03/08/07 00:44:37 T95IDPlg
>95さん
悩みぬいてのアウフハーベンなら、人間らしいとも思うが、
その結論が、そうだとしたら、
悲しい理論であり、悲しい根源だな、
尽きせぬ思いは詩となり、書となる。
そのような感情を誰もが抱く、はずなのに、
悲しいときに悲しいといい、
悔しいときに悔しいといい、
さびしいときにさびしいといい、
そして、言葉にならない思いを抱いたときに嗚咽する
そのような当たり前の感情を
当たり前のようにあらわしても
認識と見解の相違というだけで理解し、
そうやって人は今日まで生きてきたのかと思うと、
デベートは人間にとって飾りでしかないのでしょうか??
わかったような、わからないような言葉になってしまったが?