ考えてみるのは楽しいし、実際に勝てる可能性も高かっただろうが。
870:名無し三等兵
11/01/02 01:45:08
関が原の頃なら、簡単に徳川を叩き潰せたのになぁ
871:名無し三等兵
11/01/02 09:28:05
夏の陣をみてると、少なくとも徳川軍より豊臣軍の方が効率良く戦力を運用出来ている。
まあ熟練した武将ぞろいだから。
872:名無し三等兵
11/01/02 09:33:36
天王寺の戦いはバンザイ突撃としか言えない
873:名無し三等兵
11/01/03 22:23:43
バンザイ突撃にしては、
非常に規律だって組織的な攻撃だな。
874:名無し三等兵
11/01/03 22:49:18
いや、単に相手が崩れたので、そのまま突撃
勢いに任せて突き進んで、徳川方が味方の壊乱に引きずられるのに乗じて
突っ込んだだけなんだが
因みに、幕府の直轄戦力である大番の中で戦死者を出したのは
例外として前田と井伊の間にいた高木正次組だけだったりする
これを見ても天王寺・岡山の豊臣方の「突撃」がどの程度か類推できるというもの
875:名無し三等兵
11/01/04 00:45:52
> いや、単に相手が崩れたので、そのまま突撃
> 勢いに任せて突き進んで、徳川方が味方の壊乱に引きずられるのに乗じて
> 突っ込んだだけなんだが
相手の陣が崩れたら体制を立て直すまで
待っとけとでも言うのかよ
876:名無し三等兵
11/01/04 01:11:19
あの福島正則でさえ、宇喜田如きの軍を突撃で崩せなかった
877:名無し三等兵
11/01/04 05:42:37
>>875
悪手とは言わないけど、長期戦に持ち込んだほうが良いんじゃないの
当時の幕府・藩財政は逼迫していたから
878:名無し三等兵
11/01/04 19:01:14
>>877
それが成立するのは冬の陣の話でのこと。
そもそも「幕府の直轄戦力である大番の中」という
非常に狭い限定を置いて逃げて、
豊臣方の突撃を否定する論拠のがどの程度か類推できるというもの 。
徳川方の諸部隊は軒並み甚大な被害を出している時点で、
豊臣方の「突撃」がどの程度か類推できるというもの
879:名無し三等兵
11/01/04 19:51:47
>>878
野戦築城でも防戦に徹すれば良い所まで行くと思うが
本多忠朝の徳川先手が崩れたのはそこら辺にあるだろうし
後、大番は旗本先手を担う連中だよ
こいつらが討死していないなら、先ず豊臣方はそこまで来ていないね
880:名無し三等兵
11/01/04 21:55:15
>>879
勝 ち 戦 が 分 か っ て い る の に 討 ち 死 に し た い 馬 鹿 が ど こ い る ! w
881:名無し三等兵
11/01/04 22:00:00
>>880
突撃バカはたくさんいたよ
何しろこれが終わったら、次なんてあるとは思っていなかったから
882:名無し三等兵
11/01/04 22:14:10
なら、突撃バカじゃなく、冷静で的確な突撃だなw
883:名無し三等兵
11/01/04 22:23:38
>>882
いや、881は豊臣方でなく徳川方の事を言っているんだが
884:名無し三等兵
11/01/05 07:30:10
>>883
?。だから、冷静で的確な突撃なんだろ
885:名無し三等兵
11/01/05 10:53:44
>>884
??
後先考えず、孤立し殲滅されることを承知の上での突撃が
「冷静で的確な突撃」とは私は思えんな
886:名無し三等兵
11/01/05 11:34:20
突撃したからといって、
「孤立し殲滅される」とは限らない。
887:名無し三等兵
11/01/05 12:11:38
>>886
後続・後詰がいない突撃は孤立し殲滅される
しかも天王寺のは現場の判断によるとっさの判断
これに後詰が即座に反応するというのはご都合主義極まれり
888:名無し三等兵
11/01/05 12:46:07
結局のところ、宇治川防衛策が妥当だったという証拠しか出てこないわけだ。
889:名無し三等兵
11/01/05 14:50:39
>>887
戦場は予想通りには動かない、状況に応じて即座に判断できる指揮官が古来名将と称される。
後詰の指揮官に将才がなかっただけだろう。
890:名無し三等兵
11/01/05 16:36:19
>>889
無線がある時代でも難しいのに、伝令のみの当時では先ず無理
何しろ、開戦から総崩れまで僅か3時間、しかも酷い混戦なんだし
891:名無し三等兵
11/01/05 16:43:16
後詰が即座に反応するのは、
古今東西の戦の前提なのだが。
892:名無し三等兵
11/01/05 16:57:18
前提というより理想
そして理想は大抵、失敗する
893:名無し三等兵
11/01/19 17:14:46 k2rRXsqg
>>887 >>889-892
戦慣れした明石全登に兵3千ほど付けて、」後詰に配置しておけば、適切な時期に
突撃し家康の首はねられたのにと思う。
894:名無し三等兵
11/01/19 17:19:15
>>893
その「適切な時期」を見極めるなんて不可能と断言しても良い
895:名無し三等兵
11/01/19 22:04:12
そこは総指揮を下すはずの秀頼が歳が一つ違いのグスタフ・アドルフぐらいの指揮能力があれば…
896:名無し三等兵
11/01/19 22:19:34
>>805
グスタフは前線指揮だったし(それが故に死んだけど)、密集陣形が基本の西洋とは
指揮統制のレベルが全く異なる