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虐めに関する、よくある勘違い(錯誤)と正しい見方 ver.0807
その1「虐められる側にも原因がある」
"原因の追究"を途中で止めた時に陥る典型的な錯誤で、無能な教師が教育責任を放棄する際の逃げ口上としてもしばしば使われる
虐めの原因は唯一、虐める側の慈愛心(包容力、想像力、表現力、忍耐、思いやり)の欠如、即ち「行為者の心(の狭さ)」である
被害者側に如何に酷い非や落ち度や欠陥があろうと、それらは虐めの原因ではない。相手の非を理由に己の行為を正当化する心の弱さ・貧しさが、本当の虐めの原因である
理由が何であれ、数ある選択肢の中から虐めることを選択しているのは行為者自身。行為者が虐め以外の対処さえすれば、虐めは起こり得ない
被行為者に己の選択の原因を求めるのは行為者の甘え・責任転嫁でしかない。これは虐待、差別、嫌がらせ、暴行にも言える。思考(解釈、期待、信頼、妄想等)も同様
以下は、上記を理解できない者に多い勘違い
①「虐めの原因」と「虐め前後に起きた別の事象の原因」とを混同している
②「虐める理由・動機」を「虐められる原因」に摩り替えている。理由(主観)と原因(客観)の区別が付いてない
③加害者の言訳(動機・口実)を鵜呑みにし原因に置き換えている
④不快感の原因がそれを感じる者自身にあることを理解していない
⑤己の非(愛の欠如)に無自覚
その2「学校を何度変わっても虐められる。これは虐められる側に原因がある証拠だ」
この場合、本当の原因は「どの学校にも、多様な個性を受け入れられず自己表現の拙い未熟者がいる事」である。「多数派は正しい」という安直な誤謬を盲信してはならない
その3「虐められる側が変わったら虐めが止んだ。これは虐められる側に原因があった証拠だ」
この場合、本当の原因は「虐める側に虐める動機がなくなったこと」である。表面的な事象のみで理解したつもりになるのは、「祈ったら病気が治った。治ったのは祈ったことが原因だ」等と同類の思考停止である
続きは 現実(外界はそれを見る心(内界)の鏡
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