11/11/26 12:22:46 LZabtNUg
山形城が焼失した頃から以後
「山形の好い加減さ」を節目節目にさかのぼると、見えてくるものがあります。
そして、相も変らぬ現在。
◎ 山形の医学校、廃校する
⇒ 東北の医療の中心を担うことになっていたが。
医療過疎と疾病県となる中、それから80年余、
やっとのこと山形大学に医学部ができた。
◎ 山形の鉄道管理部廃止、秋田に譲る
⇒ その結果、運輸省・国鉄時代は秋田、仙台及び新潟の
鉄道管理局の管轄下となるが。
三すくみの中、観光・産業等の発展に大きな影響を受けた。
◎ 山形大学教育学部特設音楽科、廃止する
⇒ 北海道・東北・関東から集まってきた音楽家、東北の音楽都市が。
現在のキャンパスは、その手のカルチャーセンタと化す。
◎ 住軽アルミ、撤退する
⇒ 関連企業・雇用の増の目論見(もくろみ)のはずが。
あれだけ税金を投入した当の役人は、撤退は寝耳に水と。
◎ モンテディオ山形、降格する
⇒ 支援者のパフォーマンスもさることながら、しょせん山形のこと。
社団法人は、役人の天下り先、現場の監督・選手がかわいそう。
◎ 東北芸術工科大学、身売りする
⇒ 全国から集まってきた芸術家、東北の芸術都市が。
公設民営と謳い、あれだけ税金を投入した当の役人は、
県民の資産とともにソウルまで、身売りか。