11/01/03 09:48:01
昨年下された死刑判決が一昨年より20人少ない14人(確定7人)で10人台は11年ぶりという記事を見た。
要因は①重大事件が少なくなった②最高裁の示す死刑適用基準(>>864)の“ぶれ”が司法の現場に混乱を与えていると指摘していた。
最高裁の基準は1983年の永山死刑囚(連続四人射殺事件)への判決(最高裁)のときに示されたものだが、“ぶれ”とは2006年の
光市母子殺害事件の少年に対する判決が契機だという。被害者保護の極めて当然の流れのなかでは、これは“ぶれ”ではなく、
「社会の変化・発展に即した“法の進化”」というべきものだし、いかなる場合でも松永の死刑は免れないと思う。
閑話休題。
この事件の概要を知ったとき、>>919の鳩山前法相のような思いを松永に対してもった。「人間の尊厳をここまで踏みにじれるものなのだろうか」とも。
松永のような人間を生育環境だけで説明できるのだろうかと不思議でならなかった。
そんな折、「何かしら根源的な悪の種子のようなものを生まれもっていた人間の亜種なのだろう。
要するに、コイツ(松永)の精神は生まれついて歪んだ形にしか育たないものだったに違いない。
いずれ科学が進めば、コイツの脳に何かしらの機能疾患が見つかるのだろうし、
遺伝的な要素も指摘できるのだろう。」(「北九州監禁連続殺人」 究極の悪意 -全面的徹底改造計画その壱)
を読んだ。たしかに超ストレス社会の現代にあって、脳に関する研究は盛んで
指摘されているようなことは解明されるだろう。しかし、「遺伝的な要素」が事実だとしたら、ヤツ(松永)の
DNAを受け継いでしまった人間は3人いる。恐ろしい。