10/10/31 23:15:21
奥「言葉で言い負かそうとするんですね、ストレートに『別れてくれ』とは決して言わない。
とにかく私は別れるつもりはありません、と。主人を『こんなに愛しているんだから』
私に対して延々と『あなたのことを師匠はああいっていた、こういっていたと並べ立てるんです。
『こんなにあなたの事をひどく言う人なのよ、こんなに嫌なやつなんだもん、わかるでしょ』と」
「自分の言ってることが正しいのに、なぜアナタはそれが分からないの、という感じで延々と
話をするんです。そして裁判になってからは、奥さんがああ言った、こう言った、とやられました」
自分も確かに長時間の間に、冷静さを失ったときもあると知子さんは言う。
「でも、私だけ一方的に正気を失って、ひどい言葉を投げかけたということはなかったと思います。
"自分はお嬢さまの高校に出て、いい大学を卒業した。努力して数学を究めた。そんな自分に
裕さん(ダメ夫)は本来、釣り合う人じゃない。高卒なんて、どうせ主任どまりだ”。
北村はそう力説していました。そのとき私が抱いた印象ですが、彼女はそれまでの人生で、
自分の意のままにならない事態に初めて遭遇したんじゃないかしら」
また「生きている子供を平気でお腹から掻きだすような人なのよ、あなたは」という言葉についても
知子さんは発言の事実そのものを否定する。
「勝手に言葉をひとり歩きさせています。私は二番目の子供を流産させてしまった時、
産科の女医にお腹の子供を引っかきだす、って面と言われてたんですね。私、凄いショックをうけて、
その話を彼女にもしました。流産してるから、子供を堕胎する辛さは分かるつもりだと。
ところがいつのまにか、私がああいう発言をしたことになっていて.......。彼女を言うことを、
いちいち否定してみせてもしょうがないと諦めました。」
北村は電話での応酬にあき足らず、事件の四ヶ月前の平成五年八月には弁護士の元を訪れ
告訴の準備を進めた。もはや会社にも知れ渡り、北村の両親まで巻き込んで後戻りは出来なくなってた。
「訴訟まで起こすことはないんじゃないかと。全部もとにあった状態に戻るのが一番いいじゃないかと
説得しました。でも、話していても埒があかないので、北村のお父さんに電話をして、"私は不実をした
夫を許すように努力します。これから頑張って2人で生活を立て直していきたいんです。だから
お父さんは有紀恵さんを説得してください、これから本人同士ではなく、私とお父さんが代理人に
なって話をしましょう"と言いました」
だが、同年十一月、北村は家事調停に踏み切った。