11/08/16 06:28:46.96 Xx+bSInj
終戦記念日の昨日、靖国で多くの人の話や演説を聞いたが、やはり勝ち負けに関係なく戦うべき時には戦うべきであることを深く噛みしめた。
敗戦間際の南の島では、豊富な兵力で押し寄せてくる米軍を相手に、弾丸が尽きた日本兵は銃剣で最後まで抗戦し虐殺されていった。
非戦闘員の女まで農具や竹竿を武器に米兵と死闘して殺された。
米兵に海沿いの断崖絶壁に追いつめられ「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ」を信条に天皇陛下万歳!を叫びながら海に身を投じた人も多かった。
戦うとか自分や肉親たち、祖国を愛するとはこういうことだ。負けても、そうすることによって大和民族の誇りを示した。
大戦末期にはもう負けることはわかっていた。
しかし、親兄弟のため妻子のため恋人のため、多くの若者たちが帰還する燃料のないゼロ戦に乗り米軍空母に突撃し南の海に尊い命を散らせていった。
野村昭善にそんな勇猛心が欠片でもあれば、あんなブザマでみっともない死に方はしなかっただろう。
そして、末松須弥代も生き恥を晒さずに済んだかも知れない。
野村のような軟弱チキン男が増殖すると日本は戦わなくても内部から崩壊、自滅する。
野村を擁護する寺田の言い分は、まさに反戦市民団体や左翼、日教組の主張と同じである。
日本の何倍もの人口や国土を有する中国に侵略されたら、抗戦しないほうが国の安全のためだなどと言い出しそうだ。
また寺田は、この事件やコンクリ事件で、暗い場所が危険とは限らないなどと反日テロ工作員のようなことを言うが、
巨大地震と原発事故の影響による節電でひったくり等の犯罪が急増していることは否定しようがない事実である。
犯罪を誘発し、国家治安を乱そうとしているとしか思えない。