11/08/18 07:29:55.72
宇多田ヒカルは音楽的な才能はともかく、文才がまるでないので
自分の経験と気持ちを断片的にちりばめるような歌詞を書く。
そのせいですごく難解だが、言っていることはすごく単純なことが多い。
婚約前に出した「ひかり」では、袋小路の暗闇の中で
愛すべき対象を見つけた喜びをつづった。
その前の歌詞も、難しい恋を人目に隠れてやっている
というような歌詞が多かった。
結婚後しばらくして出した「Colors」では
種々に変わる自分の気持ちと
その自分を1つの色でしか見られない男の浅薄さを描写した。
「誰かの願いがかなうころ」では、片方が満足なとき
もう片方は我慢しているものだという経験を語った。
ずっと歌詞を見てきて思うのだが、紀里谷という人は
歳のわりに宇多田が考えていたより子供だったんだじゃないかな。
それはあの「キャシャーン」のひとりよがりな作り方を見れば分かる。
父性的な心の広さを求めていた働く世間知らずの少女と
中身が子供のとっちゃん坊やではうまくいかないのが当然。
60点の才能を120点と世間に宣伝しぎりぎりのところで
勝負している若い女性歌手の結婚相手は
もっと大人の男じゃないと駄目だよ。
実年齢じゃなくて精神年齢が。